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千堂魃は家を出ていくつもりはない

 夕飯に呼ばれるまで自室にこもるか、道場で死体のように横になっているかの弟が、珍しく居間でテレビを見ている。その珍しさに魃は両眉を上げ、鞄を背負ったままこたつに足を入れた。


「今日は何もされなかったのか?」


 半信半疑の視線を受けながら、涙鬼の手のひらに幅屋を引っ叩いた感触がよみがえる。左手の甲の青筋がピクリとうねって熱が集まっていく。


 何もされなかった、と言えば嘘になる。あずまの席を悲惨な状態にして間接的に苦しめてきた。

 思いついたのは幅屋だろうか、それとも自分の手は汚さず指示したあとはニヤニヤ笑っているばかりの定丸だろうか。


「その様子だと、平和ではなかったみたいだな」


 涙鬼はリモコンを手にして音量を少し上げた。ローカルのワイドニュース番組で芸人がレジャー施設を紹介しつつギャグを飛ばしている。面白くなかった。


「……ポケモンっていつやってる?」

「ぶ」

「笑うな」

「悪い悪い。あずまが見てるんだろ?」


 涙鬼はしかめ面のままテーブルの光沢を見下ろす。


「友だちになれたか?」

「違う。話し相手」


 魃は爽やかに笑い声を上げ、言う。


「俺、家出るのやめる。ちゃんと残って進学することにする。なんか安心した」

「安心?」

「お前でも味方ができたんだ。これからもそんな風に続いていくなら、呪いを受け継いでいっても大丈夫なんだなって」


 朗らかに笑みを浮かべ視線を落とす兄に、涙鬼はぼんやりと見つめた。


 千堂魃は流し台にためた水に洗剤を混ぜ、両手を浸すという奇行に走る男である。


 一晩中なので、決まって翌日は休日という日に行う。ふやけた両手はもみまくり、擦りまくり、ハンドクリームも使って鬼の皮をポロポロ落とす。

 そうやって中からきれいな人間の皮膚がいずれ出てくるとこの男は妄想しているのである。


 ドラマや映画をテレビで見る時、愛情を表現している場面が来た時はこの男の願望の片鱗が現れる。

 涙鬼がちらっと確認すれば、必ずと言っていいほど惚けた顔で両手を優しくさすっている。おそらく本人は気づいていない。


 自室には新品の洗剤や使いかけのハンドクリームをいくつも隠してあることを涙鬼は知っているし、増えすぎて母に試供品だと偽って押しつけていることも知っている。

 痛ませたいのかケアしたいのかどっちなんだと涙鬼は言ってやりたかったが、言わない方がお互いのためと思っていた。


 少なくとも父は兄の奇行にちゃんと気づいていて、一時はよく兄の部屋で話をしていた。盗み聞きする趣味はなかったので、どんな会話だったのかは涙鬼も知らない。

 しかし今、その内容の一部に触れることができたようだ。兄は中学を卒業したら家を出ていくつもりだった。


「進学と決めたら勉強しないとな、間に合わなくなるから。ポケモンは金曜じゃなかったか?」


 魃は居間から出ようとする。かさり、と薬局の袋を片手に。


「あ、そうだ。お前、明日は十一月二日だって気づいてたか?」


 涙鬼は無言で返す。


「あずまに言ったか?」

「言う訳ない」

「素直じゃない奴め。ハッピーバースディ」


 魃は楽しそうに障子を閉めた。対し涙鬼は穏やかではなかった。

 自分が菜の花から出ていきたかったように、兄は家から出ていきたかったのだと知ってしまい、静かに心を震わせた。


 ずっと人前では明るく振る舞って、家族思いの頼もしそうな兄を務めてきた魃。

 何度か夜更けの奇行を目の当たりにしている涙鬼にとっては、表と裏の感情の落差でじりじりと自分の手で首を絞めているようにしか見えていなかった。


 いや、首を絞めていたのは呪いの方か。両手に宿る鬼が魃から離れようと皮をはがせていたのか。皮をはがすたびに兄の心も削がれていき、限界が近かったのか。


 グロテスクな右目のせいでいじめにあっている弟を、もうこれ以上は見ていられなかったのか。呪いのせいで家族が苦しむのを見たくなかったのか。


 あずまに言った祖父魁次郎の言葉を反芻する。

 一族はばらばらになり、滅ぶ道を選んだ者もいる……。


 祖父の兄も滅ぶ道を選んだのである。末代にまで及ぶだろう呪いを断絶させるために。


(俺が苦しんだら兄さんも苦しむのか)


 弟の苦しみに苦しみ、たったひとりでひっそりと生きていくつもりだったのかもしれない。苦しんでいる弟を置き去りにして、その罪悪感も抱えながら。


 ――その晩、満面の笑みで辰郎から渡されたのは子犬型ロボットのAIBOで、涙鬼はいつもに増して反応に困った。

 買ったのは辰郎だが、何日か前に“かっちゃん”に頼み込んでプログラミングを特別にしてもらったのだという。涙鬼はまだ会ったこともない子どものために時間をかける羽目になった“かっちゃん”を不憫に思いながら、ぎこちなく寄り添ってくる機械をじっと見下ろした。


「あずまからは何もないん?」と魃が辰郎に言う。辰郎はよくぞ聞いてくれたとばかりに両眉を上げた。


「その首輪があずまからだ」


 首輪というよりも花飾りだ。朱色の小さな花がたくさん。おこづかいでいつも母のために花を送っていたあずま。今月はこれのために使ってしまったらしい。


 花を生けたり育てたりするのを趣味としているチヨが「カランコエかしら」と興味深そうに呟いた。

 所詮は造花だ。実在する植物だろうが何らかの意味があろうが涙鬼にとってはどうでもよかった。


「この子はメスなのかい?」と魁次郎が辰郎に尋ねているのを横目に、涙鬼は今朝のことを思い返す。


(おめでとうって言おうとしてくれてたんかな)


 誕生日だったから校門の前であずまを待っていたのではない。たまたまだ。それでも前もって誕生日を知らされていたあずまにとって、特別な喜びを抱いてしまったのかもしれない。


(また来年か)


 あずまの思いを台無しにしてしまって歯がゆい。


“かっちゃん”は頬の傷に気がつくだろうか。

 涙鬼はチヨが作り置きしていたアロエの軟膏をほんの少しだけこっそりもらい、あずまに塗っている。それでも“かっちゃん”は目ざとく、我が子を傷つけた相手を呪うかもしれない。


 だから、あずまはきっと嘘をつくだろう。

もしかしたら、次回の分は投稿まで少し間が開いてしまうかもしれないですし、現状のままのペースで投稿できるかもしれません。

どちらにしても不定期更新なことには変わりないんですが、あまり遅くなり過ぎないようにします。

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