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郡司吉祥は助けることができない

また割り込みしました。

 浅緋の大通りに克義のホンダ・インサイトはあった。


「あいつ車買ったのか?」

「おばさんから借りてるって言ってました」


 辰郎は苦笑した。


 克義の仕事は自宅でもできる。優秀な彼なら妻の健康状態を理由に在宅勤務も許されるだろう。アースセキュリティへの転職を決めたのもそれが要因らしい。しかも日比谷家が今住んでいるところは交通の便がいい。


 それでも車を必要とするのは妻みさ子の存在があるからに他ならない。借りているのではなく、押しつけられたのだろう。いざという時に病院に運べるように。


 日比谷一家が泰京市に帰ってくるという一報に躍り上がったのは何も辰郎だけではない。空港まで迎えに行ったのが彼だけだったのがむしろおかしいのである。

 実のところ、辰郎にしか帰国の日程をみさ子は知らせなかっただけなのだが。


 克義は助手席の窓を開けるなり辰郎に言う。


「何も手を出してないだろうな?」

「ハァー?」

「お前はバイセクシャルだからな」

「ロリコンでもショタコンでもねぇわ。俺はミクちゃん命だ。てか、子どもの前で何言ってんだ」

「お前こそ何を馬鹿なことを言ってる? ロリコンだの」

「いやいやいやいや、お前だろ言い出したんは。お前やっぱマジで変わんねーわ!」


 あずまは淡々しゃべる父と感情豊かに焦ったり喜んだりする父の友人のやり取りをきょとんと見た。


「とっとと帰るぞ。乗るんだ」


 あずまが助手席のドアを開けると、辰郎が「ちょい待ち」と呼び止めた。彼は懐から小さな長方形の紙を取り出し、あずまに手渡した。


「何の紙ですか?」


 克義が「鬼札おにふだか」と懐かしそうに言った。


「三枚やるな。初心者でも簡単に使えるようにミクちゃんが作ってくれたから、困った時はこれを使え。悪いことには使うなよ?」

「はい。ありがとうございます」


 あずまが辰郎と握手を交わして車に乗り込み、克義は発進させる。サイドミラーに手を振る辰郎が見えた。


 あずまは暮浅緋の山を見上げる。頂上は夜に溶け込んで見えなかった。


「何もされてないか?」

「されてないよ」

「涙鬼くんをいじめている奴らにだ」


 克義は目を大きくさせるあずまをちらっと見る。


「されてないよ」

「乱暴されてないか?」

「うん」

「ならいい」


 あずまは顔色をうかがった。父は無表情で前方を見ていて、何を考えているのか察知できない。


「どうしていじめられているのかわかったか?」

「千堂くん、右目失明してて、それでガーゼしてるんだよ。ひどいよね、見た目でいじめるなんて……」

「そうだな」

「魃さんはね、ご飯を食べる時もずっと手袋をしてた。手が荒れてるんだって。もしかしたらみんな体が弱いのかも」


 まだ真実を聞かされてないらしい。そう簡単には言えるものではないのだ、あの一族の秘密は。

 誰かが明かすとすれば、それは涙鬼しかいないだろう。下の名前で呼ばせてもらえていないあたり、距離を縮めるのに苦労しているに違いない。


 辰郎が魅来に猛烈にアタックしていた日々を何となく思い出した克義は微苦笑を浮かべる。随分と諦めの悪い男だったが、そんな様子を飽きもせずに見続けていた自分も相当変わり者かもしれない。


「これからも仲良くなりたいか? 吉祥くんって子と遊んでた方がいいんじゃないか?」

「ううん。千堂くんとも仲良くなりたい。千堂くんと友だちになれたら、吉祥くんも千堂くんと友だちになれるよ。吉祥くんもチャレンジしたんだから」

「……お前は優しい子だな」


 カウンセリング以降、変わってしまった我が子が恐ろしく思える時がある。この子は自分から両手を広げれば世界のすべてが自分を受け入れてくれると信じている。


 しかし、すべてを招き入れようと無理やり築き上げたレンガの家は、見た目に反して狼の一息でもろく崩れ去る。

 まだ子どもなのだから砂の城で十分ではないか。それなのに、この子はまたレンガの家を、それも前よりも大きい家を建てようとしている。


 はたしてカウンセリングは成功したのだろうか。

 もちろん、内向的で独善的でほんの少し言葉にとげがあった頃よりも、セミの抜け殻のように心をぽっかり失くしていた頃よりも、断然に今のあずまは我が子として可愛らしく好ましい。


 ただ、これは心を取り戻したというよりも、心を新たに構築した、という表現の方が近しいと気がしてならないのは杞憂だろうか。

 本当は実の両親である我々が何とかすべき問題だったのではないのか。いや、専門家がいるのだから正直に頼って何が悪いと言うのか。家族だからってすべての選択が正しいわけがないのだから。


「これ、どうやって使うのかなぁ?」


 あずまは三枚の札を見つめている。車道の明かりで彼の瞳がきらりきらりと光っては陰る。みさ子のように、夜の海のように深い色をしていた。


 一方その頃、辰郎は何食わぬ顔で足を止め振り返っていた。


「どうしてあそこの鳥居が“あんな風に”なっているか知ってるか?」


 風が頭上を吹き抜け、竹がひしめいている。


「神様は俺たちを守らなくていい。守るためにこの道を通ったりしなくていい。そういう意思表示だ。別に何でもかんでも大歓迎って意味じゃねぇんだなあ」


 姿は見えないが、視線がチクチクと冷たく、小さく突き刺さる。


 辰郎は大袈裟に溜め息をつく。


「そう殺気立たれてもな。理由言えないか? 俺は子どもには優しいつもりだかんな」


 パチン、と硬い音がした。

 ようやく相手は影を見せ、一歩ずつ近づいてくる。


 懐中電灯の明かりの中に現れたのは涙鬼と同じ年頃の、清涼な顔立ちをした少年だった。硬い音の正体は、サスペンダーについている缶バッジの弾いた音なのだろう。


「名前は?」

「郡司吉祥。千堂涙鬼の同級生です」

「なるほど、同級生」

「俺は氷奴(こおりやっこ)菅原大天神(すがわらだいてんじん)様に属している者です。本当に下っ端の下っ端で、人間の血の方が濃いから忘れ去られてるけど。だから俺たち家族は人間として生きてます。そこは千堂家と同じだと思う」


 郡司は一つの缶バッジをにぎりしめながら縁を親指でこすっていたのを離すと、手汗をズボンにこすりつけて頭を少し下げた。


「お願いだからあいつを、転校でもなんでもいいから菜の花に来させないでください。このままじゃ絶対に日比谷もいじめられる。さっき何を渡したのか知んないけど」

「心配してくれてるんだな」

「それに、むかつくけどさ……ぶっちゃけ危ないのは幅屋たちの方だ。千堂の奴、いつキレるかわかんないし。手を出さないように我慢してるのはわかるんだ。もしあいつが日比谷と仲良くなって、幅屋たちが日比谷を傷つけたら爆発するかもしんない。だからそうなる前にどうにかしてください。俺は何もできないんだよ」


 健気な少年に対し、辰郎はしゃがみ込んで言う。


「悪いな。守ってくれるって期待はしないけど、だからって逃げる訳にはいかないんだ」


 郡司は信じられないとばかりに目を見開いた。


「いじめから逃げて何が悪いんだよ。違う、いじめから身を守るために菜の花から出るんだ。あいつ妖怪って呼ばれてるんだぜ?」

「はは、妖怪か。その幅屋って奴らは妖怪退治をしたいって訳だな。なるほどな……」

「何もしてくれないんですか……? あんた親だろ?」


 この一族にとって妖怪呼ばわりされることはとてつもない屈辱だと聞かされている。毎日あれほどまでに侮辱されるなんて、自分なら耐えられない。


 涙鬼の父親の毅然たる態度に、郡司は苦慮の表情を浮かべた。


 ところが。


「幅屋と……誰だ?」


 急に声を落とす男に、郡司はあっとなる。しかし勝手に口が、


「饗庭、高矢(たかや)定丸(さだまる)


 と、動いてしまった。


 いじめが始まってしばらくして噂にはなっていたのだ。男子中学生が菜の花の通学路に現れて、一体誰が首謀者なのか、誰が関わっているのか聞き込んでいると。

 何ヶ月経っても進展がなかったということは誰も答えられなかったのだ。運悪くいじめのことを知らない子ばかりに声をかけてしまったのか、それとも後ろめたさがあって知らないと偽られてしまったのか。


「全員同じクラスか?」

「ずっとバラバラだったのに四年生になってそろったんです、あの悪ガキチーム。定丸なんか他の奴に指示して階段から突き落としたんだぜ?」

「へぇー……」


 瞳の奥で怒りの灯が黄金色にチラリと揺らめいたのを見た気がした郡司は思わずサスペンダーごと缶バッジを握りしめた。


 兄らしき人物が涙鬼を助けようと行動している。もし声をかけられていたら自分はどうしていたのだろう。今のように明かしていたのだろうか。郡司の心は震える。


「まさかおじさんが直接仕返し? それは駄目だって」

「じゃあもう少しだけ、ふたりには我慢してもらおうかな……」


 そう静かに言いながら立ち上がると、辰郎はニッと笑った。


「その妖怪缶バッジいいじゃん」

「え、あ、そうすか……?」


 郡司がいつも身に着けていたのはすべて泰京市のあちこちに設置されたガチャガチャで手に入るもので、ポップなデザインの妖怪が描かれている。

 さっきまでの話はおしまいとばかりの唐突な話題の変更に、郡司もうろたえてしまう。


「いつの時代も妖怪のグッズは売れるんだなあ」

「え、あの。帰らないんですか?」


 どういう訳か、辰郎は来た道を引き返し始める。


「家まで送ってく。ひとりでここまで来たんだろ? ここは警察に任せなさい」

「えっ、警察なんですか?」

「全然そうは見えないだろ?」


 郡司は黄色い後頭部を見て「全然見えねえ」と呟いた。

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