千堂辰郎はちょっとやらかしたかもしれない
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自分もちょっとやらかした気がするので。
あずまは初めて人の家庭の食卓に混ざりそわそわした。三人家族の彼にとって、六人家族は大家族。ホームステイの気分だった。
「おい。それやめろ」
隣の涙鬼が尖った声を出す。あずまはずっと太ももをさすりながら視線をさまよわせていたのをやめる。
向かい側に座っている魃が微笑ましそうに手を軽く組んでいる。彼は白い手袋を着用したままだ。目が合うと、彼は「両手が荒れているんだ」と手を振った。
全員がそろうと、あずまはサトイモの煮っ転がしをぱくり。鼻腔を膨らませる。
初めての味なのに懐かしく感じる。日本の家庭料理はアメリカでも食べていたが、それはあくまでもアメリカの家で食べる日本の料理なのだ。日本家屋で食べると何だか味も香りも違う気がする。
もちろん、母みさ子の料理が世界一。しかし二位以下のことを考えたことはなかった。二位は千堂家の食卓で決まりである。
家族の一員になれたような、自然と恥ずかしさはなくなり、余計な力が抜けていった。
いろんな話を聞いた。例えば辰郎は野球ならドラゴンズファン。けれど彼の姉はタイガースファンで、実家ではドラゴンズを応援できなかったという。
彼の実家はいわゆる女系家族で、女が生まれればそっちが優先されてしまうのだとか。
「というか、あの応援歌は実家にとってまずいんだなぁ。縁起が悪くて」
辰郎はのんびりと汁椀を手にし、すすった。
あずまがアメリカではテレビですらメジャーリーグを見たことがないと申し訳なさそうに明かすと、いつか涙鬼と野球を見に行こうと辰郎は誘った。嘘でもあずまは嬉しかった。しかしこの人なら必ず叶えてくれるのだろう。予定ができるというのは素晴らしいことである。
祖母のチヨは長唄三味線の教室を開いている。薙刀の名手でもあり、右に出る者はいない。いざ悪い輩が家に押し入っても追い払ってくれる。誰よりも頼もしいのだと祖父の魁次郎が笑った。
じっとチヨがにらんでも彼は朗らかな表情を浮かべている。優しそうなお爺さんだとあずまは思った。
「でも悪い輩って? 強盗がここまでやってくるのかなあ?」
あずまが頭をかしげると、魃が「そーだよな」と笑った。
「でもマジでたまーに噂を聞きつけて来ちゃうんだよ」
「え、おばあさん大丈夫?」
「だいじょーぶ、だいじょーぶ。いざという時はじいちゃんがひとひねりだから」
魃の発言に魁次郎がほんのり赤い大きな手をグーパーグーパー広げて笑い、チヨが呆れて溜め息をついた。
この食卓で楽しそうにしゃべったのは基本的に辰郎、魃、魁次郎で、魅来、涙鬼、チヨは静かだった。特に魅来は黙々と食べ、話を聞いているのかどうかさえ微妙なところだった。
見事に性格が割れている千堂家に、あずまは見ていて面白かったし、涙鬼がよくにらんでくるのは紛れもなくチヨの遺伝なのだと納得した。
きっと照れているだけ。あずまは前向きに考えた。
「さっきお父さんから電話あった。浅緋を通るらしいからそこまでおじさんが送るな?」
魅来が広げているジャケットに腕を通しながら辰郎は言った。
「またね」
あずまは靴を履いてから涙鬼の方に向き直す。
「ほら、挨拶。ずっとだんまり決め込みやがって」
魃は涙鬼の頭を揺さぶる。涙鬼は頑なに無言を貫いていた。無理やり玄関まで連れてこられて、彼は終始不機嫌だった。
「しょうがないな。待たせちゃ悪いから行こう」
「バイバイ」
あずまが手を振ると、涙鬼は二階へ駆け上がった。
「また来なさい」
魁次郎は小さな目を細め、あずまに微笑んだ。
「では行ってきます、おとうさん」
辰郎は左手で懐中電灯をつける。足元に気をつけるよう注意した。
秋の夜はさらにひんやりとして小寒い。外灯はなく、月は雲に隠れている。あぜ道の向こうは何も見えず、そよそよと囁いている田んぼは黒い海だ。
コオロギの鳴き声が点々と聞こえるが、闇の中から聞こえてくるかと思うとそれは本当にコオロギなのかさえも怪しい。
道を進むにつれて輪郭を現した地蔵はより不気味でいる。いつまぶたをかっぴらいて赤い目玉をぎょろりと光らせるかも、急に腕を伸ばして首を絞めてくるかもわからず、あずまは辰郎の袖口に手を伸ばす。
震えるその小さな手に辰郎は一旦立ち止まり、「はぐれないようにな」と手をつないだ。辰郎の手のひらは固かった。
あずまは地蔵を見上げた。
「なんであんなに並んでるんですか?」
「それだけ成仏したってことかな、ご先祖様が」
「さっきの全部、ご先祖様?」
「正式には先祖そのものじゃなくって、まあ、守護霊、かな?」
「守護霊……?」
辰郎の表現には子どもながらに引っかかるものがあった。
「涙鬼のことどう思う?」
あずまの歩幅に合わせながら、辰郎は質問した。
「まだちょっとわかんない。教育センターってなんですか?」
「不登校になった生徒がそこで勉強すんだ」
「そういうところがあるの? そこで他の不登校になった人と勉強?」
「そうだ」
「つまり……友だちを作りたくない訳じゃないってことだよね?」
「お、気づいたか」
辰郎はニッと口角を上げた。
「僕、魁次郎さんのように笑っていればきっとうまくいくって思うんです。だってそんな魁次郎さんのことをチヨさんは好きになったんでしょ?」
辰郎は声を上げて笑ったかと思うと、眉尻を下げて頭をひねった。
「やっぱりおんなじやり方じゃあ駄目なんですか?」
「駄目って訳じゃあねんだけど。男女の恋愛と男同士の友情は違うかんなー」
辰郎は唸り続け、低い声で「もしかして俺しくったか?」と独り言を漏らした。あまりにも深刻そうに眉をひそめているので、何を“しくった”のかあずまは尋ねられそうにもなかった。
ついには悩んでいてもしょうがないと諦めてしまったのだろうか。ドラゴンズの応援歌を歌い始めた。あずまはちょっぴり変な人だなあと思った。