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幅屋圭太郎は真人間になれない

 翌朝。幅屋は顔の痛みで目が覚めた。洗面台の鏡を見たら、昨日よりも腫れが酷くなっている気がする。皮膚が引っ張られ伸ばされて、ピンク色の血管が薄らと見える。


 父親からは今日は休んだらどうかと言われてしまう。眼帯をつけた幅屋は視線が読めなかったが、どういう意味でそう提案したのか聞き返さなかった。どのみち、殊久遠寺との約束を忘れていなかった彼は意地でも学校へ行くつもりだ。


 今日は曇り空だった。まだゴールデンウィークが終わったばかりだというのに梅雨の前触れだというでもいうのか。それに、今日はやけにカラスが騒がしい。ゴミ捨て場が荒らされているんじゃないかと母親が嫌そうに言う。


 しかしゴミ捨て場は物悲しくゴミ袋が積み上がっていた。湿気を吸ったシャツが肌に貼りついて少し気持ち悪い。


「おはよう。ゴミを荒らさないでくれてありがとう」


 とにかく木々にとまっているカラスらに挨拶をした。


 ふと、とある小規模ビルを見上げた。中華料理屋『きつね軒』の上の階にある“占”の窓に人影があって、見られていたような気がした。


(……気のせいや)


 視線が見えていない今、自意識過剰になっているのだ。幅屋は片方の頬を軽く叩いた。ヒリヒリした。


 きっと高矢も学校に来るだろうと踏んで、彼が送迎バスから降りてくるのを遠目で待った。アンパンマンのように丸々と頬が腫れ上がっている元・ガキ大将に気づいた高矢は眉をひそめ、同じくバス通学の子たちのひそひそ話を耳にする。今日の菜の花小学校の話題は決まったのも同然であった。


「病院行かんかったんか?」

「ああ」


 高矢も最悪な目覚めをしていたが、学校を休む選択肢はあり得なかった。結果としてお互いに意地を張ってしまったのだと、些細な勝負に敗北したような気がしていた。


「せっかく紹介状書いてもらったんに」

「テメーも行ってねぇだろーが」

「お前はアタマやられてんやぞ。死んだらどうすんだ」

「あんなヒョロッヒョロのスイングで死ぬワケねーだろ」

「わかった。じゃあ明日、いっしょに学校休んで病院行こう。決まり!」


 幅屋は手を鳴らしてハキハキと言った。


「おまえさ」

「受付窓口の営業時間は終了しました」


 幅屋はロボットのように言った。


「テメェ」


 幅屋は胸倉をつかもうとする手をひらりとかわす。


「早く行こうぜ! 次の予約があんねん」

「ハァ?」


 登校しながら殊久遠寺の予約のことを幅屋は説明した。すると高矢は斜めだった機嫌をさらに悪くした。


「テメェなんでもっと早く言わねーんだッ」

「そりゃあ加賀をなんとかするのが先決だったから」

「あーもうクソッ」


 頭をかきむしろうにもできず、高矢は拳を宙にさまよわせる。無遠慮に金属バットを振るった春日井まことや、幅屋を溺死させようとした藤堂のことを考えれば、いつ加賀が殺されてもおかしくなかった。優先順位は当然のことであったが、高矢は気に食わなかった。


「その日のうちに言ってくれりゃあ加賀の特訓の片手間に様子見に行けたじゃねーか」

「だって大魔神やぞ? たぶん高矢にも見えなかったと思うぞ」

「ンなもんやってみねぇをわかんねぇだろーが」

「それにお前、殊久遠寺の家知っとるんか?」


 高矢は黙り込んだ。


「あーでも、見守り隊に聞いてみたら案外知っとったかも。タヌキのことも何か知っとるかもしれんし、せっかくやからみんなで加賀ん家遊びに行くのもエエかもしれんな」


 幅屋はカラスらからヒントを得られるかもしれないと思っただけでなく、殊久遠寺が“チューリップの子”である可能性を考えた。実はまったくの別人なのだが、せっかくカラスの魂が見せてくれた記憶だというのに顔はすっかりおぼろげで、髪の長さしか覚えていなかった。


「女子さそって何して遊ぶんだよ」


 高矢は押し殺した声で言った。


「そうや! お菓子づくりしよう!」

「ざっけんなブタぁ」

「ざけてねーよ。火を使わなくてもイイお菓子つくりたい。クッキーとか」

「バレたら余計はぶられんだろ!」


 幅屋は感動で目を見開いた。【一隻眼(タタリメ)】で見なくてもわかる。高矢が女子を心配している!


「だいじょーぶだ! むしろお前と仲がいいって広まったほうがいじめられねぇ」

「だから孤立すんだろが」

「だいじょーぶだって! クラスは違うけど郡司も日比谷も千堂もいるし。饗庭にも声かけとく」

「男子ばっかじゃねーか……」


 高矢は幅屋のバカさ加減にうんざりした。一方で、幅屋は殊久遠寺が怖がっていることを本人には言わないでおこうと思っていた。


 校門の前に崇城がいた。登校してきた児童たちと挨拶をかわしている。校舎のスピーカーからは『爆風スランプ』の『Runner』が流れている。朝のマラソン週間で放送委員会がかけているのだ。


「おはよう!」


 幅屋は元気よく挨拶をした。


「おい、そのケガは何だ?」


 果たし合いが決行されたのは知っていた。しかし頭にネット包帯をしている高矢と、顔が別人のようにパンパンに膨れ上がっている眼帯の幅屋の登場に、崇城は前のめりになるほどにうろたえた。もし眼帯をしていなければ“心配”と“後悔”の波が交差して荒々しく視線が揺れ動いているのを幅屋は見て圧倒されたことだろう。


「友だちを助けた」


 幅屋はまっすぐに答えた。


「いじめって、どこの学校にも絶対にあるんや。どうしたらなくなるかって俺にはわからんから、とにかく手が届きそうなヤツから助けてこうと思う」

「俺はパス」


 幅屋の熱意に対して高矢は冷ややかだ。高矢の非情さは崇城も理解できた。幅屋の覚悟には危険性が孕んでいる。弱者を守るために自分はどうなったって構わないと思っていて、痛い目にあえばあうほど過去の自分への罰であり試練だと受け入れるつもりでいるのだ。

 こうなっては何を言っても考えを改めさせることは難しいだろう。目を離しているうちにとんでもないことをしでかしそうで……崇城は彼の抱いた正義を否定するつもりはないが許可もできなかった。


「あまり無茶なマネはするな。家族が心配するだろう」


 崇城はそう言うしかなかった。


「うん、怒られた。またケンカしたんかーって」

「果たし合いのこと説明してないのか?」

「してない」

「……こいつが無茶しすぎないように見ておいてくれ」


 幅屋の両親に連絡することを選択しなかった手前、崇城は言いたかった言葉をグッと飲みこみ、代わりに高矢を頼った。高矢は「アー」と、あくびをするかのような曖昧な返事をした。


 みんなからゲテモノを目撃したかのようなリアクションを取られつつ、ふたりは靴をはき替える。幅屋は朗らかな笑みを浮かべている。ケガは男の勲章、友情の証だと思っているのではなく、涙鬼と同じ扱いをされていることに喜びを感じているのだ。そう気がついた高矢は「キモチワル」と呟いた。


 今の幅屋なら涙鬼の張り手をいくらでも喜んで受けるだろう。泣いて喜びながら、すがるように頬を差し出すのだ。まあ、そんな状態の奴に涙鬼がビンタするはずもないが。幅屋の面倒臭さに拍車がかかって、高矢は不気味に思えてきた。


 これが元来の幅屋なのか。それとも“闘魂”したせいで本性が歪んでしまったのだろうか。あずまの人格が矯正されたのと似たような現象を起こしてしまったということなのか。


 高矢はカーゴパンツのポケットに手を突っ込み、ぶらりぶらりと歩きながら考える。


「おはよう!」


 高矢は幅屋の大声で我に返った。


「圭太郎くん! それに、高矢くんも! だいじょうぶ!?」


 真っ先にあずまが駆け寄る。


「そーいうお前も、なんかクマできてっぞ」


 幅屋が言う。ただでさえ日焼けを知らなさそうな肌をしているあずまの顔色は病人のように青白い。


「あ、うん……。ふたりを心配してたんだよ!」


 ウソをついている。高矢は直感した。しかし眼帯で眼力を封じている幅屋は真正面から受け止めた。


「このとおり、我々は生還した。見事、敵に勝利したのである」


 幅屋は誇らしげにふんぞり返った。オオ……と、教室でわずかに感嘆の声が上がった。


「すごいや圭太郎くん! それに。ふふ、千堂くんとおそろいになっちゃってるね」


 あずまの言葉に、座っている涙鬼がピクリと反応する。涙鬼はあずまが名前を言うまで、それが幅屋だと気つきたくはなかった。


 幅屋も涙鬼がにらんでいるのには気がついていた。息を吸い込んで鼻腔を膨らませる。鼻筋がツキンと痛んだ。「よし」と、高矢にだけ聞こえる声量で気合いを入れた。


 教室は緊迫感に包まれる。幅屋は涙鬼の席の前までのしのしと歩いた。


 ふたりの耳から『Runner』が遠のいていく。涙鬼は下唇の裏を噛みしめ、立ち上がった。椅子が床を擦る音が響き渡り、クラスメイトは動きを止めた。


 涙鬼も息を吸って胸を膨らませる。下唇の裏の薄皮を噛みちぎる。奴がこれから何を言おうとしているのかがわかる。


「だまれ」


 涙鬼は熱い息を吐き出しながら、歯を噛みしめたまま言った。この一言で、幅屋は涙鬼がそれを望んでいないことを知る。だからこそ、自分が真人間になれることはない。根が腐っている以上、どんなに甲斐甲斐しく水をやっても花が咲くことはない。自分はどこまで行っても自分よがりでしかないのだと悟る。


「ごめんなさい」


 幅屋は少し曲げた膝に手をついて、(こうべ)を低く垂らした。は……と、女子の誰かが息をのんだ。


「千堂くん!」


 あずまが声を上げた。涙鬼が教室から出て行ったのだ。


「千堂くん待って!」


 あずまの声が遠ざかる。


 せめて一言怒鳴ってくれたらよかったんに。

 幅屋は涙鬼がもう一度感情を爆発して制裁してくれるのを期待したが、かなわなかった。


「謝って済むなら警察なんていらないんだよ」


 壁際の戸上が棘のある声で言った。


「済むと思ってねぇよ」


 俺は自分だけスッキリしたかっただけなんや。

 幅屋は頭を下げたまま言い返すと、ランドセルを机に放置して教室から出た。


「どこ行くんだよ」

「次の予定んとこ」


 それを聞いた高矢は、幅屋が正義に目覚めてから何度目かもわからない溜め息をつき、同じくランドセルを放った。


 奴は少なくともこのタイミングで謝るべきではなかった。そう思った。許されると思っての謝罪でなかっただけ慢心はしていないのだろうが、人前で頭を下げられた涙鬼のぐちゃぐちゃな心情は計り知れない。奴の心のこもった言葉は最悪な意味で胸に刺さったことだろう。


 奴はわかっていて謝ったのだ。戸上が嫌味を吐き出してくれたため指摘するつもりはない。自分がいかに嫌な人間であるか、誰よりも本人がわかっていることだ。


「ダッセェ」


 高矢は聞かれない程度の声量で、顔の大きさに対しほんの少し細くなっている腰回りに向かって言った。


「おい饗庭。殊久遠寺は?」


 幅屋は三組の教室をのぞき、朝自習をしている饗庭に声をかけた。


「まだ来てないよ」


 饗庭は目を真ん丸に見開いて答えた。


「そうか」

「もしかしたら休みかも」

「なんで?」

「きのう早退しててさ。ものすごくしんどそうだった」

「そうなんか」


 幅屋は眉尻を下げる。タヌキ大魔神の影響だろうかと心配する。


「生理だってよー」


 男子がケラケラ笑いながら言った。饗庭は「だから違うって」と過敏に振り向いて声を潜めた。


「でも女子が言ってたモン~」


 男子が殊久遠寺の口調をマネしてふざけると、女子グループがクスクスと笑う。幅屋は殊久遠寺が不登校になってしまったのではないかと、彼女を取り巻く現状の深刻さに不安を抱いた。

 その時、高矢が真顔で戸を蹴った。あっという間に三組の教室が静まり返る。


「つまんねーから二度とやんじゃねぇ。前歯全部へし折っぞ」


 目がすわっていた。底冷えするような声に、一斉に口をつぐんだ。幅屋だけはうれしい驚きで口を開けた。


「ダメだよぉ、高矢くん。そんなコワイこと言っちゃあ。それに大怪我してるんだから、ドアを蹴ったりするのも体に響いちゃうよ」


 舞前が背後に立っていた。


「みんなもネ、いけないよ? 弱っている人のことを笑うなんてぇ」


 物腰柔らかく、相変わらずのんびりとした口調で彼は言った。高矢はそっぽを向いて静かに舌打ちした。

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