余談~鬼札について①~
次第に、琥将の馬鹿力と治癒力だけでは間に合わなくなってきていた。
琥将家の始祖である大妖怪は、かつて日本が妖怪天国と文化的に呼ばれ始めた時代から頭角を現し、封印され、四つに分断してもなお今日まで尊厳は保たれてきた。それは四つに分断してもなお各自に支配力がもれなく備わっていたからである。
しかし琥将は、支配の対象が嫌っている千堂家の娘に恋をし、千堂家に受け入れられてしまった。
千堂家の娘に魅了され、千堂家に引きずり込まれた琥将家の息子……。事実であるため言い訳のしようがない。
琥将家も今や大したことはないと誤解を招き、のし上がろうと考える輩が現れ始めたのは人間の歴史同様に自然の摂理のようなものだろう。
千堂家を恨む者、琥将の目を覚まさせようとする者、琥将のために魅来さんを消そうと考える者、琥将を消そうと目論む者……。次から次へと、きりがなかった。
いくら管先輩の占いであらかじめ敵のことを知れても、やはりというべきか、正確さに問題があるようであった。運命に抵抗したい、より良い結果を手にしたいと強く願うのは琥将だけではないということである。
そして馬鹿力で怪我の治りが早くても、限度というものがある。魁さんの協力も当然あったものの、四六時中は一緒にいられないし蹴散らせない。琥将は単独でいる時も狙われていた。
それでも琥将は献身的に、自力で頑張ろうと奮起した。魅来さんの前では元気いっぱいに振舞っていたつもりのようだが、疲れがたまっていたのは明白。
「また明日ミクちゃんに会えると思うとドキドキして眠れない」と言い訳する彼の目は充血して潤んでいた。
学校の屋上で『アリス』のライブを録音したカセットテープを聞いている時の彼はぐったりとしていた。以前の琥将なら『愛の光』や『冬の稲妻』を伸び伸びと歌っていただろう。
大の字で目を閉じている……しかしまぶたは脈打たせている琥将をじっと眺めていた魅来さんも思うところがあったらしく、後日になって彼女は休日に家に来るよう言ってきた。琥将は両手を上げて金切り声を上げた。鼓膜がうるさい。
「まったくドツボにはまっちまって。そのうち糸が切れたようにぶっ倒れちまったらどうすんの? 一体誰が姉ちゃんを愛してやれるんだい?」
千堂邸に訪れて開口一番、魁さんは顔の右側だけ呆れた笑みを作って琥将の脇腹に手刀を軽く一発差し込んだ。琥将は目をカッと見開くのと同時に頭髪を猫のようにぶわりと逆立たせ、体は硬直した。
「傷の治りと痛みの治りがずれてきているみたいですね」
魅来さんと魁さんの母、チヨさんが現れ琥将の状態を見抜いた。
「こ、こんにちは」
「はい、こんにちは」
苦悶の表情から無理やり笑みを作って挨拶をする琥将に、チヨさんは頭を下げた。僕も頭を下げた。
桜鼠の着物はまるで彼女の気高さを表しているようで、それだけで“千堂家の女”としてのふさわしさ、強さを感じさせられる、まさに頭が下がる思いにさせられた。
「こら、魁。お姉さんのお友だちになんてことをするのですか」
「めーんご」
「魁ッ」
「教えてやっただけじゃん」
母親に鋭い声で叱られて魁さんは唇を尖らせた。
「ごめんなさいね。すぐに痛み止めを用意させますから」
にらまれる前に魁さんはドタバタと引っ込んだ。
「治りのずれというのは?」
客間に移動するまでの間に僕はチヨさんに尋ねた。
「彼はいつでもすぐに戦えるように無理やり傷を治し、間に合わない部分は病院で治療してもらうのを繰り返しているそうですね。きちんと体を休ませている訳ではないので疲労はたまる一方ですし、脳が錯覚を起こしているのです」
「怪我による痛みと筋肉疲労が混合しているということですか?」
「そうです。騙し騙しやってきたツケが突然やってきますから、魁なりに心配してあんなことを。ごめんなさいね、じゃじゃ馬な娘なもので」
琥将は大好きな魅来さんの親に気に入られたいらしく、きりっとした顔つきで「いえいえ、体調管理ができてない僕が悪いんです」と謙遜した。チヨさんは「ええ。しっかりしてもらわないと困ります」ときっぱり。
魁さん曰く琥将は千堂家公認の男だが、チヨさんは完全に同意した訳ではない。チヨさんが抱えている不安は実家との断絶を受け入れられるのかどうか。ほかには彼の自己犠牲の精神だと思われた。
娘を守ってくれるのはありがたいが、それで自身の人生を破綻させてしまっては後味が悪い。生半可ではない、心身ともに強い男でなければ婿入りはあり得ないのである。
琥将は愛想よく笑っていたが内心では焦っていたのだろう。客間で僕とふたりきりになると笑顔はがくがくと崩れていった。包帯が巻かれた両手首を洗うようにさすり、青白い顔でスースーと息を荒々しく吸い上げた。
「お茶をどうぞ」
魅来さんが来たとたんに琥将は笑顔の仮面を取りつけた。どら焼きが盛られた皿を置き、慣れた手つきで緑茶を入れている彼女の姿をニコニコと見た。
一足遅く魁さんも薬箱を手にドタドタとやって来た。チヨさんが叱る声もした。
「魁ちゃんの分もあるよ」
妹の騒音はまるで気にならない魅来さんはそっと急須を置いた。魁さんは「ありがとう」と立ったまま湯呑をつかみぐびぐびと飲むと、琥将に向かって真顔で言い放った。
「おいタツロー。脱げ」
琥将はポカンとした。
「は?」
「脱げつってんだよ」
「ハレンチッ!」
「こいつが目に入らねえのかぃ! 薬だよ薬! 塗ってやるからパンツ一丁になれっ!」
「やだよ! 自分で塗るからくれ!」
「背中届かねーだろがい! 満身創痍なんだろ!?」
「背中以外は自分で塗るからくれ!」
魁さんから薬箱をかっさらった琥将は、隣のもう一つの客間へと移動すると「見んなよ?」と赤い顔でふすまを閉めた。魁さんは鼻で笑った。
「こういう時、ふつうは姉ちゃんに塗ってもらいたいとか言うだろ。へなちょこめ」
「プラトニックな交際と言ってやれ」
魅来さんはいつもの様子でどら焼きを食べていた。
チヨさんがこの場に来る気配はなかったので、僕は言った。
「それで。彼に何の用件があってここに呼んだんだ?」
魁さんは魅来さんの隣に座って、どら焼きの包装をはがしながら答えた。
「このままじゃタツロー、体がもたないだろ、冗談抜きで。いくら四家の坊ちゃんとはいえ、その血に逆らっちまったんだ。四家としてのっていうか、なんていうかな。別の生き物になっちまったっていうか……なんだ、うまく言えないんだけどさ。とにかく弱体化してんじゃねーかな。ホレた弱みってやつ?」
僕は以前に琥将が見せた螺鈿のように輝く瑠璃色の瞳を思い出した。根底から浮き上がってきた古い記憶を、僕の一言で押し込んだ琥将。魅来さんに恋をしている時点で彼は異質だったのだろう。
“トラの足”が天敵である陰陽師の娘を愛してしまったように、千堂家の娘を愛するという柔軟さを琥将は持っていた。そもそも変幻自在な大妖怪にはそれがあったのだろう。実はあったが自覚はなく、“トラの足”に位置づけされていたそれは四つに分断されたことがきっかけで明らかになっていったのではないだろうか。
あれこれ考えを巡らせてみたところで、所詮はただの人間の推測に過ぎない。僕は周囲で勝手に巻き起こっている出来事を見聞きすることしかできない。琥将のせいで片足を突っ込んだ状態として、静観するだけであった。
「だから補助は必要だろ。そんで姉ちゃんが鬼札をあげたいつって」
「おにふだ?」
「現物はあとで見せるけどさ」
魁さんはどら焼きにかぶりつき、歯の隙間に小豆を挟ませたまま「ふふん」と笑った。
「タツローも地道にやってんだね。まさか姉ちゃんが家族以外にプレゼントを考えちまうなんてさ」
魅来さんはいつもの様子でどら焼き二個目を食べ始めていた。




