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千堂涙鬼にとって場違いでしかない

 南区に入ったのだろう。涙鬼は向かいの窓に“ぽん(はち)”が横切るのを見た。泰京市には四つの公式キャラクターがいるが、タヌキのぽん八は南の方角を担当している。


 公式プロフィールは『四六時中お腹がグーグー食いしん坊さん! いつか夢の中で見たあの大きなケーキを好きな子といっしょに食べたいな! モチロン半分こだよ!』で、イラストによれば大きなケーキとはウエディングケーキのことらしい。

 この設定の影響か、他の区と比較して南区のケーキ屋の軒数は倍多くあるという。涙鬼が今しがた見かけたぽん八もニッコリとほっぺを赤くさせて幸せそうに『あま~いケーキの町・あま町へようこそ!』というケーキの形をした看板を掲げていた。


 徐々に観覧車が見えてきた。その裏から洋上風力発電のプロペラが現れた。白みがかった五月晴れの中で雲を切ろうとするかのように回る白いプロペラは存在感があった。プロペラに扇がれて観覧車が動いているように見えた。


 南マリン水族館とサウスマリンパーク。動物園はさておき、水族館を選ぼうが遊園地を選ぼうが行き先は変わらなかったのだ。

 この姉妹館は境区から泰京湾添いを運行している市バスで一駅、簡単に行き来することができる。どちらかのチケットを買って半券を手元に残しておけば、その日の内はもう片方の施設のチケットが割引になるサービスがある。今回の“お見合い”は南マリン水族館だけの予定ではあるが、両者さえその気であれば時間が許す限りサウスマリンパークへはしごしても構わないという。


 幅屋たちの分の料金も、明子の厚意と権限によって付き人が支払うことになった。リムジンには運転手だけではなく助手席にも人がいたのである。一斉に押しかけてきた身分の幅屋は余計な負担をかけさせてしまった事実を素直に認め、ランドセルを置いて駐車場に降り立ってからすかさず深く頭を下げて謝罪と感謝をした。饗庭と殊久遠寺もそれに倣い、高矢は「うぃっす」と軽薄に顎を引いた。一歩下がった位置にいる山城までがつられて慌てて頭を下げている。


 運転手は車内で待機だ。それでも付き人を含めば九人という数に、あずまは「なんだか遠足みたいだ」と共感を求めた。


「なあ、あれヤバくね?」


 ふと高矢が幅屋に声をかけた。駐車場の向こうには最近リニューアルしたというジェットコースター“HOKUSAI”のレールと青い鉄骨に囲われた観覧車が見える。HOKUSAIは葛飾北斎の『神奈川沖浪裏』をモチーフにしていて、青い鉄骨は荒波を表している。頂から急降下する最初の数秒間、コースターは一度“つ”の字で折り返すので、最前列の乗客にはレールが途切れているように見えるだろう。そして一瞬逆さ吊りに近い状態になる。


 悲鳴はここまで聞こえてくることはなかったが、ちょうど茶色いコースターが音もなく荒波に飲まれていくところであった。


「うえー、ションベンもらすやんアレ」

「うわダッセ」


 奴らは好奇心にのっとって小突き合っている。涙鬼はしょうもないと心の中で毒づいておく。彼は娯楽施設の類に訪れた記憶はない。学校の遠足でどこぞのグリーンパークやらキャンプ施設に行った経験はあるが数には入れていない。楽しいと思った試しはないし、テレビで施設が紹介されていても行ってみたいと思わなかった。騒がしいところにわざわざ足を運ぶより、祖父から木版画の作るコツを教わりながら黙々と彫刻刀を扱っている方が性に合っているのだ。


 何組かの親子連れが施設に向かっている。幼い子どもがまだ見ぬ海の生き物を想って歓声を上げている。


「遊園地の方が良かった?」


 あずまが言った。山城ではなく自分に声をかけているのだと気がついて、涙鬼は条件反射のように「え、いや……」と後ろ向きの返事をした。幼児の奇声と重なって、あずまには聞こえなかったらしい。


「次はあっちに行こう。その時は吉祥くんも紹介できるといいな」

「あ、あ、じゃあ! 俺も紹介したいヤツがいっから! またみんなで会おうな!」


 幅屋が振り向き、厚かましく両腕を振った。山城はずっと表情が硬い。自信なげに頭をやや下げて上目づかいを続けている。少しくらい楽しそうなフリをすればいいのにと、涙鬼は自分のことを棚に上げてまで彼女の存在が異物に感じた。猫かぶりの明子はともかく、山城は他校の生徒だからでもあるのだろう。


「恵美歩ちゃん。お手」


 殊久遠寺が右手のひらを山城に差し出した。付き人がギョッとしている。山城は戸惑いながらそっと左手を出した。


「行こ!」


 殊久遠寺は山城と手をつないで歩き出した。


「あ、手をつなぐならあずまくんとの方が今回のテーマに合っていると思うナ」


 明子が余計なことを言う。そして殊久遠寺はそれを上回る言葉を放った。


「じゃあ日比谷くんは反対側つなげばいいんだもん」

「えっ」


 男子の声が重なった。だがその声の意味は各々違ったのだろう。たとえば饗庭は月9ドラマをやっているテレビにかじりついている女を彷彿とさせる眼差しである。


「エスコートすればいいんだもん」

「あはは。俺は構わないよ」


 やはり、あずまは満更でもなかった。山城の右隣に移動しながら「お手をどうぞ」と、親しみを込めていてためらいがない。対して山城は混乱してコロコロと表情を変えている。手を預けるべきか拒否するべきか、右手を宙でさまよわせている。彼女はちらりと明子の方を見やる。


 拒否したらいい! 涙鬼は心の中で訴えかけた。初対面なのだから、迷うくらいなら拒絶してやればいい。


「い、嫌なら無理してつなぐ必要はねぇからな! 女子は女子と手ぇつなげばエエんや」


 幅屋が代弁した。


「いきなり男と手をつなげって言われても、キモチワルイやんか」


 涙鬼はムッとした。


「あずまくんは気持ち悪くないよ。むしろ美少年よ」

「そりゃあ、このメンツだと一番イケてるだろうけどよ……」


 同じくムッとする明子に反論されて、幅屋はタジタジになる。


「うぐぐ。うう!」


 山城が唸った。決死の表情であずまの手をつかんだ。苦悶で顔を力ませているせいもあってか、耳が急激に赤くなった。


 場の空気に配慮して。自己犠牲のつもりか。それとも、本当は積極的に手をつなぎたかったが乙女心でためらっただけか。どんどん腹の底に不快感が蓄積されていくのを涙鬼は感じた。あずまから邪険に扱われればいいのにと思った。


 その時、涙鬼は面食らった。突然、幅屋が自分の手を強く握ってきたのである。


「じゃーあ、俺は千堂とカップルになるわー!」


 ふざけた調子でヤツは大声で言い放った。意味がわからなかった。


「おい、はなせ」

「いやん、いけずゥ」

「やめろキモチワルイ……!」

「ヒドイわん。でもそんなところもステキん!」


 寒気がした。本気で殴るわけにもいかず、ヤツの横面を空いている手でグイグイ押しやるくらいしかできない。


「むっちゅー」


 あろうことか、幅屋はひょっとこの面のように唇を尖らせ、手のひらに口をつけようとしてきた。涙鬼は慌てて手を引っ込めて、ヤツの脳天をパチンとはたいた。


「何やってんだよ、気色ワリィ」


 高矢が呆れている。饗庭はヒイヒイ腹を抱えて大笑いしている。


「ンもう、つれないんだからぁ」


 ニタニタ笑って体をくねらせる幅屋から解放されて、ついでにヤツの頭を叩くことができた涙鬼はムカつきながらもほんの少しだけ胸がスーっとした。


 ふと、涙鬼は付き人の顔色をうかがった。幅屋のようなクソガキまで面倒を見なければならなくなった彼女に同情した。


 三十代かもしれないし、五十代かもしれない、年齢不詳の人物。木蘭色の着物に藍色の薄いショールを首に巻いた女性であった。幅屋が高校球児よろしく頭を下げた時の「いいんですよ。大勢いる方が楽しいもの」という落ち着きのある低い声音と微笑み。貴婦人のような大人の余裕。ホームベース型の色白な顔で角ばった頬。間近で見ると化粧で隠しきれていない目の下のたるみ。

 涙鬼の目から見てお世辞にも美人と言い難いが、それを忘れさせてしまうくらいには一つ一つの所作、特に手の動きに目を奪われた。歌舞伎役者の女形のような色香があった。実際に、いい匂いがした。祖母が練り香水をその日の気分でつけているが、その中での白檀の香りに似ていた。


 幅屋のおふざけを目にしても、彼女は温かく見守っているようであった。子どもがやっていることだから、大目に見ているのだろうか。そう考えると、同情は揺らいでしまう。あくまでも明子の付き人なので、他はどうでもいいと思っているのかもしれない。


 チケットを購入した後、付き人は明子に言う。


「明子さま。館内では他のお子さまのお手本となれるような振る舞いを心掛けてくださいましね」

「はい」

「走り回ったり、大声を出したりしないように」

「そのようなはしたないマネはいたしません」


 明子はお淑やかに片足を少し引いて膝を曲げた。ふと目が合うと、明子は片眉を跳ね上げた。正反対のレディを演じ続けるのがいかに窮屈で面倒か伝わってくる。


「どうかお友だちの皆さんも、ご迷惑とならないようにお気をつけて」


 付き人が振り向いて軽く頭を下げると、幅屋が一番に「気をつけます」と応じた。おふざけモードから一転して、まるで自分が班長であるかのような真面目腐った態度をしている。リムジンに乗ってから外した眼帯はそのまま付け直さずにいて、焦げ茶色に()せている右目を器用にも左右に振っている。


 高矢は気だるげに首を傾げたまま付き人の方を凝視していた。ズボンのポケットに手を突っ込んでいて、時折もぞもぞと中身を探っているように見えた。


(ヤツは“ないふ”をたしかめている)


 思考がよぎる。しかし、アレは夢の中の話であったはず。高矢が現状ナイフを所持していても不思議ではない。気に食わないヤツは殺そうと思えばいつだって殺せるのだと、粋がっているのだろう。言い換えれば、ナイフが手元にないと強がれない情けないヤツということだ。一般的に考えて、小学生が普段から刃物を身に着けているなんてありえない。平等の範疇から超えている。ルール違反をしなければ勝つことができない弱っちいヤツなのだ。


(ナイフを持ってるからってなんだ。しょうもない)


 涙鬼は鼻を鳴らした。


 まだ昼食をとっていない一行がまず向かったのは施設内にあるレストラン。予約を取っていたのか、それとも付き人が顔を利かせたのか、並んでいた客よりも先に中へ通された。


 殊久遠寺が感嘆の声を上げて山城を引っ張る。あずまも引っ張られる。ウェイトレスに案内されたのは壁一面の巨大な水槽側のテーブル席で、ちょうどマンタが間近を遊泳しているところであった。マンタを避けながら無数の銀色の魚がスイミーのように一体となって泳いでいる。巨大な岩陰や沈没した海賊船の残骸の間や大砲や宝箱の中にも魚が潜んでいる。


「映画みたい」と殊久遠寺が言った。涙鬼も自分が酷く場違いのように思えた。実は夢の中にいるのではないか。そう思った。

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