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日比谷あずまとは絶対に友だちになりたくない

「やめろ。もう俺に構うな」


 月曜日の朝。校門の前で待ち構えていた涙鬼の姿に、あずまは喜びを弾ませて駆け寄り挨拶しようとした矢先の言葉である。


「どうして?」

「なんでそうやって笑うんだ、腹が立つ。俺はお前が嫌いだ」

「僕は好きだよ、千堂くんのこと」


 涙鬼はぎょっとした。

 あずまは笑顔を絶やさない。だって、わざわざ校門の前で待っていてくれたのだから。嫌いだと言いながら会おうとしてくれたのだから。


「いっ、いい加減にしろよ!」


 涙鬼は肩を怒らせ声を荒げた。


「俺のことが好きでも、その千倍くらい俺はお前が嫌いなんだ。俺を無視してくれればもうあいつらにやられずに済むし、俺も菜の花から出ていける。本当に俺のこと好きだっていうならそうしろ。わかったか?」

「でも」

「わかったって言え」


 あずまは口をつぐむ。涙鬼は彼の両頬をつねって引っ張った。


「痛い痛い痛いっ!」

「わかったって言え!」

「いやだッ」

「俺のこと嫌いなんだなっ?」


 爪が頬に食い込んだ。ぎりぎりと口内の肉が潰れるかというくらいの遠慮のなさに、あずまはその手をはがそうとするがびくともしない。たまらず涙を浮かべても、涙鬼は力を緩めることなくギロリとにらみ続けていた。


「嫌いなんだな?」


 もう一度、押し殺すようにして彼は言う。


「わかった……わかったよぉ……」


 降参してしまうと涙鬼はぱっと手を離し、一目散に校内へ駆け込んだ。


 昇降口の前で十本の指を見る。何本か爪の先に血がほんの少しついていた。

 痛かったのはあいつの方なのに、じんじんして小刻みに動いている。


 そっと振り向いてみると、奴はとぼとぼと歩いていた。


 頬に傷があると、きっと郡司は気づいて幅屋か高矢にやられたのかと怒るに違いない。いや、高矢なら殴る蹴るの一発一発が大きいことをする奴だから、幅屋しかいないと郡司は考えるかもしれない。

 そして、やっぱりこれ以上は危険だから関わらない方がいいと、あずまを抑止してくれるかもしれない。


(俺は幅屋とは違う)


 幅屋がやるようなことをやった事実に(かぶり)を振る。


 これは日比谷あずまのためでもあるのだ。このままでは眼鏡を壊されたり体操服に着替えなければならなくなったりするだけで済まなくなる。頬をつねられる程度では済まないのだ。


 涙鬼は丹念に手を洗う。


(俺は兄さんとは違う)


 魃は人前で手を洗えない。「貴族みたいだろ?」と“ええかっこしい”の兄。

 まるで自分は呪いになんて負けてやいないとばかりに人前ではひょうきんな態度を取っているが、自分は知っているのだ。あの男の弱っちい姿を。


 涙鬼は思い返す。おとといの夜もそうだった。つい眠れなくて、布団の中でじっとしていられなくて、だからそっと廊下に出ると隣の兄の部屋のふすまが少し開いていた。

 閉め切るのをつい怠ってしまったのだろう。隙間を覗くと無人だった。


 ああ、まただと涙鬼は思った。案の定、下に降りると蛇口から水が流れる音がかすかに聞こえた。

 魃は台所にいた。流し元灯だけ点けてぽつんと立っていた。あの男はみんなが寝静まった頃になると流し台に水をためる。


 魃は視線に気がついて振り返り、聞いてもいないのに「眠れないから台所の掃除」と平気な顔で嘘をつき、洗剤を振った。

 昼白色の明かりのせいで顔が照り、温度のない人工的な笑顔に見えた。だから涙鬼も素っ気なく「そうか」と騙されたことにしてその場を去った。


 奇行に走ったということは走るに至った何かがあったということだが、どうせ学校関係なのだ。どんなに人間関係を改善させようが、通う学校が変わらない限り通う人間も変わらない。当然のことである。


 いっそのこと母親のようにぼんやりとしていた方が利口ではないのか。そうすれば勝手に時間は過ぎていく。


 涙鬼は水で光る両手の爪を見る。


(……俺がやったって言うんかな)


 あずまの涙目を思い出す。


 あいつは好きだと言った。本当に好きなら黙っていてくれるだろうか。

 仮に正直に話したとして、どちらにしても郡司は怒って距離を取らせようと間に立とうとするだろう。

 仮に自分が菜の花から去って、次の標的にされてしまっても郡司に守ってもらえるはずだ。


(あいつは……そこそこ良い奴だ)


 今年初めて同じクラスになって、唯一声をかけてきてくれたのが郡司吉祥なのだ。お近づきの印にと缶バッジを一つもらった。雪女というよりも雪娘というべきか、セーラームーンとかに出てきそうな女の子向けのデザインのキャラクターで、レアだと言われても涙鬼は正直いらなかった。


 幅屋たちからのいじめが悪化してからも郡司はちょいちょい構ってきた。そういえば殊久遠寺の頭部もちらちらと視界に入っていた。


 しかしある日、片方の頬を赤く腫らせた郡司に、女子の間では騒然となった。ちょっと休み時間にドッヂボールをして当たっただけだと澄まし顔だったが、本当なら硬いボールで故意に投げつけられ、嘘なら殴られたのだと涙鬼は悟った。

 殊久遠寺の方は無事のように見えたが、もしかしたら饗庭に何かされていた可能性もある。


 赤みが引いた後も郡司は構ってきて、涙鬼は無視することに決めた。本当なら缶バッジも返したかったが、返せとは言われないまま距離ができた。諦めの良い奴でよかったと思う。


 それなのに。それに比べてあいつは諦めの悪い奴で、郡司にリベンジするとまで言わせた。


(余計なことをしやがって)


 友だちがほしいなら、郡司と殊久遠寺とで仲良くやっていればいい。随分と楽しそうにしていたじゃないか。


(俺がいなくたっていいんだ)


 涙鬼は濡れた手を荒々しく降って水をまき散らした。

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