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高矢孝知は面倒ごとに巻き込まれたくない

前回から一か月経っちゃうから区切らせて更新する。

 便箋の中にはまたしても数万円が入っていた。実は医療費は加賀老人が用意してくれていたことを知った母は、やや不満げな声を上げつつも、彼の放送に効果があったらしい。「せっかくのご厚意やし……」だの「母ちゃんだってね、子ども二人分のお金出す気概はあるんやからね」だのと小言を言いながらしぶしぶ、しかしどこか得をしてよかったとつい言いたげに口角が緩んでいた。幅屋は、このままでは自分の分のお釣りは戻ってこないだろうと確信した。


 幅屋の健康保険証は母親が持っていたが、高矢は常にピカチュウがプリントされた財布の中に入れていた。どんなに具合が悪くなってもひとりで病院に向かわなければならないからである。彼がカーゴパンツを好んではいているのも、ナイフを隠すだけでなく財布を入れるポケットの大きさを気にしているからなのだろう。


 高矢は強い奴や。幅屋はしんみりとそう思った。


 いつまでも食堂を留守にしている訳にもいかないので、ゼッタイに人様に迷惑をかけないこと神に誓って、母には戻っていいと告げた。さすがに病院で粗相を起こさないだろうと彼女は怪訝そうに納得してくれた。


「そうや、お見舞いにお花買おう」


 保護者なしに病院内をうろつくと怪しまれるかもしれない。この病院の一階に小さな花屋があったのを思い出した幅屋は、お釣りで買うからお金を返してと意気揚々と手を差し出した。


「ずるがしこいヤツやね」


 ふてぶてしさは直っていない息子に母は顔をしかめた。病院内ということもありヘタな癇癪を起されることはなかった。


 お見舞いの受付を済ませ、花屋ではお見舞いに適した花束を用意してもらった。悪ふざけはするな、デリカシーのないことをするなと口酸っぱく忠告をされて、一足先に病院から立ち去る母を見送る。


「よし」


 幅屋は先ほどつけてもらった眼帯をあっけなくはがした。


「おい、いいのかよ」

「じゃないと妖精が見えんから」

「妖精が案内してくれるって?」

「いやなんも言われてない」

「あのさぁ」

「でも妖精ってさ、心の優しい人の前に現れるっていうやんか。日比谷の母ちゃんのこと聞けばわかる思うねん」

「お前それ自分で言って恥ずかしくねぇのかよ」

「何がや」

「遠回しに自分は優しい人間ですって言ってるようなもんやろが」

「え……つまりさっきのは妖精じゃなかったってことだ……」


 幅屋は高矢の言葉に苛立ちを感じるどころか深刻に腕を組み、首を傾げた。先ほどの発言に意図はなく、本気で自分が優しい人間になれたなどと思っていない。どんなに加賀老人に感謝されても、話は別であった。


「優しいヤツんとこに現れるかどうかはさておいてさ、妖精ってイタズラすんのがスキってイメージあるけどな」

「あー、だから俺んとこに来たんか。まったく関係ないとこに案内して迷子にするとか? あっぶね」


 殊久遠寺の『幅屋ならどうなったっていいんだもん』という言葉を振り返る。


「とりあえず部屋の番号は聞いたんやし。看板見ながら行こうぜ」


 高矢は壁のフロア案内を指し示した。幅屋は現在地を知るために案内板に近づくと、高矢に友好的に肩を抱かれ、「右目出してんなら気づいてるか……?」と低く冷めた声でそっと耳打ちされた。


「この病院、なんかヤバいぜ」


 人間と非人間が入り混じっている。それも病院側に。


「見た目で判断したらアカン」


 幅屋はつい訝しげに友だちを流し見た。


「妖怪だって医者になりてぇんやもしれんやろがい」

「腹の底まで見えてるワケじゃねーやろがテメーは」


 幅屋が見えるのはいわゆる化けの皮の下の部分だ。時間さえもらえれば深部まで見通すことが可能である高矢は、院内に巣食う魑魅魍魎たる気質の持ち主たちが健全に医療行為を進めている裏で陰謀を巡らせているのかと思うと、できることなら二度とここで受診したくはなかった。こうして誰かを盗み見るたびに怪力を知られているのではないかと、自分は巨大怪獣の口腔内に入り込んだ小魚のような気分にさせられているのだ。


 沸々と少しずつ静かに煮え始める苛立ちに、高矢は八つ当たりのつもりで言葉のナイフを突く。


「てか、そうやっていちいちその目ェ出すつもりなんかよ」

「ベツにエエやろ」

「しかも見た目で判断すんなって、どこ口で言ってんだ。本人は気にしてっから人間のフリしてんじゃねーのかよ」


 高矢の言葉が鋭く胸に突き刺さった。


「千堂だって見た目えぐいの気にして隠してんだろーが。見られたくなかったのに実は見られてたって知れたら、余計にメンドーなことになんだろーが」


 自分の眼帯を外すたびに、涙鬼の眼帯を外しているようなものなのか。相手の気持ちを理解したくて、相手が感じていることを共感したくてやっていたことが時には軽率な行いになる。幅屋はハッとさせられた。


「じゃあせめて視線の色だけわかるように調節する……」

「何をヒソヒソとしゃべっている。逆に怪しまれてしまうぞ」


 影に振り返ると加賀老人が見下ろしていた。


「え、あ、来てくれたんや」

「ちゃんと病院に来るかどうか確認しにな。それにあんな手紙を無遠慮に出しておいて、ガキどもだけに任せておく訳がないだろう」


 幅屋が破顔すると、彼は失敬な、と言わんばかりに鷲鼻をひくりとさせた。言葉選びは変わらずぶっきらぼうであったが、『ガキども』の言い方には愛情を感じさせる。


「日比谷の母ちゃんってなんで入院してんの?」


 幅屋の純粋で率直な問いに、加賀老人の怒り肩が雨に打たれているかのように切なげな丸みを帯びる。ハードボイルド映画に登場しそうな風貌で余計に沈鬱な雰囲気を醸し出した。


「生まれつき虚弱体質でな。あれが見えるか」


 彼は自動ドアの向こうを傘の柄でそっと指し示した。遠くの山が乳白色の霧で見え隠れしている。


 藍白い山が鈍く発光して二重にも三重にも山が揺れ動いて見えた。あの山は蜃気楼ではなく実在しているはずだ……。エアコンが効きすぎているのか、背中の産毛がゾワッと立ってしまい、幅屋はつい背中を両手でさすった。


白霊山(はくれいざん)という霊峰だ。ここは風水的にアレの霊験に影響を受けているという」

「れえげん?」

「患者の治癒力が高まると言われている。利益をもたらしているのは患者ばかりではない。だがあの山の霊験は誰のものでもない。あくまでも自然の力として平等に受け取らなければならない。抜け駆けされないか目を光らせている(よこしま)な輩もいるがな」


 高矢が「だから自然とヘンなんが集まってきてんのか」と呟いたので、「変て言うな」と幅屋はムッとする。高矢は白い目でにらみ返すだけだった。


「じゃあ日比谷の母ちゃんもずっと入院してれば良くなるんか?」


 霊験とやらに期待して楽観視しようとする幅屋は甘い。高矢は「おまえ理解してねーだろ」と冷徹な一言を浴びせた。


「慈悲ってヤツがナゾに体力奪ってんだろ?」


 入院の理由が“慈悲”のせいだとは書かれていなかったが、まあそういうことなんだろうなと推測できていた。呼び方は違っているが怪力の類であるに違いなかった。


 加賀老人は半ば観念してか掠れた渋い声で言う。


「アレは病人でも怪我人でもない。ましてや呪われているわけでもない。このまま入院し続けてもジリ貧だ。超自然的な運命に勝つためには愛情以外の何かが必要ではないか……」

「最後に愛は勝つ、じゃなくて?」

「勝った試しはない。むしろ愛情深いほど体に負担をかけるのだ」

「ウーン」


 難しい問題に、幅屋は腕を組んでうなる。加賀老人はずっと自問してきたのだろう。人生経験豊富であるはずの彼が答えに到達していないのなら、ガキである自分たちが素晴らしい発想に至れるだろうか。


「キライになればいいだろ」


 高矢が興味なさげに、トゲのある言い方で答えた。


「極論はそうかもしれん。だが周りに嫌いな人間しかいない地獄をどうやって生きる?」

「全員ぶん殴って子分にする」

「おい、もっと真剣に考えてやれや」


 加賀老人の悩みを解消できるか否かは高矢にかかっているというのに。


「ベツにいいだろ、どいつもこいつもクソみてーなヤツばっかで。全員不幸にしてやりゃいいんだよ」


 さっさと無理難題を済ませたい高矢は、投げやりの態度でズボンのポケットに両手を突っ込み歩き出した。他者の母親を救えるかどうかの話は、彼にとって複雑であった。ましてや日比谷あずまという自分にとっては微妙な立ち位置にあるヤツの、面識のない母親となれば。


 加賀を救う手助けを仕方なくしてやってからのこれだ。立て続けに起きている面倒ごとに、ストレスを伴わせてどうにか行動力を発揮させている。そこに善意はない。まだ持っているナイフをもしも衝動的に振り回してやれば周囲はどんな反応をしてくれるだろうかと考える。


 家庭内のいざこざを経験している彼の精神面は思いのほか繊細である。繊細だから攻撃的になれる。攻撃こそが最大の防御である。自分の弱さを知られる前に敵の懐に入って叩きのめしてやるのだ。当然、リスクがある。敵の【(イエ)】に侵入している自分がやられてしまったら? 幅屋はそのリスクを理解していないし、説明してやる気にもなれない。


 病院内で気分を悪くさせてはまずいと判断した幅屋は反論を飲み込んだ。花粉の臭いに鼻がむず痒い。花束の奥から青い髪の妖精が一匹、バァ、と顔を出した。「日比谷の母ちゃんのこと知ってっけ?」と小声で話しかけてみると、妖精は花粉に興味をもってパフパフと触りながらケタケタはしゃいだ。

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