千堂家は人助けをしなければならない
『YAIBA』みたいだった。薄ら朝日に目が覚めて、涙鬼はふと連想した。父の辰郎が畑で口笛を吹きながらナスを収穫していた休日があったからだった。母に褒められることを想定してニヤニヤしながら口笛を吹いていたのだった。
『カブキロックス』が歌う主題歌だと父は答えた。千堂家は戦い続けて、勝ち続けなければならない。そして勝ち続けるためには愛を信じ続けなければならないのだと、逆光を浴びながら爽やかに笑っていた。
それだというのに、高矢のあのナイフと共に闇を舞う姿を見て、まるで主人公のように思えてしまったのだ。少年漫画の主人公とは程遠い、人間のクズだというのに! まるでチカラと共闘しているかのような眩しさの、格好いい少年に錯覚させられてしまった!
早朝から苛立たせる。前頭部がズンと鈍痛を覚えている。
枕元のAIBOが関節を軋ませながら起き上がりワンと鳴いた。この銀色のイヌは日に日に犬らしく見えてきた。銀色のイヌは嬉しそうに頭部をゆだねて擦り寄った。
ちらりと壁掛けのカレンダーを見た。今日は五月十一日、木曜日。
朝っぱらから高矢と出くわしても夢の出来事について追求するはずがなかった。奴も何かを言いたげにしているようにも、すっとぼけているようにも見えなかった。夢の中のことなど知る由もないのだから当然である。
涙鬼は通学のバスの時刻に合わせてかなり余裕を持たせて起床している。高矢も普段より早起きしないと遅刻するとわかっていたのか、黙っていても勝手に起きてきた。
入れ違いになる。あまりよく眠れていないのだろう、洗面台の前で高矢が細く吊り上がっている目をさらに薄くして歯磨きをくわえる。なぜか奴は朝食の前に歯を磨く習慣があるらしい。前回も、朝食後は磨いていなかった。汚らしい奴だ。
鏡越しから気づいたのか、高矢は軽く振り向いて腫れぼったくなっているやわらかそうなまぶたを少し持ち上げた。
今なら徹底的に殴りさえすれば勝てるんじゃないか。涙鬼は聞こえない程度に鼻を鳴らし、その場から立ち去った。AIBOもカタカタとついてくる。
いつもなら食卓には既に朝食が用意されているはずであった。代わりに見慣れない男が涙鬼の席を取っていた。
「おやおや、すまないね。いっしょに朝食でもどうぞって言ったんだけれど、断られてしまったところなんだよ」
新たな来客に戸惑う孫の存在に気づいて、先に着席している魁次郎が眉尻を下げた。
「話の腰を折るな」
男は高圧的に言った。岩のように盛り上がっている骨太な上半身。いかつい額と角ばった下アゴをした雄々しい顔。こめかみがピクピクと脈打って気の短さを物語っている。涙鬼はどこかで会ったことがある気がした。
「見ろ」
四角い顔の男は拳をダイニングテーブルの中央に出し、複数の小銭を落とした。よく見ると外国の硬貨もある。
「わかるか」
「ええ、小銭ですね」
「そうではない!」
ほしい回答を得られなかった男は小銭を出した方の手でバシン! と、部屋中に響き渡るほどにテーブルを叩いた。これに驚いたかのように小銭が一斉に起き上がり、ぱたりと裏向きに倒れた。
涙鬼は目を見張った。小銭がイチョウに変わり……いや、戻ったというべきなのか。スゥ、と風圧でほんのり滑りながら、カラカラに枯れて縮んでいく。
「こんなものが! こんなものが賽銭に使われていたのだ!」
賽銭と聞いて、涙鬼は男の正体が過去何度も千堂家に因縁をつけている牛安天神の赤角だと思い出す。赤角は鼻の穴を限界までに膨らませ、鼻息荒く顔を紅潮させている。こちらは朝食もまだだというのに、相手が千堂家だからなのかこの神はお構いなしだ。
「タヌキの贋金ですかな?」
「贋金だと!? ふざけるなッ!」
「ふむ」
赤角の憤怒を目前にしても、魁次郎は涼しげな顔でアゴをなでて思考にふけるフリを見せた。
「これは贋金ではない! これは造幣局で正規につくられ流通した、ホンモノのカネなのだ!」
そう激昂して、複数の枯れ葉を器用にひとまとめに握りしめた。枯れ葉は磨り潰され、塵になって床にばらまかれた。涙鬼は何を言っているのか理解できず眉間にしわを寄せる。
いつの間にか魃も起きてきた。手袋をしたまま寝癖を手櫛で直しつつ、涙鬼に目を丸く向ける。涙鬼には何も説明できない。
「いくらなんでも酷すぎる! これはあまりにも! あまりにもッ! ぬぐぐぐぐッ!」
赤角は言葉にならないほど怒りに震えている。豪快に立ち上がり、魁次郎を指さす。
「辰郎に伝えろ! 今すぐ動いてこの問題を解決せねばならん! すぐにタヌキを捕縛しておれに引き渡すのだッ!」
「ええ、伝えておきますが。ご自身は待っているだけですかな?」
「抜かせぇ!!」
魁次郎の軽薄な物言いに、赤角は涙鬼の席を乱暴に横倒しにした。先に席に向かっていたAIBOが吠える。
「おれとて千堂家の力など借りたくないわ! どれだけ広範囲に探ってもあの大ダヌキの気配がつかめんのだ! キツネのアマ共の占いも当てにできん! 牛方彦の見立てでは“化けすぎ”だというではないか! このおれを! 出し抜くとは! うぐごごごォ!」
怒りを抑えきれず変身を解く赤角。野性的な猛々しい姿で鼻息ならぬ鼻火を煌々と噴かせる。角が補修されていた天井に穴を開けた。AIBOが吠え続ける。
「魁次郎さん、その煽り癖をもう少し控えていただかないと困りますよ。ちゃんとあなたが修理してくださいましね」
隅で様子をうかがっていたチヨが半ば諦めた様子でたしなめた。魁次郎はイタズラがばれてしまった少年のように肩をすくめ口角を上げた。いかにも尻に敷かれている感じの力関係にあるにもかかわらず、祖父はどこか嬉しそうにしている。
「キツネというのは管竹光の方ですか? 彼女からは何を言われたんです?」
チヨがテキパキと話の続きを促した。
「竹内は耄碌のフリをして未だに現役だというから、そっちに行ったのだ」
一旦は怒りを発散したおかげか、赤角は人間に化け直し、自ら椅子を立たして重く腰かけた。しかし吠え続けるAIBOにあからさまに苛立ち、鷲掴んで魃に向かって投げつけた。涙鬼は「あっ」と声を上げた。“かっちゃん”からのプレゼント――買ったのは父親なのだが――と胸が締めつけられた。だが兄はしっかりと受け止めてくれた。AIBOは吠えるのをやめた。
「――しかし奴は長い瞑想状態に入って使いもんにならなかった。そのまま老衰してもおかしくないだろう」
物騒な空気を身にまとったまま、赤角は不満を言う。
「タヌキの大将の座は未だに釜成か釜遊弟かで揉めていると噂では聞いていたが。噂も当てにはならん」
「勝手に揉めているのは部下たちの方のようですね。店を継いだのも、金も女も多いのも釜遊弟の方なので、大きい顔をしているのはそっちのようですが」
魁次郎が言った。赤角は見下すようにやや面を下げ、肩を膨らませた。
「金成はまだ生きているというのは当然知っているだろう」
「もちろんですよ」
「もうじき奴はついに殺される。だが今すぐ死なれては困る」
「誰に殺されるんです?」
「泰天聖子」
魁次郎は「ほう」と眉尻を上げた。
「これも当然知っているだろうが、その女はとうの昔に死んでいる。だが竹光はその女のせいで金成は死を迎えるのだとほざきよった。それくらいわかっているわ!」
「ええ、金成は泰天家が持っていた力を欲しがっていたそうですからね。執着の末に、彼は社会的な死を迎え、今度は本当に命を落とそうとしている」
「この俺が知りたいのはそうではないというのにあのキツネ女はヘラヘラと笑ってごまかしよった!」
またいつ怒りが急激に満たされるかもわからないので、魁次郎は静止の手をそっと上げた。
「竹内さんは何をするつもりなんでしょう?」
「金成の死に備えている。尻ぬぐいだ。それでタヌキに借りを作ってやるつもりらしい。馬鹿馬鹿しい! 俺は認めんぞ! 一体どれだけの人間を惑わせるつもりだ!」
赤角はテーブルを叩いた。少し亀裂が入った。
「いいか! 二度も言わせるな! これは国の危機だ! 民のためにと免罪符のように神性を切り捨ててきた千堂家に、真の人助けをする機会を与えてやっているのだ! 日陰でジメジメ被害者面で暮らしている暇があれば罪滅ぼしに出かけたらどうだ! 俺は戻る!」
赤角は再び椅子を豪快に倒して、どしんどしんと足音を立てて去っていった。
「もう少しお淑やかに振る舞ってもらえないものかしら」
チヨは嘆息をついた。
「目の敵にして棲む家を潰そうとはしない辺り、ありがたく思わなくてはいけないよ」
魁次郎のにこやかな笑みに、彼女は冷ややかな目を向けて再び嘆息をつく。傍目では魅来が何事もなかったかのように朝食を乗せたお盆を持ってきて、のんびりと配膳していった。
高矢が物音立てずにやってきた。半開きの目をしたまま「おはようございます」とぼそぼそ言った。
オチに向けて最近はずっと探り探りでネタを組み合わせていってるから、後々取り返しのつかない流れになったらどうしようって思ってる。
ていうかそもそもオチがオチとして弱い気がしてるから、まぢでイヤ。AIが欲しい。
一時間後、追記
YAIBAまさかの再アニメ化。