余談~初デートについて~
管先輩は「占うまでもないが」と前置きして、金成の娘の一人が出しゃばったことでタヌキは慎重にならざるを得なくなり、釜遊弟氏がそれを正当な理由にして一斉に従業員を調査、解雇、一部は風俗へ飛ばし、釜遊弟氏の愛人も入れ替えがおこなわれるだろうと予測した。
「だがしかし。解釈こそ微妙に違っていたが、なぜタヌキが克義くんに対する鑑定結果を知っていたのか……」
管先輩は頭をひねった。
「フン、単純なことだ」
加賀さんは言うまでもないだろうと言いたげに、それ以上言葉を紡ぐことはなく、管先輩は苦み走った顔をした。
「聖子ちゃんに神託の力があったかどうかは知りません。でも時々意味深な……まるで未来を見据えているかのようなことを言っていた気がします。それが神託で、神霊を見ていたのだとして……みさ子ちゃんも同じなの?」
三夜さんは誰かに答えを求めた。上野姉妹は“慈悲のルール”に詳しくはなかった。
「彼女は妖精が見えます。それからここではない世界が見えることがある」
僕が答えた。
「妖精なのか神なのか、我々の定規では測れんでしょう。体が虚弱ゆえに死と隣り合わせだからこそこの世のものではないものが見えるのだ」
苦い顔のまま管先輩は言った。ずっと加賀さんの言葉を深刻に受け止めていたのだろう。加賀さんも管先輩のセリフに眉間のシワをさらに深くした。人間ごときの矮小な存在ではどうすることもできない事実に、喉仏をグッと上下させただけで目くじらを立てての反論はしなかった。
「このまま好きな人と結婚できるとして」
美和さんはいかめしい顔ですがるように管先輩にたずねた。
「その場合。その方が長生きできるのよね?」
「あしからず」
想定していたのだろう最悪の答えに、美和さんは合わせた手を額に当てて「ああ神様……」と嘆息を漏らした。神に祈るどころか恨みが込められていた。
「何よりもみさ子ちゃんの意思が尊重されますわ」
誰よりも覚悟を決めていた寅子さんは終始気丈に振る舞っていた。
ほどなくして、ようやく御膳料理がやってきた。しかし最初からこの食事会に僕の席は用意されていなかった。「あとはご両人。ごゆっくり食事を楽しんでちょうだいね」と作り笑いを浮かべる寅子さんの余計なお世話で『山月記』から追い払われる形になった。
僕抜きの話し合いはあのまま続いただろう。僕も関係者であるはずなのに、所詮しがない一般家庭の男児として変わらず蚊帳の外の気分のままにさせられたのだ。
裏でどんな薄汚いおこないが繰り広げられても、けしてみさ子さんに知られてはならない。儚い運命を背負っている彼女に、それ以上負担をかけてはならない。彼女が望むものだけ……彼女が見ていたい世界だけ……与えるのだ……。だから僕がつい余計なことをみさ子さんに吹き込んで不安を与えてしまわないように、僕に対してもぼかすところはぼかすのだ……。
僕が向かったのは病院内にある軽食店だった。それも中庭に面したテラス席。落ち着いた色の木製のガーデンテーブルの席にみさ子さんはいた。彼女は白のワンピースにベージュのショールをはおり、紺色のリボンがついたツバの広い帽子をかぶっていた。
「克義くん」
僕に気がついた彼女はパッと表情を明るくして白い細腕を健気に振った。
「克義くんって、いつも制服なのね。たまには私服も見たいな」
「僕もみさ子さんがパジャマ以外を着ているのは初めて見た」
「せっかくの初デートだもの。オシャレしなきゃ。お化粧だってしてみたのよ」
「ええ」
「反応イマイチね」
「そんなことない」
みさ子さんは「ホントにぃ?」とイジワルな笑みで唇をすぼめた。
「むしろ今までずっとスッピンだったのが驚きだ」
「それどっちの意味? ズボラ? それともキレイ?」
美人薄命という四字熟語が脳裏によぎった僕は黙って席に着いた。ウェイトレスが水を持ってきてくれた。
「本当はもっとオシャレなカフェとか、遊園地とか行ってみたかったんだけど。今回はココでガマンするわ。わたし常連なの」
質問に答えなかったことを特に気に留めなかった彼女は素早くメニューを僕の方に向けて指をさした。
「オススメはクラブハウスサンドセットよ。おじ様はいつも“食べづらい食べづらい”って文句を言いながら注文してるの。フレンチトーストも“甘すぎる甘すぎる”って文句を言いながらパクパク食べてるの」
みさ子さんはクスクスと思い出し笑いをした。
天邪鬼の気がある加賀さんの舌を信用して、クラブハウスサンドセットを二人前注文した。
「あっ、先に渡しておこうかな」
みさ子さんは季節外れのヒマワリの柄のポーチからリボンのついた小箱を取り出してテーブルに置いた。
「お誕生日おめでとう。一日早いけど、病室で渡すよりいいかなって」
僕は絶句した。
「あ、言っとくけど、ちゃあんと自分で稼いだお金で買ったのよ。わたしと妖精さんたちの合作の絵を個展で売ったの」
「個展……」
僕はたちまち原因不明の喉の渇きを覚えて水を飲んだ。
「家のお金で克義くんのプレゼント買うのは抵抗あるって寅子ちゃんにぼやいたら場所を用意してくれたの。お客さんとのやり取りとかも全部やってくれて。ウーン、わたしはただ絵を描いて、あとは任せっきりだったんだけれど、でもわたしが稼いだことには変わりないでしょ?」
実はあまり納得していないのか、みさ子さんは曖昧に微笑んで首をかしげた。
「ほら、開けてみて」
開けにくい小箱だった。中身は紺色の翼をモチーフにした飾りだった。
「克義くんてしょっちゅうメガネ触ってるでしょ? それはツルの部分につけてズレを防止してくれるアイテムなの。いつもオールバックで耳を出してるから、見えてもカワイイし、でも紺色だからそんなに目立たないでしょ? つけてもいい?」
僕は拒否することができず、言われるがままになった。この時に気がついたのは、妖精は視力に左右されない存在だということだ。みさ子さんの楽しそうな表情がぼんやりとしているのに対し、彼女の肩の上で興味津々に浮ついているソレはくっきりと見えた。
「あはは。ステキ!」
みさ子さんは少女のように喜んだ。居たたまれなかった僕は拳に力を入れて顔をそらした。窓越しに休憩中を装った医者と目が合った。元より勤務していたのか、みさ子さんのために潜伏していたのか、男は自然に目をそらしてマグカップに手をつけた。
「ごめんね。居心地悪いでしょ、この病院」
みさ子さんは笑みを浮かべたまま眉根を下げた。
「みんなバレてないと思ってるみたいだから知らんぷりしてあげてるの。本当は身振り手振りで妖精さんが教えてくれるのよ」
彼女は少しだけ僕に向かって首を伸ばし、こっそりと言った。
「僕のことも監視してるんだろう」
「わたし克義くんだったらいくらでもかどわかされてもいいわ」
「よしてくれ」
僕は今にも席を立ちそうだった。ああ、クソ、逃げやがって。散っていった僕の影武者のことが許せなかった。
「僕がもしニセモノだったらどうする?」
「うふふ。わたしの目は誤魔化せないわ」
ウェイトレスが「クラブハウスサンドセットになります」と愛想よくやってきた。僕はまずシーザーサラダをフォークで突き刺したが、みさ子さんは真っ先にクラブハウスサンドにかぶりついた。
「アゴがパキッていっちゃった」
ソースを口元につけて、頬張ったまま恥ずかしそうに笑った。チークの塗られた頬は余計に赤みが差した。彼女の分のサラダのクルトンを、妖精がせっせとどこかへ運んでいくのを僕は眺めた。
「正直言って僕は……責任って言葉がキライだ」
「ウン」
「できることなら何もない状態で、しゃべりたかった」
「これからもこんな風におしゃべりしてくれる? 周りのことなんてムシして。むずかしいことはみーんな、他の人に任せちゃって」
サラダをつつくフォークの音がやけに耳障りだった。
「わたし、とにかくわがままに生きてやろうって決めてるの。かわいそうって思われるくらいならうっとうしいって思われる方がだいぶ気楽。それにね、克義くんってば時々わたしのことめんどくさいなって思ってるでしょ」
「それは」
「その時の顔、スキよ」
そう言って、みさ子さんはクラブハウスサンドをむさぼった。
「僕はみさ子さんがうらやましいって思う」
「ホント?」
「そんな風に僕も、何も深く考えずに好きなものは好きって言えたらどんなにいいかって考える」
「考えちゃうんだ?」
「それを言うと、琥将のこともうらやましい時がある。いっつもいっつも感情に身を任せて、魅来さんのことになると必死になって泣いたり笑ったり……命までかけようとしていて腹が立つ」
「なんだか物語のヒーローみたいね」
「だからムカつくんだ」
「あはは。ジェラシーね」
「僕はきみのために命はかけられない」
「わたしはかけられるわ」
「ちがう。お互いに命はかけない」
「かけちゃダメ?」
「駄目だ。絶対にお互いに、命はかけない。必要なのはこうやっておしゃべりしながら食事をしたり、おしゃべりしながら映画を見たり、あるいは絵を描いたり、人生に役立つかもわからない勉強をしたり。いっしょに寝るでもいい。でも命はかけない。僕も結構わがままなんだ」
みさ子さんの瞳が揺らいだ。
八一年九月二七日、日曜日――僕は十八歳になった。