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日比谷あずまは待つしかない

今回は会話があってないような、堅苦しい回です。

 今日も休み時間は地獄だった。それでも涙鬼が手を出すことはなかった。


 あずまは手を組み、顔をうずめ早く次の授業が始まることを祈った。祈ったが、その願いが神に聞き入られることはない。時計の針は無情にも正確なリズムで刻んでいく。


 小鬼のような幅屋の調子づいた声と涙鬼の呻き声が聞こえるたび、何もできない自分を呪い、やがて神を呪った。


 いつの日だっただろうか。妖精を見たことも、おしゃべりしたこともあり、そして神を信じている母に対して、父は「僕は神なんて信じていないんでね」と遠慮なしに言い放ったのを思い出す。


 どうして母のことを信じてあげられないのか。その時は感情的にムッとしてしまったが、あとになって現実的に考えてみると、父は妖精のことは否定していなかったことに気づいた。


 優しくて、明るくて、妖精にも愛される母なのに、いつ倒れてもおかしくない虚弱な体で、ひとりでは自由に生きられない。天は二物を与えないからなのか、神は試練を与えるものだからなのか。


 理由は何にせよ、父は神のことをずっと批判的な目で見ていたのである。


 神の呪いは絶大。それに比べて人間の恨み辛みなど神は痛くもかゆくもないだろう。

 ならば遠慮なく神を呪っても差しさわりあるまい。神の存在を信じず、ないがしろにしている人間などたくさんいるのだから。


 神を呪うことに対する罪悪感は、幅屋の罵詈雑言でかき消されていった。


 あずまは考えた。父にありのままのことを言うべきかどうか。


 父は千堂家の事情も知っているようだった。友だちになってやれと言ったのも、そうでなければ涙鬼は孤独であり続け、心は救われないとわかっていたのだろう。


 途中、郡司吉祥と遊んでいた方がいいのではないかと父は言ったが、あれは意志の確認でもあったのだろう。たとえそこで涙鬼を諦めたとしても、おそらくは叱らず、裏で辰郎に謝罪を入れていただろう。


 辰郎を落胆させないで済んだという安堵感よりも、涙鬼を救い出せていないことへの申し訳なさに胸が締め付けられた。


 あずまは授業が終わるたびに教室を抜け出す郡司の方を見ることはしなかった。

 立場を気にして傷ついている人を見捨てる奴と仲良くするよりも、傷ついている人に寄り添い一緒に苦しむ方が、友情として意味がある。まるで神の教えであるかのようにあずまは強く信じていた。無論、神の教えなど今は聞く耳持てないのだが。


 鬼札の使い方を説明してくれた時のことである。父曰く、自分は琥将の手助けをしたことはない。奴が愛しのミクちゃんを必死こいて守っている間、勉強ばかりしていた。


 助けようとは思わなかったのか。あずまは純粋に尋ね、「まるで思わなかった」と平然と答えた父に愕然としたのだが、酷い人間だとは思うことはなかった。


 なぜなら母が楽しそうに父の表情を眺めていたからである。

「友だちだから恋のジャマをしたくなかったのよね?」と言われてしまった父が難しい顔をして、眼鏡の位置を直すふりをして顔を隠したからである。いつも眉間に余計な力を入れてしまう父だから、そこが赤くなっていたはずである。


「辰郎さんは強いから、負けるはずはないって信じてたのよね?」と母は言い、「余程の強い相手でなければコレで事足りると思ったんだ」と父が言う。微笑ましい夫婦なのだ。


 要するに、妖怪の血筋である辰郎や、妖怪退治を生業としていた一族の血筋である魅来と違って、父は何でもないただの人間である。助けようと首を突っ込んだところで、その首はただで済むだろうか。


 父は現実的に判断していたに違いない。何も力になれないので、勉強に没頭することで気を紛らわし、辰郎が無事に敵に勝つのを待っていたのだろう。


 何もしていないのに、辰郎は父のことを友だちだと思っている。十年経っても空港まで迎えに来てくれるほど、父のことが好きなのだ。あずまは彼らの関係性がうらやましくなった。


 それに比べて。あずまは思う。


 幅屋は間違いなくただの人間である。常に右目の奥にある感覚と違っていたから、だという。直接的に攻撃を受けたことで涙鬼がそれを断言した。


 鬼の呪いは悪意の塊である。幅屋から受け取った悪意は特殊でも何でもない凡である。

 人間なので、特別な力が込められている鬼札を使ってやり返すのは卑怯であり、もしものことがあれば千堂家に非があると見なされるだろう。


 人間同士なのに、なぜ立ち向かうことができないのか。

 郡司の制止はなくなったが、涙鬼に“待つように”と拒まれた。


 心の苦しみを取るか、体の苦しみを取るか。

 彼が悲しむから、あずまは動けなかった。父のように冷徹になれない自分が嫌だった。


 涙鬼があらゆる苦痛から解放されたのは放課後だった。

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