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舞前ベノワ優祐はこの日々を忘れてはならない

 千堂家に厄介になっていた頃から、タラ福に肉体を奪われた意味を寝床の上でひっそりと探し求めていた。


 日暮山の麓にある千堂邸の周辺に余計な光源はなかった。障子越しに月明かりが青白くぼんやりと見えるのみ。それが、闇の中であがきながら求めていた希望の光のようにも思えた。冷たくも優しい、手放しがたい光だった。


 使い勝手が良さそうだという彼女の気持ちは支配されている時に傍受した。なぜ自分がこんな目に遭わなければならないのか、舞前は理不尽を憎んだ。乗っ取られた当初はとにかく訳がわからなかった。


 自分は確かにここに存在しているはずなのに。歩けるのに地に足がついていない。重力を感じない。声は出せるし聞こえるのに反響しない。世界から遮断されている。感覚が狂わされている。どっちが上で下なのか、海面に上がろうと泳いだつもりがどんどん底へと死に向かっているような。


 舞前が小学校教諭になったのには、そもそも深い意味はなかった。教員免許を取ったのも取れそうな資格の一つだったから。元々はフランス語教室の講師のアルバイトをしていて、そのまま正規雇用してもらう道もあったのだ。ただなんとなく、辞めて別のことをしてみようと思い至った。フットワークが軽かったのだ。

 とはいえ、いきなりまったく異なる世界へ飛び込むよりかはホップ・ステップ・ジャンプの方がリスクは小さい。だから次はひとまず、そうだな……そんな感じでしかなかった。


 別に小学校教諭の仕事というものを軽んじていた訳ではない。むしろ子どもは好きな方だったし、自分の教え方一つで多くの子どもの価値観や人生が左右されてしまう、そんな不安や責任感も確かにあった。

 だからこそこれまで通り楽しくやろうと考えていたのだ。楽しい授業になれば勉強を好きになってくれるはずで、自分から進んで勉強をするようになれば学力は向上。進路の選択に幅ができて、将来の夢の実現への礎になるはずだから。


 別に他人の人生を舐めていた訳でもなかった。でも、そんな楽観的な考えが、タラ福が入り込む隙間になったのか?


 千堂家に殺されて、文献にも残されていないのであれば忘れ去られていく一方だろう。タラ福は、定丸は焦っていた。恐羅漢山定光は確かに存在していたという証人を欲していた。


 彼女の目的は次第に明らかになった。ひたすら支配から抜け出そうとあがいて、あがいて、疲れて、脱出のヒントが欲しくておとなしくしてみると彼女の考えていることが流入してくる。しかし流入を許し過ぎると今度は自分の考えが鈍ってくるのだ。


 だから最初は自分の身の危険から逃れるために頑張っていた。そして何日目かの“共同生活”で得たヒントが、千堂涙鬼が卒業すれば解放されるかもしれないというものであった。


 タラ福はとにかく彼をいたぶって、追い詰めて、弱っていく様子を観察したかったらしい。“無事”中学に進学したら今度は中学校教諭に憑くことを視野に入れていた。


 そのヒントでようやく、舞前は自分が受け持つはずだったクラスの生徒の名前をはっきりと知った。そして二択を迫られていたことに気がついた。


 ひとりの少年を犠牲にして膠着状態のまま三年間、解放される時まで耐えるのか。

 卒業する前に、暴力を止めるためいち早く殻を破るのか。


 横着か正義か。その二択が目の前にして、舞前の視界は鮮明に開けた。冷たくて、優しい光だ。


 もしタラ福に目をつけられなければ、他の教員のように認識を阻害されて見て見ぬふりをするズルい人間にさせられていた。千堂家の闇の歴史も知ることなく、市外からやってきた人間として、なんにも知らないまま受け持った生徒の卒業に感涙していたことだろう。


 これが、意味、なのか?


 でも。千堂涙鬼が自分の意思で幅屋圭太郎に一矢を報いたと知って。兄の千堂魃が三人を叱って威勢を削ったと知って。そのあとも。


 支配から抜けたのは、よくやったと自分をほめたい。よくぞ諦めかけていた心を奮起させた。

 そう思わなければ自己嫌悪に陥ってしまう。タラ福に、いや自分に負けて精神が廃れる悪夢を見てしまう。


 そんな愚痴を加賀重豊医師にこぼしてしまった。


「お前が動かなければその小僧はその場で瀕死になっていた。お前のせいでな」


 彼は千堂チヨが紹介してくれた、泰京市の隠れた名医だった。彼は人格さえ目をつぶれば“ヘビの尾”すらも一目置く逸材だったらしいが、ある時を境に看板を表から消してしまったという。

 メモを頼りに訪れた暗がりの館にはどこにも診療所だとわかるものがなく、チヨの記憶力を疑ってしまった自分を恥じる羽目になった。


 加賀重豊医師の第一印象は人間嫌いだ。人を救う職を手にしていながら矛盾している。彼が言うには、くいっぱぐれないから、だそうだが。今はどこから収入を得ているのか尋ねてみたところでにらみ返されるだけだろう。


「――でも、殻を割ったのは千堂くんのお父さんなんです」

「それがどうした」

「それに、僕は共犯みたいなものでしょ?」

「フン! なぐさめてもらいたいなら他をあたれ。ぴーぴー情けない耳障りな声を聞いてほしいだけなら聞いてやらんでもない」


 心のケアは専門外である彼の声音は辛辣。それなのにどこか、なぜだか彼に聞いてもらいたいと思わせる何かを舞前は感じたのだ。心のどこかで拒絶したい自分もいるのに、その気持ちを自分で阻害している気がする。手の治療のためではなく、本音を聞いてもらいたくて通院していると錯覚してしまうほどに。医療費も予想していた額より高くはなく。


 タラ福が慕う恐羅漢山定光について調べたこともあった。でも結局、何の手がかりも得られなかった。人間に対して友好的であったらしいが、いろんな郷土資料を読み漁っても定光の名は見つからなかった。

 そこから考えるに、千堂家にとって一妖怪を退治したに過ぎず、いちいち名前など気にしてはいなかったのだろう。スズメバチの駆除のようなものである。


 意思疎通ができたとして、所詮は人間と人間ならざる者の間には隔たりがある。人間同士ですら争いは耐えないというのに、どうやって価値観を共有するというのか。むしろ人間の密集地に忍び込んで学校生活を共有した事実は奇跡といえないのか。


 いやな奇跡もあるものだ。

 舞前は思う。


 幅屋たちのいじめを助長させてしまった。どうやら崇城先生は校内の異様な空気に気がついていたらしく、それでありながら何も行動を起こせなかった自分を恥じているようである。


 幅屋たちが反省を学び始めたのは不幸中の幸いだ。だがいくつもの犠牲の上でようやく芽を出したものであり、彼らに傷つけられた子どもたちはこれからも心に深手を負ったまま生きていくことを我々も忘れてはならないのだ。

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