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千堂涙鬼は忠告を聞き入れたくない

 涙鬼は夢を見た。真っ暗闇に包まれている夢だ。死後の魂が行き場を失って揺蕩(たゆた)っているような……。しかし孤独感に襲われずにいたのは……いや、違う。慣れ親しんでしまっていたのは、奴と重なり合っているからだろう。


 どこまでも無限に広がっている暗闇。光源はどこにもないというのに。どんなに返り血を浴びてもするりと流れ落ちてしまいそうな、穢れを知らない白磁のような肌。対して人間らしい暮らしを捨てた老婆のような汚らしい長い白髪(はくはつ)。獰猛な腕、手、爪。生命力があふれんばかりの強靭な大胸筋を持っていながら、下腹部は飢えた犬のように骨が浮かび上がっている。ところが下半身からはまた強靭なのである。

 狩りこそすれ食うことはない。誰かのために健気に狩りをして、肉を与え続けている。そんな白獣鬼(はくじゅうき)の、馬鹿らしい自己犠牲の印象を涙鬼は抱き続けている。


 どこからともなく水中の音がこだましている。不均衡な体を胎児のように丸まって、いつか外へ破り出てやろうとひっそり考えているのだろうか。

 起きている間はコイツが自分の中にいて、眠っている間は自分がコイツの中にいる。どっちにしろ、涙鬼は不自由を味わっている。対話するわけでもない。ただ魂に寄り添うかのように癒着して、夢の中でさえ千堂家の呪いの存在から目を反らさせてくれないのだ。


 しかし今夜の場合は違った。


 ふいに、白獣鬼は丸まっていた体を緩め、空を四肢で蹴った。闇を宙返りする。青白い光の尾が湾曲に闇をなでて、亀裂を入れたかのように見せた。


 光というよりも火のようにも見える。鬼火、というやつだろうか。冷たい色をした鬼火がニタニタと気色の悪い笑みを浮かべていたのを、宙返りした際に目についた。イタズラに成功した悪ガキを彷彿とさせるモノに、涙鬼は胸糞悪くなった。


 ところが。白獣鬼はまったく意に介していない。夢の中ではコイツの(ふところ)の方が優勢で、涙鬼は不本意ながらも、いや、その気持ちすら薄らいでしまい、あっという間につられて心に余裕ができてしまった。


 ――ブブン!


 鬼火が痙攣する。闇を絡ませながら、空間ごと振動する。嫌らしい笑みが引き延ばされて千切れ、光を破裂させると、そこにはサバイバルナイフを持った高矢孝知が立っていた。


 何の前触れもなく家にやってきた高矢。頬を引きつらせながら遊びに来てやったなんて見え透いた嘘をつかれ、問答無用で追い返してやりたかった。けれどヘタに対応して怒りを買ってしまったらあずまにも迷惑がかかる。


 扱いに困っていると祖父の魁次郎が奴を引き受けてくれたが、こともあろうに二度目のお泊りがこちらの許可もなく決まってしまった。まさか高矢が今は友人関係にあると嘘をついて、それを鵜呑みにしたとでもいうのか。性善説を信じている節がある祖父なら、すっかり更生していると勝手に思い込むというのはあり得る話だ。


 父の辰郎が帰っていてくれていれば息子の気持ちを瞬時に汲み取って渋ってくれたかもしれない。妊娠が発覚している母の魅来の体調を泣くほど気遣っているのに、今夜に限っていないのだ。

 一度目と同様に、高矢と兄の魃の間にひっそりとした緊張感があった。魃はあからさまに他所向けの笑みを作り、それを高矢は見向きもしようとしなかった。


 一方で母の魅来の唐突な声かけにはすんなりと応答していた。一見無愛想でしかなかったが、どこか素を感じられる態度であった。

 母に対しては心を開きかけている。なんだコイツ、気に食わない。


 正直な話、食卓に着くまでの間に祖父が高矢と何を話したのか気になっている。これも一度目と同様に。


「どこまで知っている」


 白獣鬼を通して、涙鬼は問いかけた。


「何が?」


 夢の中の高矢は明後日の方向に首をひねる。


「じじからどこまで教えてもらったんだ」


 自分だって、おそらくすべてを知らされているわけではない。千堂家にまつわる昔話をおとぎ話のように夜な夜な聞かされてきたが、肝心なところをぼかされている気がする。そのモヤモヤを白獣鬼に明かしてみたことだってある。けれど白獣鬼から答えは返ってきた試しがない。

 もっと対話をしてみることだよ、孫や。祖父からそう言われたから忠実にこなそうとしたのに、白獣鬼の方がその気がないのだ。


 高矢はナイフをくるりと軽く放って逆手に持ち替えた。


「だから、何が?」


 わざと煽っているのだとわかっていたが、揺さぶられた感情は止まらなかった。どうせ夢の中だから。白獣鬼は闇を蹴った。闇を跳び、ぐるりと縦を軸に一回転しながら高矢に向かって両腕を広げた。幾重もの十字閃(じゅうじせん)が高矢に降りかかる。ところが、奴の持つナイフからまたしても不敵な笑みが浮かび上がる。ナイフの切っ先に小さな六角形の電光がほとばしる。


 何かが暴発したかに見えた。だが過ちではなかった。高矢が高く跳躍したのだ。


(いや、ちがう。とんだのは“ないふ”だ)


 すぐさま考えを改めたのは、白獣鬼の思考の影響だろうか。


 夢の中に居すぎると、思考はおろか……魂も白獣鬼に乗っ取られてしまう。そんな不安をかき消すために、涙鬼は高矢への八つ当たりを目論む。どうせ夢の中だから。そして当然の権利だから。


 しかし、どんなに攻撃をしかけても、高矢はナイフを使って避けるばかりだった。魔法のホウキならぬ魔法のナイフで稲妻のように頭上を鮮烈に飛び回っている。


 鬼さんコチラ――実際にそう口にはされていないが、からかわれていることぐらいケラケラ笑い続けているナイフで一目瞭然だ。


「お前、キレると見境なくなるタイプだろ」

「……誰のせいでッ!」


 涙鬼の心がささくれ立つ。コイツらにだけは言われたくない。人前でも構わず暴力を振るってきたコイツらにだけは。


「俺はずっとガマンしてやったんだッ!」

「仕返しができねぇビビりやろ」

「俺はお前らとは違うッ!」


 夢の中なのに右の眼球が熱い。前頭部が煮えたぎっているみたいだ。


「おーおー、きめぇきめぇ」


 高矢は無愛想な面のまま嘲笑を吹かせる。


「で、結局やっちまうんだろ」


 鬼火が頭上で揺らめいている。ゆらり。ゆらる。ゆらり。ゆらる。それを見続けては催眠術にでもかかってしまいそうだ。


「このままじゃ、テメーは日比谷をぶっ殺すぜ」

「ナニ?」

「日比谷のことがメッチャダイチュキぃな千堂涙鬼クン。テメーはそのうちブチギレて、ついウッカリ日比谷をブチ殺すことになるぜ!」


 高矢は嘲り罵った。涙鬼の心が激しく波打つ。


「ふざけるなッ!」


 吠える。闇も波打つ。


「俺が、俺が日比谷を殺す訳ないだろうッ!」

「だからウッカリつったやろ」


 凶悪な面の鬼を前にして、なおも高矢は余裕しゃくしゃくの態度を取り続けた。


 噛み殺してやろうか。


(ほんとうにそれでいいのか)


 一体どれが自分由来の思考なのか曖昧になってくる。


 高矢はジグザグに避ける。


「俺はせっかく忠告してやってんだぜ」

「一体なにが目的なんだ」

「てめーが思ってるほど日比谷はイイ奴じゃねぇんだよ。いずれガッカリするだろうなぁ」

「お前も……日比谷のこと知ったふりをするな」

「少なくとも、てめーより知ってるぜ」


 なんで。

 なぜそう言い切れる。

 俺の知らないところで、日比谷はコイツと仲良くしているのか。


「マジできめぇな」


 スッと、高矢は真顔になって言った。心底そう感じているという具合だ。


『傷口に塩を塗るような真似は控えるべきだ』

『相手は千堂家なのだから、これくらい厳しさの範疇(はんちゅう)でもないだろう』


 今度は紫色の鬼火が高矢を取り巻く。


「いいか。俺は忠告したぜ。マジもんのバケモンになって誰かを殺したくなけりゃソイツを調教してやる勢いでどうにかしろ。そんでもし人間じゃなくなったそん時は、俺が代表してぶっ殺してやるよ」


 高矢は涙鬼を見据えたまま後方へ跳躍して闇から消えた。


「なんだよッ! クソッ! 偉そうに! クソッ!」


 白獣鬼は爪で空を斬り続けた。

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