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千堂涙鬼と仲良くする必要はない

 理科以外のテストの点が悪かった饗庭は居残りをさせられてしまった。


 崇城(そうじょう)利剣(りけん)は厳格さを顔に出している男である。裏で囁かれ続けている『嫌いな先生ランキング』には常に上位に食い込んでいる。

 舞前の代理としてやってきた時の空気は硬く、誰もが「えっ」という困惑の顔をしていた。よりによってこの人が代わりになるなんて、饗庭も落胆した。


 咎めるような視線はもちろん気になった。ところが、涙鬼の兄のあれに比べてしまうと恐怖心はたちまち凪いでしまい、叱責されまいと程よい緊張感だけ残った。


 教壇を竹ものさしでコツコツと叩きながら教室を見渡す姿は軍人みたいだと言われているが、真正面から見られている饗庭は座禅を連想させていた。崇城は嫌われてはいるが、その言動はすべて生徒のことを思ってのことだと、冷静になってみれば自然とそこに考えが至った。


 ただ、そこに考えが至ったからこそ矛盾も感じていた。なぜ崇城先生は千堂を助けなかったのか。彼だけではない。他の先生も、なぜ?


 いじめておきながら助けない人の責任にしようなんて。饗庭は魃の視線を脳裏によぎらせ身震いした。


 大人が何を考えているにしても、自分はもういじめを行わない。女子にも優しくする。

 筆圧は強くなり、文字が太く濃くなっていった。


「終わったぁ……」


 背中をうんと伸ばした。課題のプリントを提出すると、崇城は薄らと満足げに口角を緩ませていた。


「おつかれさん。帰っていいぞ」


 キャラメルを一個もらった。これを何と言うのか饗庭は知っている。飴と鞭というやつである。

 にやにやと黒鉛で汚れた手で口に放り込む。舌で甘みを転がしながらランドセルに筆記用具を仕舞い込む。


 すると、全体の照明が二度、三度と点滅した。

 崇城がいなくなった代わりに高矢が真顔でスイッチに手を触れていたのを見て、はっと嫌な緊張感が襲う。


「よお」

「や、やぁ、高矢……」


 久しぶりに言葉を交わした。

 高矢はズボンのポケットに手を突っ込み、饗庭の周りを悠々と歩く。


「お前もさ、つまらないよな。いつもふざけてたじゃん。女子とかに」

「これからは良い子ちゃんになるんだ」


 饗庭は気まずさに顔を背ける。

 崇城先生の怖さと高矢の怖さは違う。なぜ怖いのか、その根本的な理由が違うことをもはや本能的に察知する。


「そんなに千堂の兄が怖いのかよ」

「当たり前じゃん……っ」


 千堂の兄の不気味さは高矢も思い知っているはず。だのに高矢は「ふぅん」と横目でにらむ。


「あいつが怖いから、千堂に媚びるって?」

「わ、悪い?」


 饗庭はへっぴり腰で空威張りする。


「悪い」


 ひたり、と高矢は足を止め、人形のように首をかくんと下に向ける。その不自然な動きを、視線をそらしていた饗庭は気づかない。


「べ、別にいいだろ……っ。ただ避けてるだけじゃ、いつか千堂にも仕返しされるかもしれない……! だから今のうちに仲良くしとこうと……」


 高矢はズボンのポケットからサバイバルナイフを取り出し、饗庭の机にドンッと突き刺した。饗庭はその音にぎょっとし、つい高矢を見た。


「仲良くする必要なんかねぇよ。そんなに千堂が怖いなら、俺が殺してやるよ」


 高矢は面を上げた。


「ひぃ……!?」


 お多福の顔になっていた。饗庭にとってそれは舞前の顔でしかなかった。


 クスクスと笑い声がした。定丸があずまの机の上に腰かけて、怪しい笑みを浮かべていた。


 高矢はナイフを抜く。振られた刃先に饗庭はたじろいだ。


「日比谷のボンボンも、氷奴だとかいう郡司も……なんであんな奴に味方するげん……。千堂家のどこに正義があるっつうんだ! ちきしょう!」

「ひぃっ」


 高矢は机を蹴る。饗庭は腰を抜かした。


 高矢は肩を揺らしながら笑う。


「幅屋もお前も、たかが金縛りでビビってんじゃねぇよ……。なぁおい……千堂に明日の深夜二時にグラウンドに来いって言えや。絶対にだぞ?」

「そ、そんなっ。本当に殺す……?」


 饗庭はがたがたと顎を震わせた。あれはその場の調子に乗った冗談ではなかったのか。


「ふふふっ。友だちであるお前の平和のために、悪い妖怪を殺すんだよ……」


 ナイフの峰で肩を軽く叩かれ、饗庭はびくりと震え上がった。定丸が笑みを浮かべたまま教室を去り、付き従うように彼も消えた。


「いい加減、俺も奴の五臓を山に捧げ、定光様にご報告しようと思う」


 そう言い残して。


「あえ、あえ、あ、あええ、え……」


 饗庭は胸をかきむしり、唾液たっぷりのくちゃくちゃのキャラメルを床にこぼす。


 ああ、そうか。定丸だったのか。定丸が一番怖かったのか。あいつが学校を支配していたのか。あいつが涙鬼をいじめるように幅屋を誘導していたから。あいつが涙鬼を殺そうとしているのだ。


 舞前はあいつに頭を乗っ取られていたのだ。今度は高矢が乗っ取られたのだ。もしかしたら自分がそうなっていたかもしれない。もしかしたら自分が涙鬼を殺す手伝いをしていたかもしれない。


 なぜ涙鬼が命を狙われなければならないのか、定光様って誰なのかわからない。それでも真相に触れた饗庭の胸には、得体の知れない存在に気づいた恐怖だけでなく、気づかずいじめを楽しんでいた後悔と、それなのに心配をひとつしてくれた涙鬼のことを知ろうとしていなかった後悔と、媚びを売る相手……友だちになる相手を間違えた後悔が怒涛に押し寄せていた。


 元はといえば、女子たちが馬鹿にするからいけなかった。馬鹿にされたから仕返ししていたつもりだった。お前らなんかより自分の方が上だと、自尊心を守るために女子たちを懲らしめていたつもりだったのだ。


 その結果がこれなのだ。みんなに嫌われている。

 馬鹿にしてくる女子なんて気にせずに、友だちを正しく作る方向に努力すればよかったのだ。例えば郡司なら、きっと快く友だちになってくれたはずだ。いい奴らと友だちになっていれば、女子に馬鹿にされても平気だったはずだ。だって友だちがいるんだから……。


「おい、どうしたんだ? しっかりしろ」


 見回りで戻ってきた崇城が教室を覗き、慌てて声をかけてくれる時まで饗庭は動けなかった。


 滂沱(ぼうだ)の涙と鼻水と共に失禁していた。崇城は顔をしかめた。掃除用具のロッカーから雑巾を出して床を吹きながら彼は言う。


「誰にやられた?」


 失禁を咎めている訳ではなかった。饗庭は安堵のあまりにまた涙があふれた。


 信じてもらえるかわからないまま、自分の身に起きたことと、これまでの愚かな行為を洗いざらい吐いた。さらに怒られることを覚悟して、なぜ今まで自分たちを止めなかったのか、叱らなかったのか、涙鬼を助けなかったのか、気がついていなかったのかを正直に、赤裸(せきら)にすべてぶつけた。


 それに対して崇城は始終黙って聞き、静かに一言「すまなかった」と眉尻を下げるのみであった。

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