害獣は放置してはいけない2
本当はもう少し続き乗っけようと思ったけど、三月になりそうだったから区切る。
だから次回はこれよりも短い。
春日井まことは状況を理解するのに躍起になった。龍が土砂降りを招いたのは空目だったのか、しかしは間違いなく火は消えている。苦労が水の泡になっているのだ。それとも、灯油をまいたのもチューリップを燃やしたのもすべて夢だったのか。
いや、火を放ったのは確かであることを頭上のオトコから告げられている。それとも、このオトコの存在すら夢なのか。
両手首にひんやりとした……金属。これは、手錠だ。オトコの姿を見るために上半身をねじろうとすると力強く押さえつけられて、アスファルトのざらつきに頬が擦った。子ども相手になんて乱暴な奴なんだ。
この人物のことを親に告げて、社会的に処分してやる。そう決意することで怒りを鎮めて気持ちを立て直そうとした。そしてどうにか首を曲げて顔を上げると。春日井まことは目を見張った。
「……なんで」
自分の家が目の前に建っているのか。
純粋な疑問を、オトコは間違って解釈して謝った回答をする。
「放火魔がこの家を標的にしているという、匿名の通報があった。もともと俺の担当じゃなかったんだけどな、何年もたって俺に回ってきたってことはオマエ、ただのニンゲンじゃねーんだろ?」
春日井まことは意味がわからなかった。
「僕じゃないよ。僕は何もしてない」
「リュックの中にペットボトルが入っているだろう?」
「ちがうってば!」
もしも、本当に自分は自分の家を燃やそうとしたのだとしたら。この、警察官らしきこのオトコは、家が燃え始めるまで黙って見ていたということなのか。
オトコに無理やり立たされて「イタイ!」と声を上げた。スーツを着たオトナが三人集まっている。
でも、何かがオカシイ。春日井まことはこのオトコの体格が自分と大して変わらないと気がついた。
「あーもうなんだよ! 僕なんにも悪くないってば!」
「人様の家を燃やそうとしておいて何言ってんだ」
「ここ僕のウチだもん!」
「ボクのウチだもん~?」
やけに声が低い、警察官ごっこをしているガキは小馬鹿にしたようにオウム返しした。
「奥さん。彼はこう言ってますが、ご家族ですか?」
スーツのオトナたちの隙間に、パジャマ姿の母親が自分には向けたことがない恐ろしい形相で立っていた。
「そんなワケないでしょッ!! さっさと連れてって頂戴ッ!!」
ちぎれんばかりに首筋を張り詰めて金切り声を上げた母。夜中に黙って家を抜け出したのを怒っているのだ。
「ねえお母さん!」
「やめて気味が悪いッ! こんなッ……こんなッ……!」
罵倒の言葉を選ぶ余裕もないほどに彼女は怒り狂っている。
「どうしたの? お母さん……」
「ああ、まーちゃん。起きちゃったの? 騒がしくてごめんなさいね?」
春日井まことは目を疑った。母の背後から自分がひょっこりと眠気眼で現れたのだ。母はいつもの調子でもう一人の自分の両頬をなでて甘やかした。
ちらり。にやり。
もう一人の自分がこっちを見て、目を細めた。
「ニセモノだ!」
春日井まことは大声を上げた。
「そいつはニセモノだ! 妖怪ジジイが化けてるんだ! 僕がホンモノのまことだよ!」
今すぐに母のもとに飛び込んでいきたいのに、がっちり拘束されていて動けない。足の裏で警察官ごっこのガキのスネを蹴っても岩みたいに硬くてびくともしない。
「ナニあのヒト、こわい……」
ニセモノがプルプル震えて母にしがみつく。
「ちょっと! はやくそいつをどっかにやってッ!!」
「あとはヨロシク」
春日井まことはスーツのオトナに押しつけられた際に、警察官ごっこのガキの方に振り向いた。が、目についたのはスーツの前ボタンで、彼の素顔はきちんと面を上げないと見ることができなかった。ガキではなく、声に見合った立派な体躯の男であった。
警察官であるはずの男の髪は黄色い。そして瞳も。我が家の玄関の明かりを背に、瞳が獰猛に発光している。
ただのニンゲンではないのはコイツの方ではないか。
オトナたちに押しつけられたはずなのに、今度はこいつらの身長が縮んで自分と同じくらいになっている。もう訳がわからない。
春日井まことは何度も身の潔白を主張して、母を呼んだ。母はニセモノの背に腕を回して家へと帰っていく。
現れたパトカーに押し込まれそうになって、暗い窓に映るオトコの姿を見た。
「誰だよコイツ!」
誰も答えてはくれなかった。
黄色い髪の男はその場に残して、春日井まことと三人の警察官を乗せたパトカーは走り出す。
元の大きさに戻った警察官に挟まれて、春日井まことは自棄になって言う。
「僕はまだ子どもだから逮捕できないよ」
すると、運転している男が静かに喉を鳴らして笑った。
「アタマがオカシイふりをすれば罪を免れると思っているのなら……だいじょうぶ。ちゃあんと、まともな弁護士を用意しておくからね」
「僕はおかしくなんかないやい!」
「そうだね。オカシイのはこの街の方だ。未だにクソオヤジの遺産があちこちにいやがるしさ。まあ、まだちゃんと死んでねぇけど」
突如として意味不明な方向に話が飛んで、春日井まことは呆けた。
バックミラー越しに目が合う。ナイスミドルと称するにふさわしそうな、しかしその一方で胡散臭さも感じさせる男である。
「とはいえオヤジを社会的に抹殺するのにね、重豊さんにはメッチャお世話になったからさぁ。こうしてキミをオカシイ街から隔離してあげることにしたってこと。さすがに辰郎くんも気づいてストップかけてくるカナって思ったんだけど。彼、友好的じゃないヤツに対しては子ども相手でもケッコー冷たいんだってこと再確認させられちゃったよ。つくづく敵に回したら厄介な男だ。は・は・は」
運転手はペラペラと何らかのネタばらしをして軽薄に笑い声をあげた。意味不明すぎて怖くなってきた。
クスクスクス。
左右から女の艶やかな声が聞こえた。むっちりとした太もも。男の警察官に挟まれていたはずなのに、いつの間にかミニスカートの、化粧の濃い女に様変わりしていた。甘ったるい香水の匂いが充満する。なんだかくらくらする。
「そういえば、ヘビの若旦那は今夜のこと知ってるのかしら?」
片方の女が脚を組み替え、色っぽく運転手に問う。
「これくらいのことでキレるほど、お堅い坊やじゃないよ。むしろ感謝するべきだろ」
「たしかにぃ」
女二人は手を叩きながらキャッキャッと下品に笑いだす。運転手は後部座席に身を乗り出すようにして、ずいっと顔を近づけてきた。
「家に帰りたくなっちゃった? でもね、明日になればあの家もオシマイになるっぽくて、ゴタゴタに巻き込まれないで済むんだ。よかったね、身代わりがいてくれて。はは・はは・はは……!」
ハンドルから手を放しているのに、パトカーは走り続ける。
やっぱりこれは夢なのだ。明日こそ、妖怪の館を燃やしてやるのだ。
春日井まことは早く目が覚めるのを延々と待ち続けた。覚めることはなかった。