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余談~みさ子の結婚相手について④~

 寅子さんは吸い殻を金色の携帯灰皿にねじ込み、はぁ、と息をついた。


「もし、あの子が健康だったら同級生だったかもしれないのよ」


 母性をたたえた微笑みだった。


「夢見がちな女の子でさ、どことなく儚げで。可憐で。陰ながら男子にモテちゃったりして。うちはそれを牽制する係になるのよ。良くも悪くも純粋で、ワルイ男にコロッと引っかかりそうだからさ、守ってあげなきゃって。小鳥みたいに声まで可愛くてさ、腕は細いし、白いし、小指の爪なんてこれくらい小っちゃいの。赤ちゃんみたい。なんにも汚らしいこと知らないって顔してるんだから。これからも知らないでいてほしいって思っちゃうんだから。だから代わりに汚いことをしてでも守ってあげなきゃって思っちゃうんだからさァ」


 彼女は突如として感情的にポロポロと涙を流し始め、言葉尻を震わせた。


「あの子のことが好きなの。彼とおんなじくらいに好きになっちゃったみたい」

「……だから、金成を……影武者を殺したんですか?」

「うちだけじゃないわ。みんなで協力して殺してやったのよ。利害が一致したから」


 ボロボロと涙を流した。


「でも結局しとめられなくて、逃がしてしまったわ。影武者もただの葉っぱだったんだから! 人殺しにならなくて済んだからよかったって思う? みんなして二重三重に騙されて、今も悔しくてしょうがないのよッ!」


 海に吼えた。潮風はぶわりと音を立て、海面がざわめいた。琥珀色の瞳はギラギラと瞬き、金色に輝いた涙は線香花火の終わりのように呆気なく消え失せていった。


「うちのこと軽蔑する?」


 喉から絞り出された問いかけに、僕は「いえ」と即答する他なかっただろう。乱暴にハンカチを取り出して顔を拭う寅子さんは鼻をすすり、剣のある眼差しを向けた。僕が彼女を泣かせたみたいで居たたまれなかった。


「少なくとも寅子さんがトラでよかったと思いますよ」

「どういう意味?」

「どうせ気に入られるならトラが一番らしいですよ。魁さんが言うには」


 寅子さんは目を空に泳がせて、は……と乾いた笑いを漏らした。不本意だったのだろう。


「そうね。一度捕まえたら縄張りに引きずり込んで死んでも放したくないんだから。逃げたけりゃ殺すしかないのよ」


 冗談交じりに言った。ハンカチをぐちゃぐちゃに丸めて雑に仕舞うと、途端に空気を張り詰めた。


「先に出会ったのはかっちゃんだった。あの子が先に選んだのもかっちゃん。うちもかっちゃんに守れって言った。それにうちはあのクソババアと同じ穴の(むじな)にはなりたくないから。そばに置きたいっていう気持ちと解き放ちたいっていう気持ちがぐちゃぐちゃしてるけど、かっちゃんがそれを解決してくれるって信じてる」


 決意に満ち満ちた瞳に圧倒されそうになった。



“四家に目をつけられたら逃げられないだろうね――”



 かつて魁さんが言ったことをさらに思い出させた。

 僕はもう、逃げることは許されなかった。


「実際にみさ子ちゃんを守っているのはうちや辰郎かもしれない。でも、幸せにするのはかっちゃんの役目であるべき。そうでしょ?」

「……僕はみんなと違って非力ですよ」

「だから代わりにうちらが守るんでしょ。あんたが死んだら誰があの子を幸せにできるんだっつーの」

「それに。僕は」


 頭がズキズキした。まだ中身が残っている缶が少し凹んだ。


「僕は。僕が。みさ子さんの残りの命を奪うことになる。そういうことですよね」

「奪うんじゃない。一部になるの」

「死ぬことには変わりない」


 寅子さんは真っ直ぐに「そうよ」と肯定した。


「でもみさ子ちゃんはそれを望んでいる」

「うそだ」

「あんたがそれを一番理解しているはずよ」

「いやちがう」

「あの子はあんたに人生を捧げたいと思ってる」

「僕に捧げるなッ!!」

「それをあの子に言ってみろッ!! 言えんのかッ!?」


 寅子さんは泣きはらした目を潤ませた。



“慈悲を失わせたいなら冷酷な人間となれ――”


“愛を憎しみに――”



「あの子は、ずっと籠の鳥だった」


 僕はみさ子さんをペットにしたくなかった。


「話し相手は妖精ばかり。一方的に喋りかけるだけの」


 僕はみさ子さんに同情してはならなかった。


「でもあんたに一目惚れして」


 僕は運命を許さない。


「出会わせてくれて、神さまありがとうって」


 僕は神を信じない。


「あの子は初めて生きていく意味を知ったんだ。かっちゃんと勉強したり、お絵描きしたり、映画を見たり。デートもしてみたいって言ってた。一時的に退院できるように働きかけることくらい朝飯前さ。本当はうちの方が女の子の好きそうなデートスポット色々知ってるけどね」


 僕は。


「タヌキに奪われたら、あの子は不幸になる。どんなに金を貢がれたってあの子は幸せにならない。だってあの子が幸せにしたいのはあんたなんだから。あんたを幸せにして、あんたと幸せになりたいんだ。あんたのためだけに、あの子は積極的な女の子になれるんだ。ひ弱なのにさァ、ぐいぐい行こうとするんだよ? 羨ましいよ()は……」


 寅子さんは下唇を噛んで苦しそうに笑みを引きつらせた。

 もし今の恋人よりも先にみさ子さんと出会っていたら。もし自分が女じゃなかったら。彼女はみさ子さんを選んでいたのだろう。たとえ、みさ子さんが僕を選んでいるとしても、振り向かせるためにあらゆる努力を惜しまなかったのだろう。それこそ、僕を秘密裏に消そうと画策し、悲しみに暮れるみさ子さんを熱心に慰めたのだろう。


「延々と愛のない結婚生活をあの子に強いるか。短いけど愛のある結婚生活を叶えるか。二つに一つなんだよ」


 凹んだ缶からコーヒーがこぼれて手を濡らした。


「一応言っとくけど釜遊弟には既に女が複数いるから当てにしないことよ。釜成も根はいい奴だけどブサイクだし。みさ子ちゃんだってハンサムがいいんだから、かっちゃんみたいなね」


 僕は言葉にならず小さく喘ぐだけだった。


「今年で十八でしょ。誕生日を迎えたら、即座に婚姻届を出して。証人はこっちで用意するわ。ご両親に説得が難しそうならうちが仲介する。離婚届の不受理申し出も忘れないで。敵に知られる前に決定的な関係性を作るの」


 まるで脅迫だ。


「本当は少しずつ意識させるつもりだったけど、うちの弟の阿呆のせいで急がせる羽目になって、ごめんなさいね。かっちゃんはもうとっくに普通の高校生じゃないんだから」


 慈悲さえなければ。こんなことには。


「でもみさ子ちゃんはこの件に関してなんにも知らないの。これはホント。かっちゃんは年下でまだ学生ってのもあるから、プラトニックなお付き合いだけで満足しちゃっててさ。だから……」



“あなたのために、わたしは生まれてきたんだって――”



「もし、かっちゃんの方からプロポーズしてくれたら喜ぶわ」


 残酷だ。

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