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千堂涙鬼は絶対に受け入れたくない2

 あずまはインターホンを探すも見つからない。これでは客人が来た時に気づかない。


「そのまま入りなよ」


 学ランを着た少年が歩いてきて扉を開けた。ちょうど学校から帰宅したところらしい。

 髪の色こそ違うが、彼の風貌は辰郎によく似て、声ももう少し低ければ聞き間違えそうだ。背の高さもあずまが見上げるほどにあり、これからさらに伸びるのだろう。


「涙鬼くんのお兄さんですか?」

「俺は魃。あずまだろ?」

「はい」

「ここまで追っかけてくるなんてすごいな」

「女の子に途中まで」

「ああ、童小路か。あれはだな、小路の神様」

「えっ」


 魃は「なーんてな」と冗談めかした。


「疲れたろ? ゆっくりしてけ」


 涙鬼と違って気さくなお兄さんであずまもホッとした。ここまで根性で来れたはいいものの、締め出される可能性も当然のように考えていたのだ。


 長い縁側や欄間、いくつもの広い座敷、そして見事に手入れされた庭。楓は橙色で、金木犀の残り僅かな甘い香りがした。日本の実家から届いたという母親のポプリと同じ。ああ、日本に来たのだと、あずまは子どもながらに実感した。


 あずまにとって初めての日本。両親は日本人なので日本語は話せるし、読み書きもできる。いつ日本に戻ることになってしまってもいいようにと、克義が日本の教科書をわざわざ取り寄せていたからである。

 だからどんな歴史があってどんな暮らしをしているのかはあずまも学んでいた。それでもやっぱり、体験しなければわからないことはたくさんある。


「呼んできてやるから、ちょっと待ってな」


 魃は居間に案内すると出ていき、入れ替わりに大人の女性が中に入る。


「お茶とおやつ」

「あ、ありがとう」


 魃がひょっこりと顔を出して、「その人うちの母さんの魅来だから気にしないで」と言って、引っこんだ。


 あずまよりも先に、魅来は和菓子の包みを開けて食べ始める。あずまはその顔を上目遣いで見る。


 どうやら涙鬼は彼女に似たらしい。丸く吊り上がった目もさらさらとした細い髪も。とてもきれいな人だが、どこか視線が虚ろだ。


「サツマイモ食べたいわね」

「え? はい」


 唐突な問いに返事をするが、彼女は既に視線を落としてもぐもぐしている。


「エビイモはまだかしら」

「え?」


 また魅来は視線を落としている。魃の言った“気にしないで”とはこれのことらしい。


 彼女はのんびりとお茶をすすり、息を抜くと、改めてあずまに目をやった。


「るーちゃんの友だちなのよね?」

「僕はそうなりたいんだけど……」


 表情を曇らせると、魅来は首を傾げる。


「私もね、全然辰郎さんに気がつかなかったの。ずっと私に話しかけていたみたいなんだけど、わからなかったの。でもだんだん辰郎さんのこと見えてきたの。ちゃんと顔も覚えたし、声も覚えたし、名前も覚えたのよ。辰郎さんはね、私のためなら絶対に死なないのよ」

「それくらい好きなんですね」

「だから私も辰郎さんのためならいつまでも綺麗でいるのよ。お婆さんになっても、骸骨になっても」


 魅来は幸せそうに笑みを浮かべた。それを見て、あずまは自分の母を連想させた。


「るーちゃんもまだあずまちゃんのこと見えてないのよ。だから見えた時はきっと心も開いてくれる」


 そうだといいなぁ、とあずまは思った。


 その一方で、涙鬼は部屋に閉じこもっていた。隅にいる弟を魃は仁王立ちで見下ろす。


「せっかく(うち)まで来たんだから顔くらい出してやれって」

「やだ」

「涙鬼。そうやっていじけてると、あの子本当に諦めるぞ」

「そんでいい」


 魃は鼻から嘆息を漏らし、涙鬼の腕をつかみ上げた。


「放せ!」

「強制出動」


 涙鬼は兄に引きずられ、居間に押し入れた。


「千堂くん!」


 笑顔を向けられ、涙鬼は足がすくむ。


「帰れよ」

「でも千ど」

「帰れったら」


 涙鬼は魃に後頭部をはたかれる。


「暗くなるから、うちの親父に送ってもらいなよ。夜には帰ってくるし」

「じゃあそうする」

「一緒に宿題でもしとけば?」

「うん。先にお母さんに電話します」

「電話はあっちにあっから」


 兄の提案を飲むあずまに、涙鬼はにらみつけた。


 黒電話を前にしてあずまは固まっている。プッシュ式だと思っているのか、ダイヤルの穴に指を突っ込むだけの彼を見て、涙鬼は不機嫌な顔つきでそれを回してみせた。


 その後、ふたりは道場に向かった。


「体育館みたいだ」

「走るな」


 涙鬼はぶっきらぼうに言いながら距離を置いた。


「どうしてそんなに離れるんだよぉ」

「そこから入ってくると怒る」


 真ん中に鉛筆が一本置かれ、境界線ができる。


「じゃあ、わからないところあったら教えてあげる。数学得意なんだ」

「自慢するな」


 あずまは眉を八の字に下げる。裏にも問題がある算数プリントが三枚あったが、彼は十分足らずで仕上げた。国語の教科書で指定されていた文章も読み終え、することがなくなった。


 涙鬼の方を見ると、彼は真顔でやっていた。鉛筆の動きが遅い。


 涙鬼は左利きであることを発見した。あずまは手持無沙汰にゆっくりとほふく前進。

 境界線まで到達すると、人差指で少し鉛筆を押した。またもう一度押す。


「おい」


 涙鬼が険しい顔をしていた。


「怒るって言っただろ!」

「入ってないよぉ!」


 あずまは追いかけられ、ドタバタと道場の中を走り回った。

 靴下で滑り、豪快に倒れて眼鏡が飛んだ。顔を押さえながら起き上がる。


「いたい……」

「大丈夫か? 鼻血は?」

「出てないよ。ほら見て」


 笑ってみせると涙鬼は仏頂面で元の陣地に戻るよう指差した。


「わからないところあった?」


 眼鏡をかけ直しながら尋ねるあずま。


「自分でするからいらん」

「けちんぼ」


 涙鬼が腕を振り上げたので、慌てて顔を守りながら陣地に戻った。涙鬼は鉛筆を持ち、今度はあずまの隣に置き直す。


「次は本当にぶつぞ」

「もうしないよ」


 涙鬼は宿題を再開させる。あずまは暇なので寝転ぶ。


「ねぇ千堂くん。少しは仲良くなれたのかなぁ……?」

「ならん」

「そんなぁ……」

「俺は教育センターに行くんだ。邪魔するな」

「教育センター?」

「お前に関係ない」

「そうだね」


 涙鬼はあずまの方を向く。あずまは神妙な顔つきをしていた。


「そこと僕は何も関係ないけど、千堂くんと僕は関係あるよ」

「すぐ無関係になる。俺とお前は赤の他人なんだ」

「とてもさびしいこと言うね。……僕、青色が好きなんだ!」

「は?」

「真っ赤な夕焼けよりも真っ青な空が好きなんだ。だけど雨はあんまり好きじゃない」

「俺は雨の方がいい。そこから俺とお前は違うんだ」

「いいよ、雨の方が好きでも。雨は好きじゃないけど、お母さんが作ってくれるテルテル坊主は好きだよ。これもね、お母さんが作ったんだ」


 あずまはランドセルについているフェルトキーホルダーを指差す。よく見れば黒いぎざぎざの頭をした忍者……だと思う。


「お父さんが昔、病室で描いてくれた絵をね、人形にしたんだって」

「だからなんだよ。口数が多い奴め。集中できないからしゃべるな」

「ごめん」


 あずまはしょぼくれて背を向けた。涙鬼は宿題を続けたが、時々気になって隣を見た。


「おーい。父さんが飯食ってけって」


 そう魃が呼びに来た時には、二人は互いに背を向けて眠っていた。

 魃は苦笑する。


(別にこんなに離れてなくても)


 彼は知らないが、境界線だった鉛筆は消えていた。

いつも不定期な投稿ですみません。

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