余談~みさ子の結婚相手について②~
「みさ子さんはこの件を知っているんですか」
「耳に入らないように気を配ってるつもりよ」
僕の問いに寅子さんは答えた。
「前、病院にサルがいるって言ったでしょ。ヒヒ爺を通して彼女の身の安全を頼んであるの」
「その人は自分の利益のためになったら非情になるそうじゃないですか」
「あのジーサンは他力に興味ないもの。実力で認められたいタイプだから」
魁さんは目をキョロキョロとさせて「タリキってなんだ?」と情報の共有を欲した。
「みさ子さんには不思議な力があるのよ」
「ふしぎなちから……」
「そうよ。でもそれがどういう力なのかうちらは知らなかった。でも金成はどこから情報を仕入れたのか彼女の力を知って目をつけた」
「金儲けに使えるって思った?」
「そうね、きっと。だけどただ彼女を捕まえるだけじゃダメ。必要なのは愛よ」
魁さんは訝しげに「愛?」と片方の頬を強張らせた。
「彼女の愛を得なければ、不思議な力の利益も得ない仕組みなの」
寅子さんが慈悲と口にしないのが僕にとって不自然であった。おそらく千堂家なら魁次郎さんは知っているだろう。それでもわざわざ伏せるという僕以外の三人に対する妙な配慮に嫌な予感がした。
「だからかっちゃんが邪魔だったんだな。いい年こいて横恋慕してんなやって思ったけど」
魁さんは腕を組んだ。その顔はまだ納得していなかった。
「てか……タツローは“タヌキんとこが”つって。それって新しい大将もみさ子さんを狙ってるってことでしょ?」
「釜遊弟はその気はないって言ってたけど、実際どうかしらね。愛人としてあてがおうと目論んでる奴がいるのは確かよ」
運ばれてきたアイスティー。寅子さんはガムシロップを入れ、ストローでかき混ぜると頬杖をついて飲んだ。
「おいタツロー。最近またケガが増えてっけど、それタヌキか? まだ青い龍を使うのをしぶってやがんのか?」
魁さんの責める眼差しに、琥将は明後日の方向を向いてレモンの輪切りをしがんだ。
ここ最近の琥将の言動は奇妙だったのは確かであった。僕の手持ちの鬼札の残数を気にしたかと思えば、魅来さんや魁次郎さんに頭を下げて大量の鬼札を生産してもらって僕に押しつけた。単にみさ子さんの“病気”に対抗して一度に大量消費したことを伝えたのが発端だと思っていた。
それにしては、気がつけば勝手に僕のロッカーの中に鬼札を貼り、僕の机の中に貼り、僕のかばんの中に貼り、僕の靴の中に貼り、しまいには体育の授業があった日に僕の制服の裏に貼り。
一体どういうつもりか鬼札が巻かれた鉛筆の消しゴムの部分で奴の首筋をぐりぐりしながら問いただしたら、体をくの字に曲げながら「たのむから付き合って」としか答えない。奴の『付き合って』はまったく笑えなかったが、うだうだと何だかんだで意思を曲げようとしない男だということは嫌というほど理解していたし、やっぱり琥将ひとりでは敵をさばき切れないだろうから致し方なく僕の方が折れたのだ。
すると、だ。ふと見たらロッカーの中の鬼札の数が減っていたり、靴の中の鬼札がなかったりしたのだ。僕のそっくりさんが至るところに出没しているという気持ちの悪い噂が流れ出したのもこいつのせいなのだろう。
「言ってくれりゃああたいだって手助けしてやれたものを。もうお前ひとりの体じゃないんだからね」
相談してくれなかったことを怒っていたらしかった。まるで妊婦相手の物言いではあったが。
「姉ちゃんも何か言ってやってよ!」
「この小豆おいしいわね」
「姉ちゃんだっておいしいつってるだろが!」
「ごめぇん」
琥将は涙目でレモンをもぐもぐした。涙が出るともう顔をこする気力も湧かない。寅子さんは珍獣を見る目でアイスティーを飲んだ。
「とにかく。みんな無事でよかった。今んとこね!」
魁さんはまだ納得してない顔で水をがぶがぶ飲んだ。
ひとり積極的に僕とみさ子さんの関係を陰で守り続けるのに満足していた満身創痍の琥将が気に食わなくて、そして守られていることが当たり前に思っていてかつ狙われている自覚がなかった無傷の僕には何のお咎めもない。
僕は彼女たちと違って、ただの人間。何の特別な力も呪いもない、無力な人間だからか。守って当然の、警護の対象だからか。
「その愛人うんぬんは、アンタがどうにかやめさせられないの? 同じ四家だろ?」
「同じじゃないわよ。むしろ手出しされないようにしてること褒めてもらいたいくらいなんだけど」
無茶な要求に寅子さんは苦笑いだ。
寅子さんには寅子さんのしがらみがある。それでも彼女には威光も、四家の垣根を越えて人を動かす力もあった。彼女の計らいのお陰で、僕はみさ子さんと会い続けることができていた。僕が弟の友だちだったから。僕はただみさ子さんの元へ通っているだけだった。
あるいは、みさ子さんの慈悲に値打ちがあったからなのか。地位も金も女も子孫も、すべてを手に入れている大将ですら欲する価値があったから、奪われれば四家の均衡が崩される恐れがあったからなのか。
僕はただ、たまたまツッパリに因縁をつけられて、琥将に余計な手助けをされて、懐かれて。いつもボロボロのくせして病院に行こうとしないから、だから気まぐれに心配して。病院まで連れていってやって。それをみさ子さんに見られて。謎に気に入られて。
僕はただ、生きているだけだった。毎日待ち受ける運命に身を寄せているだけだった。
“あの子に会うのをやめるのはやめろ。占いは外してやるから”
“ちゃあんと、守ってあげるんだぞ。男の子なんだから”
クソ。
「そのメガネ、サイズ合ってねーんじゃねか……?」
琥将が恐々と顔を覗き込んできて頓珍漢なことを言った。寅子さんはアイスティーを飲みながら挑発的な上目づかいをしてきた。弟とは違って彼女の眼差しは胸の内を狙い澄まそうとしているようであった。
「とにかく。この件はうちらに任せてくれといたらいいの」
寅子さんはパッと目に営業的な笑みを浮かべて僕たちを見回した。
「千堂家はお呼びじゃねぇって?」
「そうは言ってないわ。魁ちゃんは義理の妹になるんだから。弟思いの義妹でよかったって、ほんとうに思ってるんだから」
魁さんは頬を赤らめてムッとした。
「弟にケガが絶えないのは姉としても苦しいのよ? だから勝手にひとりで無茶しないように見張っていてもらいたいのが本音。かっちゃんのことだってもう一人の弟のように思ってるから、“ケンカ”に巻き込まれずにいてほしい」
母性に満ち足りた優しい笑み。しかし「けど」と続けるや緊迫感が含まれた声音になった。
「タヌキがみさ子さんを狙っていること自体に関しては、手出し無用よ。静観していてちょうだい。魁ちゃんだって手持ちが多くなって魅来ちゃんのボディーガードを怠りたくないでしょ?」
魁さんはむくれたが、適材適所を説かれて最後は肯定せざるを得なくなった。
僕たちが無理に呼び出したにもかかわらず、寅子さんは一言おごると告げることもなくクレジット払いで会計を済ませた。
「さあ、みんなそんな妙な顔しないでスマイルスマイル」
彼女は店先で僕の背中をぽんと叩いた。首の後ろにチクチクとした感触を覚え、詰襟に手をやると異物があった。折りたたまれた小さい紙だ。僕は黙って手の中に隠した。
それはふたりきりで会うための場所と時間が書かれた付箋だった。余命宣告を受けた時の感覚とはこういうものなのかと思った。