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タラ福⑨~千堂涙鬼は同情したくない~

 辰郎は高矢を車の後部座席に乗せた。父親の代わりにドアを開けていた涙鬼は尋ねる。


「このまま家に帰すのか?」

「いや、この子も連れて帰る。この状態で放置する訳にはいかないかんな」

「親になんて言うん?」


 辰郎は唸りながらぎこちない笑みを浮かべる。


「実は電話があってな。この子のことで」

「崇城先生から?」

「住所を教えてもらったから、仕事から帰るついでに寄って中の様子を見てみた」


 目の代わりに鬼札を忍ばせたのだろうと涙鬼は思った。


「おそらく母親は朝帰りだ。念のためにお泊りさせると留守電には入れておいたけどな。ちょうど明日……ていうか今日か。休みだから適当に理由つけといた」

「お父さんの方は?」

「転勤でいないってさ」

「そうか」

「……今の話は忘れろ」


 唐突に荒っぽく頭をなでられた涙鬼は父親をにらむも、辰郎は無視して車に乗り込んだ。


 父親の思惑は何となく理解した。これは高矢にとって触れられたくない話題に違いない。わざわざ注意されなくとも、涙鬼は本人に投げかける意思は寸分もなかった。

 母親に関する噂が出回った時も大して興味を抱かなかった。噂そのものに不快を覚えたあずまや郡司とは対照的に、本人が耳にして何らかの感情を抱かなければ何の意味もないと考えていたからである。


 ところが、こうして高矢の弱点を不明瞭にも知って胸がぞわりとした。家族間が不安定な彼に対して芽生えた同情心への不快感。

 高矢はずっと敵であった。兄のおかげでいじめは止まり、今夜の件で完全に手も足も出さなくなるだろうとそこはかとなく予感していたが、距離ができるだけで相容れない敵であることには変わらないはずであった。


 弱点を知って、高矢の感情を自由に揺さぶることのできる札を得たことに、むしろ喜ぶべきなのだろう。お前は家族にも愛されていないのだと、嘲笑するべきなのだろう。

 そんな仄暗い感情の静かな揺れ動きを見抜いて、父親は頭をなでてきたのだろうか。


 あずまと郡司が戻ってきた。崇城も一緒であった。彼が用意していたのか、保健室から拝借したのか、あずまの首に大きめの絆創膏が貼られていた。郡司が後部座席のドアを開けると、辰郎が体をひねった。


「どうも、お久しぶりです」


 へらへらと会釈する辰郎に、崇城は「学校で一瞬会ったじゃないか」と眉をひそめた。


「ややや、先生がいてくれて助かりました」

()()()()


 崇城は呆れた顔で彼に目線を合わせた。


「自分を棚に上げてでも言わせてもらいますと、親として子どもに強く育ってほしいのはわかります。ですがボクシングとかじゃあるまいし、危険な目にあっているのを黙って見守り続けるのは良いことなのか。一番しんどい思いをしているのは他でもなく子どもですから、どうか加減を考えてください」

「どうもすみません。肝に銘じます」


 辰郎はへらへらと苦笑した。下手にへりくだった姿は祖母に注意を受けている時と似ていたため、この先生は父親の苦手なタイプなのだと涙鬼は思った。


 崇城は未だに動かない高矢に目をやる。


「彼をお願いします。仮に母親の方が何か言ってきたら私の方で対処します」

「おねがいしまーす」


 発車して遠ざかる崇城にあずまは手を振った。崇城は真顔で小さく手を振り返した。

 涙鬼はバックミラー越しにあずまの首を見る。


 絆創膏に血がぽつんとあった。大事にはならなかった。運が良かっただけだと涙鬼は思う。定丸が我慢の利かない残忍な性格をしていたら、こんな優しい傷では済まされなかった。


 あずまが振り向いたので視線を前に戻す。すると辰郎がハアと間の抜けた声を出したので、何事かと隣を見る。


「これでかっちゃんに殺されなくて済むぜ……」


 誰かに向けて言った訳でもなく、辰郎は脱力した状態でハンドルを握っている。

 郡司は緊張の糸がついに切れて目を閉じる。車体が揺れると高矢に寄り添うように上体を傾けてしまう。


 ふと、涙鬼はみさ子との約束を思い出した。


「日比谷」


 バックミラー越しに声をかけた。


「なに?」

「日比谷のお父さんとお母さんに、今日はうちで泊まるって言ってある」

「みんなでお泊り?」


 あずまは眠そうな目を輝かせた。“みんな”の中に高矢も含まれているのだろう。涙鬼はあまり良い気がしないまま「うん」と答え、外に目を向けた。


 深夜二時、菜の花小学校で行われた戦いはひっそりと始まりそして終わった。グラウンドを駆ける黒い化け物の姿も、空を飛ぶ青い龍の姿も誰かに目撃されることはなかった。定丸が望んだとおり何が起きていたのか人知れず終わったのである。


 しかし、定丸は断末魔の如く悲鳴を上げてしまった。菜の花小学校を中心に、中区の住人は夢の中で彼女の叫びを聞いた。吸いに吸ってため込んでいた幸福感を一瞬にして失わせた絶望感が体に落下感をもたらし人々は目が覚めた。


 嫌な目覚めになりながらも、どんな夢だったか具体的には思い出せない。嫌な夢だったのは確かなので、夢で済み、それすら忘れることができ、不幸中の幸いを感じた。

 ただ一斉に筋肉の収縮でびくりと目が覚めたので、泰京市と妖怪の類の結びつきを知らなければ情報の共有によって気味の悪さを引きずることになるだろう。


 遅くまで起きていた者はテレビ画面の乱れ、ラジオの音質の異変に気づく。ゲームを夜通しやっていた管もその一人である。


 ちょうどセーブをしようという時にテレビ画面が乱れた。砂嵐からスタート画面に変わったので、そっとゲーム機の電源を切り、そのまま亀のように布団をかぶって寝た。


 次に目を覚ました時には日が差し込んでいた。何時なのかはわからない。

 ホットカーペットが冷えているのを感じながら、のそりと立ち上がる。座卓にすねを打ちつけてから黒電話に手を伸ばし、眠気眼で電話帳をめくった。


「どうもお世話になっております。占い館『クダ』の竹幸(たけゆき)です。会長の孫行(そんこう)得手吉(えてきち)さまはいらっしゃいますか?」


 電話に応答したのは秘書であった。秘書が相手なら会長である必要はなかったので、管は用件を明かす。


「そちらが運営している西区の土地の一画を、市外の姉妹妖怪が無断に利用しているようでして。はい、千堂家関連で」


 無表情で耳をほじり、垢を近くのゴミ箱に振りかける。


「どちらともやられましたよ。死んではないですがね。姉は逃げましたが妹の方は自尊心を打ち砕かれて市内から動けずにいるようなので。念のため知らせるべきと思った次第です。サルの首さまの未来にとって敵ではありませんが、飛蚊症のような目障りにはなるかと」


 話し終えた管はホットカーペットの電源を入れ直し、満足して二度寝をした。

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