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高矢孝知は経験値が足りない

 加賀老人が教えてくれたとおり、タイミングよく快速に乗ることができた。電車が動き出す時のフワーンという音が近未来を感じさせて気に入っている。

 入ってすぐの無人の優先席に膝を乗せて幅屋は窓越しに手を振った。それをただ見つめ返すだけの加賀が流れていくと、ぼすんと腰かけた。ああ、と上半身が脱力する。


 他の乗客からの視線を感じる。さしずめ元気そうな子どものくせにそこの席に座ってんじゃねぇだとか、席の意味を理解していない痛い子どもだとでも思っているのだろう。でもガラガラに空いているのだから、どうしても譲らなきゃならない人が乗ってくるまでは堂々と居座ってやるのだ。


 高矢の初心者向け空手講座もといケンカ講座初日は、正直言って手応えがなかった。それはコーチの方が感じていることだろう。本当は短気でありながら“苛立ち”の色をあまり出さなかったのは、結局どんな形のケンカであれ向き不向きがあることを知っているからなのだ。

 やると言ってくれたから最後まで付き合ってはくれるのだろうが、時々“諦め”の色が見え隠れしていつ『ハッキリ言ってムリ』だと面向かって言われるかハラハラする。


 ゴールデンウィークはあと四日。たったの四日で加賀の意識は変わるのだろうか。そもそもあいつはなんにも望んじゃいない。なんにも。ただ何とかしてくれると言われて、その事実を受け入れているだけなのだ。自然に身を任せているだけなのだ。ただ生きているだけなのだ。


 ただ、これも正直なところ加賀はケンカに向いていないと幅屋は思う。これから素質を見出すことができたとしても、そうなる未来が脳裏に描かれなかった。

 やりかえすところが見たいから暴力を教えようとしているのは自分なのに、暴力を知って感情表現に使おうと考える人間になってほしくはない。過ちを犯してほしくはない。


 まさか。加賀はそんな人間にはならないはずだ。

 本当に?


「さっきさあ。順序がうんぬんかんぬん言うてたやん?」


 他の乗客に聞かれないように、電車の走る音に紛れさせるつもりでそっと声をかける。高矢は「んー?」と間延びした音を下顎から発しながら後頭部を背もたれにくっつけた。


「加賀に心がない感じなのはいじめられてるからじゃなくて。“自分には心がないからいじめられても平気だ”って思い込んでる、そんな呪いをかけてるんじゃねーかって」


 そうすることで、憎しみを持てなくする。そうなることで、目には目を歯には歯を。あるいはそれ以上の仕返しをしないように抑制させている。もしそうだったとしたら、加賀の意思に反したことを幅屋はやろうとしているのだ。


 高矢は「あー」と間抜けに口を開けて頭を背もたれにぐりぐりと押しつける。


「俺の話聞いてっか?」

「ああ、聞いてる」


 高矢はいつも剣呑な目をして周りを委縮させて自分の空間を保ち、空間に入れる人間を厳選しているような奴だ。まるでチンピラだ。すらりとした腕はだらりと落とし足はだらしなく広げているのも自分のテリトリーを広く得ようという寸法なのだろう。だぼだぼしたカーゴパンツで余計に面積が大きく見える。


「ホントかよ。今お前アホな感じに見えるぞ」

「ころすぞ」

「だって頭悪そうに見えンもん」

「やっぱ視線が見えてたらケンカに有利か?」

「試したことねぇけど、どこ狙ってるのかはわかると思う」

「じゃあお前の目をずっと見ながら蹴り入れる」


 と、だるそうに言いながら高矢はまぶたを落とす。こっちの質問には答えてくれなくて、幅屋は腕を組む。手前の吊り革がぶらぶらしているのを見上げる。


「お前を巻き添えにしてさ、お前がめんぞくさいって思ってんのはわかってんねんわさ。でも俺って、いつも一方的に弱ぇヤツを殴ったりしてただけだから、反撃された時のことわからんしさ」

「あー、千堂にビンタされた時のお前な。ゑ? イマナニガオコッタノー? って顔してた」


 高矢は意地悪な声音で、顔を吊り革の動きに合わせて小刻みに揺らす。幅屋は「うるせーゾ」と鼻白み、生えかけの傾いた奥歯を舌でほじくる。


 しばらくすると、高矢が溜め息をついた。そして目を開けて白状する。


「あのジーサンが弱いの抱えてんのはすぐわかったんだけど。加賀の方はわからなかった」

「お前ずっとなんか見てたよな」

「まあ、粗探し的な」


 やっぱりな、と幅屋は思った。


「粗探しつっても、メンタルの話でさ。アイツはマジで全部が隙だらけなんだよ。黒ひげ危機一髪でさ、どこ刺しても吹っ飛ぶってくらい隙しかない」

「危機感がないのはわかる」

「隙だらけなのは、フツーに見てもわかんだよ。でも“もうひとつの目”でメンタルの方の隙を探したら、まったく見えなかった」

「メンタルは強いってことか?」


 高矢は首をかしげ少し考えこんで、「いや」と不可解だという顔をする。


「黒いモヤモヤがかかって見えないんだよ。煙が出てる、つーの?」

「それが呪いかもしれないのか」

「呪い……呪いなのか? あれは?」

「ジーサンのは呪いだってわかったんだろ?」

「わかったっつーか、たぶん呪いだろうなってだけだ」

「だから呪いだってわかる、そういう判断できるもんが見えたんだろ?」

「まあ……基準になるもんがあるからな」

「基準」

「ああ」

「おしえろよ」

「めんぞくせ」

「ハァ?」


 高矢は薄い眉をひそめ「とにかく」とやや強調する。


「俺だってな、見えるって自覚したのつい最近なんだよ。何がどう、これはこうって何でもかんでも判断できるほど見てねーし理解してねーんだよ」

「経験値が足りない」

「そ」

「わかるのは、ジーサンはわかりやすい。加賀はわからないってことだ。それでも幅屋は助けるんだな?」

「うん」

「少しは悩めよな」

「助けるか助けないかなんだから助けるやろ」

「それをお前が言うなっつー話なんだよ」


 幅屋は腕を組む力を強め、意味深長に声音を低める。


「妖怪が暴れ出さないようにするためにはいい人であり続けなければならない」

「ア?」

「でなければ俺は黒ひげ危機一髪どころか、ザシュ、ザシュ、ザシューゥ」


 怪訝な目をする高矢に、幅屋は唇を尖らせて自身の鎖骨、胸、脇腹を刺す動作をしてみせた。


「まあ、今のお前なら妖怪はおとなしくしてるんだろーさ」

「ザシュ、ザシュ、ザシューゥ」


 ふざけるクラスメイトを横目に、高矢は「それはそれで困るんだよな」と小さくぼやく。その声は車内アナウンスと重なって誰にも聞かれることはなかった。

「めんぞくさい」はわざとです。自分が普段そう発音してるからです。

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