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幅屋圭太郎は春日井母に負けたくない2

ぐちゃぐちゃ回。

「アンタこんなものダレに書かせたんだいッ」


 バチン! と、風船が破裂したかのような音が幅屋の耳元でした。さすがに息子の直筆ではないと見抜いた母親の落雷を受け止めたのは舞前だった。


「ダメですよぉ、幅屋くんのお母さん。彼はケガをしているんです。心おだやかに」


 強烈な一発だったはずなのに、のほほんとした舞前の表情は崩れなかった。


「ケガは自業自得です。スミマセン、うちのバカ息子がまたバカをやってしまって」


 幅屋の母は拳を引っ込めるとペコペコと春日井の母に頭を下げ始めた。


「母ちゃん謝るなッ!」

「なにバカなことを! はやくアンタも頭下げなッ! いっつもいっつも人様に迷惑ばっかかけて――」

「嫌だッ!」


 伸びてきた母親の両腕に、幅屋は後ずさって振り払う動作をした。


「てめぇ細工してんじゃねーぞババアッ!」


 突然に高矢が怒鳴り声をあげて、誰もが目を丸くした。春日井の母は口紅をふんだんに塗りたくった唇をペタペタ開閉させて「ばっばっ」と新たな鳴き声を出しながら、ニワトリのように首を上下に伸縮した。いつか噴火して首がもげるのではないかと思わせるほど頭に血が上っている。


「高矢、口を慎め」


 崇城が冷静に注意した。


「なんて行儀の悪い! 親の顔が見てみたいわ! アナタ方も一体どういう教育をなさってるんです!?」


 校長から誰が担任か知らされていたのだろう、春日井母は崇城に非難の目を向けた。何もしなかった空白の期間を自覚している崇城はバツが悪そうに眉をひそめた。


「悪いのはケンカした俺と高矢と加賀と春日井兄弟と岩本と藤堂だっ! それから加賀をいじめた春日井兄弟と岩本と藤堂と富田と村木と大本だっ! 今すぐ半小に行って調べろ! 誰が加賀をいじめていたか! 見ているやつは大勢いるんやぞ! 学校中に! ゼッタイに!」

「お黙りッ! うちの子がそんなバカなことはしません!」

「ウソだ! 果たし状読んだんだろ! 本当はわかってるんだろ!」

「お黙りと言っているのがわからない!?」

「とんでもないことになるんだからな! これから! 何が起きても知らないぞ!」


 幅屋は必死に訴えた。


 果たし状のことは正直に涙鬼に書かせたと言って、本当の内容を代弁してもらうことはできる。たぶん、アイツならウソは言わないだろう。けれどアイツの名前は出したくなかった。この女の前にアイツを出したくなかった。


「幅屋クンおちついて! 目から血が出てる!」


“クマ?”があたふたと両肩をつかんできた。いかにも狂暴そうなバケモノがおろおろと“心配”の視線を寄こしてきて、幅屋は深く呼吸を繰り返した。


 右目がビクビクと脈打っている。これまま感情が昂ればまた瞳孔が爆発して春日井母を吹っ飛ばしかねない。冷静になれ……冷静になれ……。


「まずケガを治してから後日改めて話し合いましょう」


 ずっと黙っていた教頭も微妙に顔色を変え、口早に春日井母に声をかける。


「何を言いますか! それは自業自得なんでしょ! 血くらいほっとけば固まるんですから!」

「じゃあテメェんとこのクソッたれもそうやろがい!」

「高矢!」


 崇城はもう一度名前を呼んだ。


「慰謝料を請求します! いいですね!」

「慰謝料!」


 幅屋の母は青ざめる。


「特にあーちゃんは部屋に閉じこもってしまって口をきいてくれなくなったんです! 心に深く傷を負ってしまってアアかわいそうなあーちゃん! メンタルケアのための医療費も頂戴しますから覚悟してください!」

「っざっけんなクソババアッ!」

「いい加減にしろ高矢! そろって感情的になってどうする?」


 徹底した進行役がいない限り、負けず嫌いな激情型の人間が複数いれば終始言い合いになってしまうのは必然だろう。春日井母も話し合いに来た訳ではないのだ。敵を糾弾して勝つために来たのだ。はたしてどちらが悪いのか、認めるか認めないかの勝負なのだ。


 高矢は元・母親をほうふつとさせる春日井母の一挙一動に、着々とムカムカを蓄積させている。崇城は彼自身のためにもこの場で怒りを爆発させるのをよしとしなかったが、舞前には抑止する気がないようだった。


「あなたはお子さんに対して随分と極端な教育をなされていますよねぇ?」

「は?」

「過保護で、かつ放任主義のよう、だ……」


 舞前は遠い目をした。細めた目の内に影ができ、黒い三日月のようになる。薄らと空笑いする彼に、春日井母は顔をくしゃりとゆがめる。


「なんなんですか気味が悪い!」

「舞前先生、煽るのはよしてください」


 教頭が咎めた。


「生徒が血を流しているんです。春日井さんも、今回はお引き取り願って改めて――」

「冗談じゃない! まだ謝罪を受けてないわ!」


 口元に泡を吹かせる春日井母に、教頭はうんざりしながらも幅屋に目を向けた。一旦は収拾させるためにも……幅屋はすがられたのだ。


「まずはそっちが謝れ! そしたら俺も謝る!」

「つーかテメェ、弟のほう犯罪者じゃねーか!」

「え?」


 幅屋は高矢の発言に目を丸くする。


「な、うちの子を犯罪者呼ばわり――」

「どんだけ犬猫殺して放火してんだよ!」

「こンの……どれだけ人を侮辱すれば済むのかしらッ!」


 高矢はウソをついていない。この女は子どもの罪を隠そうとしている。幅屋の呼吸が荒くなる。熱い酸素が頭に行き届いて、右眼球の血管が伸縮している。


「圭太郎! まずは謝っときな!」

「なんで!」

「いいから!」

「だから嫌じゃ!」

「わかんないやっちゃ!」


 頭部を無理やり両手でわしづかみにされて、幅屋は絶対に頭を下げるまいと力んだ。


「ダメです! 手を放して!」


 崇城は慌てて幅屋の母を引きはがそうとする。ぴちゃり、と板張りの床に血が一滴落ちた。


「謝らんと終わらんねんから……!」


 母は力強かった。


 ぴちゃり。ぴちゃり。


(クソッ! クソォ!)


 幅屋は悔しかった。自分が先に謝ったら負けなのだ。


(わかってくれよ、母ちゃん!)


 俺は加賀のためにがんばったのだ。自分が先に謝ってしまったら、加賀を助けたことは悪いことだったみたいな気がして。


「みなさん、いいかげんに……」


“クマ?”の全身の毛が逆立って、扇風機のプロペラが不規則に回転した。


 窓が、タンタン、と揺れた。


 曇天に黒いレースのカーテンが揺れていた。それが途方もない数のカラスだとわかったのは、しばらくして鳴き声がグワングワンと二重三重にこだましてからだった。


「幅屋くん。さっきとんでもないことになるって言ってたけどアレのこと?」


 舞前の問いかけに、わしづかみする両手の力が弱まった。


 次第に音量が大きくなって、春日井母は頭を振った。


「あーもうウルサイ! なんなの!?」


 不吉を予感させるそれはまるで黒い彗星だ。


「こっちに向かってきている?」


 教頭が食い入るように見つめた。


「そんなバカなことあるワケないでしょッ」


 春日井母の否定とは裏腹に、どんどん先端が近づいてくる。


「ヒィッ――」


 彼女は悲鳴を上げた。轟然と、窓にぶつかる寸前で群れは分散した。その風圧で窓が激しく震えている。


「な、なんだ……入ってくるかと思っちゃって……」


 いつの間にか母に抱きしめられていた幅屋と高矢は、かばってくれたのだと気がつくのに時間がかかった。


 校門の柵、サッカーゴール、ジャングルジム……カラスは続々と占拠した。ほどなくして、一階の方から児童の悲鳴が聞こえた。

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