そのレーザービームは危険かもしれない
「おら、やるよ」
ゴールデンウィーク最終日。改札口を通ろうとした時に高矢はそう呼び止めた。
カーゴパンツのポケットをまさぐって取り出して見せたのは黒いリストバンドだ。「当日はこれつけて気合い入れろよな」と加賀の胸に押しつける。
「おら、お前も」
「お、おう」
至って真面目な眼光に、幅屋はそわそわと両手で受け取った。果たし状にとどまらずジンクスめいた発想をするなんて。しかもおそろいだ。三人はチームなのだ。饗庭が仲間外れになってしまったが、ついにやけてしまう。
「お前いつ用意してたんだよ?」
「昨日買った。ジーサンからもらった金で」
「貯金しろって言われてたやろ」
「テメーにウソついたってバレんだろーが」
「まぁな」
「つかテメーも貯金する気ねぇだろ?」
「うん、借金返済に使う」
これ以上視線を読み取られるのは嫌だったのか、高矢はそそくさと改札口を抜けて行ってしまった。
「そんじゃあ加賀。果たし状できたらいっしょに出しに行こうな。あ、お前のじいさんからもらったお金、貯金できてないって話。じいさんにナイショな」
ちょっぴり間があって、加賀はこくりと頭を前に揺らした。
電車に揺られている間、高矢は大きく投げ出した足の間で指を組んで考え事をしていた。加賀の“思考”と比べ物にならないほどに鋭利にさまようそれに、興味本位で手を出してみようものならさっくりと切れてしまいそうだ。視線を視覚化できるようになって、いかに高矢の眼力が強いか思い知っているし、今までよく面と向かって話せたなと幅屋は思う。
レーザービームやん。真面目な考え事に口出しする雰囲気作るなどとてもできず、心の中で茶化しながら手の中の切符の感触を楽しむ。
すると、高矢の視線がドアを貫いたかと思うと、おもむろに足を軽く閉じて場所を詰めてきた。それまで高矢のテリトリーだったそこに腰の曲がった老婆がちょこちょことやってきてのろりと座った。見渡せば席は十分空いていたのだが、高矢がいたそこがドアから一番近かったのだ。
座る前に電車が動き出して目の前で転ばれても嫌な気持ちになる。“粗探し”でそんなところまで考えたのかは定かではないが、あまりにも自然な動きで老婆も譲られたことに気がついていないらしい。高矢も知らんぷりしている。
高矢のこういうさりげない優しさを知ってもらえれば、きっと女子も意外だと見直してモテるようになるんじゃねーかなぁ。幅屋はぼんやりと思いながら降りる駅が呼ばれるのを待った。
流れていく夕暮れ前の街並みには、光線銃のようにカラフルな線が飛び交っている。嫌なことがあったのだろう、若い女性がしんどそうに席を立ち重い足取りで出ていく。
視線が額にかすれた。氷を当てられたかのような鈍い痛みにびくりと腰が浮く。
いよいよまずいのだろう。にもかかわらず、幅屋はどこか他人事な気がして危機感がこみ上げてくることはなかった。
「あ、俺ここで降りっから。そんじゃあ学校で」
「おーゥ」
高矢の素っ気ない返事を耳にして、スパイ映画とかである防犯のレーザーを避ける気分で力強い眼光から逃げる。増岡の家に近い駅で降りて早歩きした。
駅員に切符を渡してそのまままっすぐ駅舎から出ようとすると、左肩にパリッと静電気が起きてつんのめった。とっさに肩口をつかんで左を向くと“警戒”レーザーが別の色に変化したところであった。
振り向くと、改札口の向こうに立っている高矢が頬骨を強張らせて目を見開いている。三六〇度視線がわかると言ってあるのに、何に驚いているのか。
彼は何らかの“思考”を巡らせ始め、また“警戒”色に戻る。切符を握りしめているのにこっちに来ようとする様子もない。何に警戒しているのか、幅屋は声をかけるべきか少し悩んだが、神経を逆撫でさせて今更コーチを降りられても嫌だし、とりあえず友好的に手を振っておくことにした。
外に出て曲がる。しばらくレーザーは飛び出していたがやがて中に引っ込んだ。何か言いたいことがあったのが確かだとして、こっちに来ないなら大した要件ではないのだ。もしかしたら学校で改めて話してくれるだろう。
もしかすると、正義感に目覚めたという言葉に対してずっと半信半疑なのかもしれない。“疑い”と“警戒”の色が違うのは学校で学んでいる。幅屋が感知できる色は一人一色だ。どんなに感情がぐちゃぐちゃでも、その瞬間ごとに一番濃い感情が視線に着色される。高矢は“疑い”よりも“警戒”の方が強いのだろう。
もしかすると、増岡の家に通うのを投げ出していないか監視したかっただけなのかもしれない。さぼって怒られた前例だってあるし、“警戒”されたって納得できてしまう。
高矢が視線を読み取られたくなくて逃げたように、幅屋だって“粗探し”をされたくはなかった。醜い姿はとっくに自分から見せてきたが、腹の中の悪鬼の存在だけは知られたくなかった。あまりにも恥ずかしすぎる。
互いの眼力のせいで目をそらし合って、せっかくの関係性が崩れたらと思うと。これこそ悪鬼の思う壺だったりするのかもしれない。幅屋は首元が熱くなるのを感じつつ、改めて早歩きで増岡宅へ向かった。
郵便受けの中に『モモ』があった。手汗を服の裾で何度もぬぐってから手に取った。
親指の腹を滑らせてページをぱららとめくった。何も挟まっていなくて落胆する。一言でも感想文が添えてあったらと希望を抱いていたのに。
いや、悪鬼を飼っているクソガキの希望を神様が叶えるはずがないのだ。本を手に取ってくれただけでも土下座ものではないか。ポジティブでいこう。
「えっと、本を読んでくれてありがとう。えっと、読んでくれたんだよな……? ほら、江戸川乱歩のさ、えっと、シリーズが図書館に入って人気だったじゃん? え、え、え……えっと、知らないよな……人気なんだよ! 地底の魔術王とか、仮面の恐怖王とか、かっこいい題名でさ、でも俺、借りたけど、結局読まなかったんだよ。やっぱり俺、マンガの方が読めるからさ、江戸川乱歩が漫画家だったらよかったんだよ。あ、ぅあ、でも、増岡は本読んでたから、俺と違ってみんなに……望まれてる、から、読んでると思うから、ありがとう」
割れ物を扱うように大切に、本をリュックサックに入れた。
ちらりと二階の窓を見上げた。青いカーテンがぴっちり閉まり切っているところが増岡のものとおぼしき部屋だ。まだ一度も増岡らしき視線を感じたことがない。怯えているだろうか、怖がっているだろうか、怒っているだろうか、恨んでいるだろうか、警戒しているだろうか……。この『モモ』だって、読まなければぶっ飛ばされると恐れたのかも。
どんな色の視線であっても受け止める、つもりでいる。そのつもりでいなければ。もし貫かれるとして、その際は悪鬼ごと串刺しにしてもらえればいいなあと、幅屋はぼんやり思うのだった。
「ワッフルおいしかったな……」
腹をさすった。卵とバターの幸せな香り。外はカリカリ、中がふわふわの焼きたてワッフル。加賀老人には悪いが、早く家に帰って吐き出さなければ。悪鬼に栄養を与えてしまう。ちょっぴり足取りが重くなる。
息を吐く。よし、と気合いを入れ直して胸を張り、力強い一歩を踏もうとして。ぎょっとする。曲がり角からまたあの“警戒”レーザーが飛び出ているのだ。
俺ってそんなに信用ねぇのかな。やっぱりちゃんと会話するべきだったのかな。
幅屋は眉尻を下げ、レーザーに当たらないことを意識しながらレーザーの主の元へ歩みを勧めた。