郡司吉祥は心配しかできない
明けましておめでとうございます。2021年初回の投稿になります。
それに伴って人物の名前にルビをもう一度振ってみました。
涙鬼に対するいじめは不自然なほどにピタリと止まった。幅屋たちは互いに目配せはするものの、つるむことをやめていた。
涙鬼以外にも嫌がらせを受けていた子たちが教室を越えて存在していたが、彼らも次第に自然な笑顔を取り戻していった。幅屋のグループが解散したかもしれないという噂は瞬く間に広まったのである。
幅屋はぶすっとした顔をしていながらも、嘘のように静まり返り大人しくなっていたが、唐突に風が窓を鳴らすとぎくりと肩を強張らせる。
それ以上に、あからさまに様子がおかしかったのは饗庭だろう。
二重顎を作って前歯の隙間で息をしている饗庭。生気のない色をした彼は見えない何かに怯えて縮こまり、肩をすくませるあまり首がなくなって見えた。耳をふさぎ、ギラギラと白目に血管を浮かばせ、じーっと席に座っている。
まるで地縛霊だと郡司は思った。とうとういじめの件を探っていた男子中学生にバレてしまい、【鬼縛り】を受けてしまったのだろうか。
鬼を退治するために編み出されたという金縛りの秘術を生身の小学生相手にかけてしまう。そのためらいのなさはさすが千堂家というべきだろうか。退治するために鬼の動きを封じるだけではなく、退治する際に邪魔になる者も押さえつけてきた力である。
あるいは、琥将家から婿入りした辰郎の息子として、威光の力を使ったか。
どれにしても気の小さい饗庭にとって親や先生から落とされる雷の比ではない。得体の知れない圧力は拷問でしかなかっただろう。
何があったのか問いかける子はいなかった。当然、舞前も無視している。具合が悪そうにしているのに、誰も保健室に行くことも早退することも促さず、それどころか一部の女子が窓際で堂々と悪口を言っている。
誰に向けられたものだろうと、悪い言葉は悪気がなくても体に良くない。吐く方も吐かれる方も……。
いつだったかそんなことを殊久遠寺が言っていたのだが、周りに「和子は繊細だねー」と頭をなでられ、彼女は苦笑いを浮かべていたのを郡司は思い出す。
殊久遠寺のこと馬鹿にした子たちが饗庭の悪口を言っている。耳をふさいでいる当人には届かず、他に筒抜けの状態。殊久遠寺は饗庭のことが嫌いだが、ついにバチが当たったのだと素直には喜ばない子だろう。
「平和が戻ってよかったね」
そんな珠久遠寺は郡司の机に手をついて言った。郡司は気難しい顔で黙り込んだ。
平和なものか。彼女なら理解しているはずである。知っていてそう言うなんて、言霊を信じているのだろうか。悪口が悪影響を与えるように、平和が戻ったと言葉にすることでそこから具現化させる魂胆なのだろうか。
「日比谷くんのこと気にしてるんでしょ?」
こそりと言う彼女。
あずまは楽しく涙鬼と話をしている。涙鬼は静かに頷いたり、こっちには聞こえない音量で言葉を返したりしている。
ふたりは気づいているのだろうか。高矢が右足を震わせ、刃物のような視線を突きつけていることを。
あの言い争いがあって、郡司はあずまに声をかけられない。いっそ殊久遠寺に警告してもらうべきだろうか。いや、この状況だからこそ、彼女は無関係であるべきだろう。
「舞前のことが気になるんだ」
「そっちか……」
珠久遠寺は表情を曇らせ、口を尖らせる。
「あの人、幅屋くんたちが悪いってことわかってないよね? みんな迷惑してたのに、空気全然読めてなかったし、ぼんくらだね」
殊久遠寺だって悪口くらい言う。それでも郡司にだけ聞こえるように小声でやる。
言霊があるならば、舞前はぼんくらでなければならない。
ただの、クラスを支配して優越感に浸り、子どもが苦しんでいるのを楽しんでいる人間のクズならば、身内で解決してしかるべきだろう。それこそ殊久遠寺が提案した校長への直訴である。彼女一人では失敗したが、大勢を巻き込めばいい。
しかし。郡司は恐れていた。
涙鬼に嫌がらせを始めたのが幅屋たちの意思でも、舞前にとっていつまでも続いてほしい報復の日々だった。それが終わってしまったのだ。
(ヤツは人間じゃない。まさか今度は、直接ヤツが手を出してくるなんてことは――)
と、一旦思考を遮断して額を押さえる。
(何を考えてるんだ俺は。なんで心配してる? 心配しただけでなんになる? なんにもできないじゃないか……)
氷奴として、頭を冷やすべきだろう。末端でも、末端だからこそ菅原大天神様に属する者として、冷静に、冷徹に徹するべきだろう。人間の問題は人間が解決するべきで、千堂家の問題は千堂家で解決するべきなのだ。出る幕ではない。
「ねぇ、郡司くんってば」
珠久遠寺が軽く肩を揺さぶってきた。
「今日はピアノ練習するの?」
「え? うん。コンクールあるし」
冬季のピアノコンクールは今月にある。
「じゃあワコも残る」
「邪魔すんなよな。ぴょんぴょん飛び跳ねてさ」
「跳ねないもーん。ワコは審査員役だもーん」
澄ましながら珠久遠寺は飛び跳ねる。彼女は自分なりに郡司を元気づけようとしていた。
そして放課後になり。
階段を下りる時、あずまはとても大切なことを思い出した。
「丸ちゃん!」
「む?」
唐突に発せられた名前に、涙鬼は眉をひそめる。
「僕のキーホルダー。取られて一週間だから返してもらわなきゃ!」
「ああ、あのギザギザの」
舞前は終わりの会に何も言わなかった。わざと忘れたふりをしているに違いなかった。
「千堂くんは待っててね!」
「あ」
涙鬼は何かを言おうと思ったが間に合わなかった。
あずまは職員室に素っ飛ぶ。戸を開けようとして、あの日の光景が脳裏によぎる。
吸い込まれたら最後。洞穴のような真っ暗闇の目……。
あずまは「だいじょうぶ」と言葉をこぼして指に力を入れた。ひとりであの男のところに行くのは気が引けたが、母親が作ってくれたキーホルダーを取り戻したいという思いと、友だちをあの男に近づけたくないという思いが同等に強かったのである。
舞前のデスクまで来たが、本人はどこにもいなかった。
「舞前先生は?」
「舞前先生なら、さっき出ていったよ」
向かい側に座っていた男性教師が気楽に教えてくれる。
「帰っちゃった?」
「まだいるよ」
「返すって言ったのに……」
予想は容易だったが、それでも約束が破られたことに傷つく。あずまはとぼとぼと退室し、待っている涙鬼の元へ小走りする。
「先に帰ってて。先生探さなきゃ」
「俺も探す」
「すぐ見つかるから大丈夫だよ。それじゃあ、また明日!」
あずまは校内を駆け回り、教室一つ一つをくまなく確認していく。もちろん、音楽室も。
「日比谷っ?」
まさかの人物の登場に声を上擦らせ、演奏の手を止める郡司。
「吉祥くんに、和子ちゃん?」
「今日は千堂と帰らないのか……?」
「先に帰った。先生知らない?」
「舞前?」
「キーホルダー返してほしいのにどこにもいないんだ」
「ああ、今日で一週間なのか……。大事なものなんだっけ?」
「お母さんが作ってくれたんだから」
「わかった、俺も探す」
郡司は鍵盤の蓋を閉じ、楽譜を手提げ鞄に仕舞い込む。
「いいよ別に、ひとりで探せるから」
「舞前は当てにならないって言ったろ? ごめん、練習はおわりな」
「うん。ワコは帰るね……」
珠久遠寺は口元を引きつらせた。
彼女と別れ、郡司はあずまの後をついていく。
「二手に分かれる気ある?」
「なあ、怒ってるのはわかるけど」
「怒ってないよ。納得できないだけ」
棘のある声を出すあたり怒っている。眼差しが普段通りであるだけマシなのかもしれないが、隔たりを感じさせる。
あずまは入れ違いの可能性も考えて一階から四階へと再度見て回る。トイレまで探すがあの男は見つからない。
「あの人、何か部活の顧問やってる? あと何かの、飼育とか」
「何もしてないと思う」
「じゃあ外には出てないよね」
改めて職員室を覗くが舞前は戻っていない。
「また明日にすれば?」
「やだ」
あずまは諦めが悪かった。見かけによらず頑固で、だから涙鬼に対してもめげなかったのだと郡司は呆れ半分に理解した。
(そういえば)
郡司は思い出す。親族の間でも噂にはなっていたのだ。
琥将家から婿入りした辰郎には一人の親友がいた。こともあろうに千堂家の娘に恋して波乱を巻き起こした問題児に、その人物はただの人間のくせして味方であり続けたという。
たしかそいつの名前も日比谷だったような……。
ふと、あずまが足を止めた。視線の先には体育館への入り口がある。
「まだあそこ見てない」
引きつけられるように足を運んだ。
「今バスケ部が使って」
郡司が言い終わる前に引き戸を開け、中に入った。
ふたりはぎょっとした。
入り口側の壁際にバスケ部の部員が兵士のように並んでいて、全員の顔が舞前だったのである。




