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千堂涙鬼は絶対に受け入れたくない

「涙鬼くん、途中まで一緒に帰ろう」


 今日は無事だった靴を履いていた時にまたしても声をかけられ、涙鬼は下唇の裏側を軽く噛んだ。


「ねえ、いいでしょ?」

「うるさい」

「やった。久しぶりにしゃべってくれた」


 にっこりと笑うあずまに、涙鬼は目を細めて歩を速める。


「ねぇねぇ涙鬼くん」

「名前で呼ぶな、馴れ馴れしい」

「じゃあ千堂くん。きみのお(うち)って近いの? 遠いの?」

「うるさいしゃべるな」


 声を尖らすとあずまは足を止める。しかしまた隣に現れる。もどかしい。


「視界に入ってくるなっ!」

「待ってよーっ!」


 また振り切ってみせた。どっと押し寄せてきた疲れでバス停のベンチに腰かけ、両手で顔を覆い隠す。


「泣いてるの?」

「は?」


 面を上げ、追いついたあずまを乾いている目でにらむ。


「よかった、泣いてないや」


 大きく息を吐いて安堵しているあずま。


 バスが来て、二人は乗り込む。


「なんでお前まで乗る?」

「家の近くで止まるみたいだから」

「そっち空いてるからそっち行け」

「あれは優先席だから座ったらダメなんだよ?」

「優先しなきゃいけない奴がいないだろ」


 これだから通路が狭くなって降りる時に面倒なんだと涙鬼は小言を並べ、一番後ろの右側に座る。


「まるで僕のお父さんみたいだなあ」

「は?」


 あずまは隣に座る。涙鬼が目を引いたのは彼のランドセルにつけられているフェルトキーホルダー。二頭身のキャラクターに見えたが確認する間もなくすぐ下へと消えていく。


「千堂くんはどこで降りるの?」

「しゃべるな」


 バスが動きだし、エンジンの振動を感じながら涙鬼は外を眺めた。


 しばらくして、ある地点でバスの扉が開くと、あずまはそわそわする。もしやもよおしたのではなかろうかと涙鬼は眉をひそめる。


 やがて諦めたように動きを止め、深く席に座るあずま。扉が閉まり発車する。


 またしばらくすると、涙鬼は降車ボタンを押す。『次、止まります』とアナウンスが鳴り、あずまが興味深そうにボタンを見つめている。


「どけよ」

「降りるの?」

「早くどけよ」


 半ば無理やりあずまを押しやる。

 涙鬼は定期券を見せてバスから降りると、あずまもランドセルから水玉模様のがま口財布を出して運賃を払った。きちんとお礼まで言って。


「おい」

「一緒なの。同じ道」


 涙鬼は鼻を鳴らし、違うバス停へ移動する。まだついてくるので、涙鬼の苛立ちは積み重なる。


「本当に一緒なのか?」

「一緒なの。本当に」


 次のバスにもあずまは乗り込んだ。


「定期券持ってないならちゃんとアレ取れよ」


 涙鬼が示したのは入り口に設置されている整理券が出る機械。あずまがどこに住んでいるのかは知らないが、運賃の均一区間外なら整理券を引っ込む前に取っておかないと降りる時に面倒なことになるのだ。


「教えてくれてありがとう」


 あずまは嬉しそうに整理券を取ってくる。また一番後ろの右側の涙鬼の隣に座る。「これはお母さんが作ってくれたんだよ」とがま口財布のことを聞いてもいないのに説明する。


 結局は均一区間内から出て、乗客は涙鬼とあずまだけになり、同じ“浅緋(あさひ)”で降りた。


 時代が逆行したかのように木造の建物が増え、ビルは消えた。この辺りは宿場町だ。提灯は点灯し、色が染まり始めている日暮山が横長に広がっている。あずまは山をこの目で見たのは初めてだった。


「山があんなに近い」

「やっぱり嘘だ!」


 涙鬼はまた逃げる。石畳の通りから柳が垂れ下がった水路へ。そして竹垣の旧道に入った。


 あずまは旧道手前で息切れした。適度な運動も心掛けていた克義とは違い、体力がなかった彼にしては上等な距離を走ったといえる。

 顔を真っ赤にして咳き込み、腰を曲げた。肺が痛くて胸をつかんだ。心臓がどくどくと今までに感じたこともない音と速度に混乱してきた。


「どうしたの?」


 ほてった顔を上げると、朝顔柄の紺色の着物を着たおかっぱの女の子が立っていた。女の子はあずまよりも幼く、もっちりとした桃色の頬と黒真珠のような瞳をしていた。


「だいじょうぶ?」


 女の子が背中をさすった。なだめられたかのように、心臓の音は背中をさする動きに合わせて速度を落としていく。


「ありがとう。大丈夫」

「おにいちゃんはだあれ?」


 首をかしげ、無垢な瞳で見つめてくる。


「僕は日比谷あずま。友だちを探してるんだ」

「ともだち?」

「うん。千堂くん、足がすごく速くて、またいなくなっちゃった」

「……こっち」


 小さな手であずまの細い手を引き、石でできた鳥居をくぐり抜けた。いや、ただ通ったと言った方が正しい。その鳥居は中間部分が抜けていて、鳥居を知らないあずまにとってそれはFに似た形が鏡合わせに立っている柱にしか見えなかった。


「きみの名前は?」

童小路(わらべこうじ)


 生い茂る竹林がざわざわと揺れる。まるで見知らぬ客人に驚いているかのようだ。小路をのろのろと進みながら、あずまはしみじみと雑感する。


「千堂くんのお家って遠いんだなぁ。山があんなにでっかいんだもん。でっかいとワアって驚いちゃうね。これって感動って言うのかな? もしかして千堂くんの家は山の中にあるのかなぁ? だったら毎日大変だなぁ。童ちゃんは千堂くんのこと知ってる?」

「知ってる」

「友だち?」

「ちがうよ」

「ちがうの?」

「うん」

「じゃあ一緒に千堂くんと友だちになろうよ」


 童小路は真顔で強く首を横に振った。


「千堂くんのこと嫌い?」


 弱めに首を横に振る。


「きみって変な子だね。でもきらいじゃないよ」


 竹林の斜面にはぽつぽつと古い墓石がある。左側にそびえる石垣を伝って低い段を上っていくと肌寒くなってきた。


 ようやく上にたどり着くとあずまは息を飲む。

 左側には二メートルほどの地蔵がずらりと延々と並んでいて、その奥は霧がかかって見えない。木々には緑がなく、だらりと不気味に枝が伸びている。


 右側を見ると、田畑の向こうに集落という暖かな景色が広がっていた。アメリカ育ちでなかったなら、あずまも昔にタイムスリップしたかのような()しき感覚を覚えただろう。


 振り返れば浅緋の町並みは隠れている。ここは暮浅緋くれあさひだ。


「あの向こうの家」


 童小路は稲穂が垂れ下がっている田んぼを越えたところにポツンとある日本家屋をまっすぐと指差す。


「ありがとう」


 お礼を言うも、隣に彼女の姿はない。後ろを振り返ってもいない。変に思いながらも、あずまは田んぼ道を小走りした。


 瓦屋根の門扉までたどり着いた頃には夕焼け空が重々しく広がっていた。

ちょっとしたどうでもいい裏設定なんですけど、“集落”は何年か前に投稿した「二階建て空中楼閣のF」っていう長編小説にちらっと出てくる謎の田舎と同一です(どうでもいい)

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