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タラ福③~千堂涙鬼はチャンスを逃さない~

 ナイフが宙に弾かれた。


「ってー……!」


 高矢は苦悶の声を上げ、指を食いこませるようにして叩かれた手の甲を押さえる。首を垂らした一瞬のすきに、涙鬼は額に打ち込もうと一歩踏み込んだ。


 またしても高矢は竹刀をかわした。下半身は動かさず、上半身を左下へ曲げながら腰を右にひねった。

 右拳を下腹部にぶち込む。涙鬼が前屈みによろめくと半歩下がってからもう一発右拳。突き出すように左拳。右足の甲を踏みつけ、両肩をわしづかみ胸部へ膝蹴り!


 胃液が喉までせり上がる。竹刀をかろうじて離さないまま、涙鬼は片膝をついた。


「へひひっ。残念だったな。俺ァ空手習ってたんだよ。とっとと辞めてやったけどなっ!」


 軽く後ろへ跳び、涙鬼の横顔に回し蹴りをぶち込んだ。こめかみは切れ、血が流れる。横向きに倒れた背中を蹴り、うつ伏せになったところにかかと落としを食らわせた。


「やめて高矢くんッ! やめてよッ!」


 体を支配するだけではない。舞前の代わりに授業をしたように、その者の能力も扱うことができるらしい。高矢が選ばれた理由を見せつけられたあずまであったが、庇いに行きたくてもカッターは常に首筋に添われている。


「定丸さん。ねえ、お願い。もうやめてよ」


 彼女の腕を控えめに揺さぶった。定丸は見向きもしない。うずくまっている涙鬼をじっと、苦しんでいるところを見逃すまいと目を光らせていた。


 高矢は嘲笑う。


「いい気味だな。そういや舞前もお前をボコボコにしたんだよな」

「お前がやったんだろ」

「いいや、あれは舞前の願望だったんだよ」

「ちがう」


 涙鬼は上目遣いでにらむ。


「半年以上も、先生を閉じ込めていたんだろ」

「だからなんだよ? 元はお前が悪いんだぜ? 何度そう言えはわかるんだ!? 俺たちの恨みはてめーらが思っている以上に根深いんだ!」


 涙鬼は沸々と怒りがわいてきた。


 自分が菜の花小学校にいたばかりに。先生を巻き込んでしまっていたと知ってからずっと申し訳なく思っていた。先生も苦しんでいたのに、自身のことよりも思ってくれていたのに、真実をクラスメイトに知られることはないのだ。


 涙鬼はずっと耐え忍んでいただけであった。舞前は助けようとあがき続けていた。それだというのに、教師としての信頼もひとりの人間としての信用もガタ落ちだ。自分がいたばかりに。


 同情しながらも、被害者を生んでしまった自分は愚かだと、自分はなんて可哀想な子どもなのかと感傷に浸った瞬間もあった。しかし、自分は悪くないとあずまだけでなく祖母にまで認められてしまっては、いつまでもうじうじしている訳にもいかないではないか。


「知らん……っ」

「は?」


 涙鬼は強く見据える。高矢の肩がびくりと動いた。


「そんなもん、もう知らん!」

「なんだとぉ!?」

「なんでもかんでも俺のせいにしやがって! 八つ当たりすんなッ!」


 高矢は目と口内を光らせながら奇声を上げた。涙鬼は転がるように蹴りをかわし立ち上がる。


 黒い流動体が伸び首に絡みついた。足が浮き、勢いよく横へと振られ、地面に叩き伏せられた。それでも竹刀を手放さなかった。


 息ができない。首をかきむしった。あずまが名前を叫んでいるのが聞こえる。


「ざけんなよてめぇ、ぶっ殺してやる!」


 流動体は高矢の右目につながっている。空手を放棄するほど激高した彼に何度も振り回され地面に叩きつけられた。右肩が脱臼した。


 赤い火花が視界に散る。夜空がチカチカと夕焼けに染まっては消える。強い衝撃に肺に残っていた空気が押し出される。胸骨が折れた。


 獣のように唸り声を絞り出した。頭が真っ白になりそうになった寸前、絡みついていた流動体が緩んだ。

 空気をむさぼった。また首が締まり宙に投げ出された。


 そう簡単には死なせるつもりはないのだろう。舞前の時のように何度も何度も痛めつけ、苦しみ悶えているところを見なければ気が済まないのだ。


 宙に浮いた時に、口を動かしている父と目が合った。何かを伝えようとしているのはわかったがわからない。


(――“チャンスは来る”と言っている)


 わからなかったはずなのに、すっと頭に浮かんだ。

 怒りに任せて殺しきらないとは定丸も徹底している。しかし、それは憎き敵に対して猶予を与えているようなものなのだ。


 左膝の皿が外れた。その代わりに右肩の脱臼が治り、胸骨の骨折も治りつつあった。右目から遠い左膝は少し時間がかかるだろう。


 校舎内では郡司がタラ福の動きを探り続けていた。

 奴は一年生の教室を見回っている。ついでに手に入れた一握りのチョークをひとつの塊に凍らせ、四階の窓から落とした。


 粉々に砕け散った音に、奴はまんまと外に出てきた。

 郡司は屋上へと駆け上がった。


「こっちだあーッ!」


 郡司は優勝旗を大きく振ってみせた。タラ福は見上げ、窓のくぼみを使って登ってきた。優勝旗の布を竿に巻きつかせ、槍の部分をより鋭く凍りつかせる。


(今だ! 今だ! 今だ!)


 腹から息を整え、距離を見計らった。


「でああーーッ!」


 勢いつけて落とした優勝旗は、長く鋭く尖った槍はタラ福の目に突き刺さった。

 タラ福は叫び声を上げながら地上にずり落ち、液状化して側溝(そっこう)へ流れていった。


「やった……やった! やった!」


 郡司はへなへなと尻もちをつく。声も体も震えが止まらない。


「は。は。……早く、千、堂、を……」


 早く戻らないと。柵をつかんで立とうとするが、膝ががくがくしてへたり込む。涙が出てきた。


「うう、やっば……」


 どうしようもなく四つんばいでドアまで戻った。


 女の絶叫は涙鬼たちにも届いた。


「姉さんがやられた! 畜生!」


 高矢は頭をかきむしった。


 涙鬼は高く宙に投げ出された。硬いものに背中が強打し、目の前が真っ白になり竹刀を落とした。

 硬いものが鉄棒だと右目で理解すると、痺れる腕を支柱に絡ませ引っ張られるのを防いだ。


「死ね千堂!」


 高矢は走りながらナイフを拾い上げ、目に黒い物体を引き戻しながら飛んできた。涙鬼は首が折れるかというほどの力に耐えながら立ち上がり、一歩二歩と直線状を進んだ。


 高矢の渾身の一突きを左にかわした。右手で腕をつかんでひねり上げながら背後に回ると、左手で後頭部をがっちり捕らえた。


「何ッ!?」

「すまん」

「やめろーッ!!」


 高矢の足を払い、渾身の力で一番低い鉄棒に顔面を叩きつけた。お多福の顔は割れ、白目をむいた素顔が現れた。


 高矢は倒れ痙攣している。首が解放された涙鬼は喉をぜいぜいと鳴らしながら竹刀を取り、よろよろと左足を引きずり指揮台まで向かった。


 あずまは半泣きで鼻水を垂らしていた。血の粒がカッターの先端と首筋の間で震えている。


「定丸……!」

「止まれ! まだこっちには日比谷がいるんだ」


 定丸はカッターをあずまの手に無理やり握らせた。


「こいつを使ってお前を殺す! もう殺す! 定光様の仇だ!」


 彼女は黒い流動体になって、あずまを覆った。


「ぎゃあ!?」


 あずまは腕をばたつかせた。黒い流動体は絡みつき肌に染み込んでいく。涙鬼は慌てて指揮台に登り、それを引きはがそうとするも手応えはなく指の間から流れ落ちていく。


 あずまがぴたりと動くのを止めると、かくんと首を垂らした。そしてゆっくりと片足を上げ、顔色を悪くしている涙鬼を指揮台から蹴落としたのである。

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