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加賀老人は自力で呪いを解けない

 ちょうどよさげな区切りがなかったので長め(当社比)

「まず構えな?」


 高矢の指導が始まり、出だしから彼は呆れ返る。


「幅屋は様になってるからいいとして、お前、へなちょこだな!」


 加賀は一連の流れこそ真似できているがすべてが鈍間であった。


「覇気がねぇんだよ覇気が! ホラ、せいッ!」


 高矢が改めて正拳突きの手本を見せると、加賀もくにゃりとグーを作って前に出す。


「せい」

「だーかーら。なんでやったあとに言うがんかって。やる気ない山彦かっつの。ああ、もういい、この際だからかけ声はナシだナシ。無表情で無言の方が怖いし。じゃあもう一回――」


 声音は苛立っているが、瞳は力を使うまでもなく前向きに生き生きしているのが幅屋にはわかった。

 にわか仕込みでありながら無表情に無言で拳を繰り出す加賀は驚異的かもしれない。一発だけでいい、是が非でも春日井らにやり返してほしい。殴り返すところが見たい。幅屋の拳に力が入る。


 ふと、高矢は加賀に問いかける。


「そうだ。お前、普段から自分ち掃除してんのか?」

「……してる」

「窓もふいてっか?」

「……ふいてない」


 館の窓は白っぽく薄汚れている。高矢は横目で薄らと笑った。


「これからは窓もきれいにしろ。やり方教えてやっから」


 いつの日だったか、饗庭と三人で今までどんな映画を見たか話したことがあった。高矢は父親と『カラテキッド』を見たのが一番記憶に残っていると答えた。一時期は窓ふきや洗車にはまったくらいで、おそらく今の自分にかなりの影響を与えているとも言っていた。

 どうりで彼の家はきれいだった訳だが、学校での掃除はかなり適当にやっている。『掃除はキレイ好きな女子がやればいい』だとか言っていたくらいだ。戸上すらも怖がって口には出さないが、実際は多くの反感を買っている。


(こりゃあ高矢の好感度も上げてかんとなぁ)


 死因が高矢への敵視と激突したから、なんて笑えない。もし急にそばで死んでしまったら高矢が疑われるかもしれない。せっかく見捨てないでいてくれているのにそれは恩を仇で返す最低な結末だ。友だちとして高矢をみんなに好かれる奴にしてやらなければ。


 日が真上に差しかかった頃、加賀老人が掃き出し窓から顔を出し荒っぽく言った。


「おい、ガキ共。飯を持ってきているのか?」


 幅屋と高矢は首を横に振る。


「パンと米どっちがいいんだ、パンがいいと言え」


 ふたりは「パン」と口をそろえた。


「アレルギーはあるのか?」

「ない」


 加賀老人は「今さら殺人犯なんぞになりたくないからな」と吐き捨てて奥へと消え、高級ホテルのビュッフェからの戻りであるかのような銀のトレーを手に再度現れた。


 ガーデンテーブルに用意したのは、程よく食パンに焦げ目がついた数種の具沢山(チーズ、ベーコン、レタス、玉子焼き、トマト、きゅうり、玉ねぎ、サーモン、レンコン、チキン……)のサンドイッチとオレンジジュース。それから真新しいタオル三枚と茶封筒が二つ。ハムときゅうり時々トマトのサンドか玉子サンドしか知らない幅屋は何層もある断面に唖然となる。


「往復それで足りるだろ。釣りは必ず貯金しろ」


 三千円が入っていた。高矢は平常心を装って封筒の中身を凝視。どうやら混乱しているらしい。


「さっさと食え。茂、お前もだ。いつまでもヒョロヒョロして、さっさと俺ぐらい頑丈で大きくならないと路頭に迷うことになるぞ」


 また吐き捨てていなくなり、次に現れたのは三時頃。今度はパンの耳のラスクとミルクティーを用意してくれた。「残飯だ」と一言かけてきて、止まっていたレコードを再び流すと奥へと消えていった。監視をしようとすらしないのは信用の証なのか。


 たしかに、サンドイッチを作って余ったパンの耳を使っているのだろう。サクッと心地よい音がして、粉砂糖はついさっきかけたばかりであることが舌触りでわかった。ミルクティーはさっぱりと甘さ控えめで、口の中がしつこくならなかった。


「あのジーサンめちゃくちゃいい人じゃん」

「口は悪いけどな。そのせいでめちゃくちゃ損してると思う」

「いや……それはどうかな……」


 高矢は言葉を濁す。「なんだよ」と幅屋が気にすると、高矢はサクサクとラスクを鳴らす。感情という大雑把に分類されたものしか見分けられない幅屋にとってすれば隠し事はもどかしい。


「なあ。お前親は?」


 高矢は加賀に問いかけた。加賀はややあって「おじいさん」と答えた。


「血はつながってんの?」

「なああまり変なこと聞くなや」


 時間はかかるがどんなぶしつけな質問にも答えてくれると気がついて、幅屋は牽制するが高矢は「つながってんの?」とにべもない。


「つながってない」

「あの人は誰だ? あの写真の女の人だよ」


 三人は写真立てに目をやった。古びた写真だ。幅屋はまったく気にはしていなかったが、言われてしまえば誰かに似ている気がしてくる。


「……セイコさん」

「あのジーサンの子どもか何かか?」

「……患者さん」

「患者さん?」

「おじいさんが、こいつは俺の患者だ、って言ってた」


 幅屋は「医者なのかあの人」と独り言ちる。孫息子が傷だらけで帰ってくるたびに手当てをしている様子が目に浮かぶ。


「別に患者はあの人ひとりだけじゃねーだろ。なんで飾ってあんだ?」


 加賀は遠くへと“回想”する。


「おじいさんが、この写真は戒めに取っておいてるだけだ、って言ってた。ずっと後悔してる、って言ってた。ずっと近くで見ていたのに、拒絶されるのが怖くて踏み込むことができずにいた自分が憎い、って言ってた。あのウエノオオクニのクソッたれのものになってしまって、なんで止めることができなかったのか、拒絶されてでも引きはがすべきだった、って言ってた。セイコは誰も愛すべきではなかった、どんなに周りに愛されても、それを真に受けるべきではなかった、人間如きにうつつを抜かしてしまったから、神は嫉妬したとでもいうのか、って言ってた。愛だけではなんにも救えない、愛さえあればすべてがうまくいくなら医者はいらん、って言ってた。男はみんなクソだ、ウエノオオクニも、俺も、セイコの上辺だけを見て、あいつの慈悲を真に理解してやれる奴はいなかった、だからお前は、人を愛すなら人を理解して、人に理解される男になれ、って言ってた。目は心の窓だから相手の目をよく見ろ、相手が何を望んでいるのかよく考えろ、俺のように拒絶を恐れるな、って言ってた」


 テープが再生されたかのように流暢に答えた加賀に、高矢は“粗探し”をやめて一言「なげぇ」と顔をしかめた。


「つまりただの医者と患者の関係ではなかった、つーことだろ」

「エ? 踏み込んでねぇんだからちゃんとただの医者と患者の関係で保ってたんちゃうん?」

「そーじゃねーんだよ」


 幅屋はなぜか高矢に白い目で見られてしまった。


「まあ、拒絶、拒絶ね。ジーサンの方はなんとなくわかったわ」

「え、なにが?」


 高矢は頭をかき、新たな質問を加賀に投げかけた。


「お前は呪いを信じるか?」


 加賀は長考に入ってしまい、「いや、いい」と質問を取り下げる。


「お前のジーサンはたぶんあれだ。自分で自分を呪ってんだと思う」


 加賀は頭をかしげる。


「ここに来る前に幅屋から事情聞いてんだけどさ。あのジーサン自分に自信がねぇんだよ。自尊心ってやつ? あれがねぇんだよ。自分は嫌われて当然の人間だって思ってんだよ。小っちぇえ頃にトラウマ抱えてんのかそこんとこ知んねーけど。だからわざと嫌な態度とりまくって自分を守ってんだよ」

「嫌われるってわかっててそんなことするん?」


 またしても高矢に白い目で見られた。


「たとえばさ、ガラスのコップがあるとすんじゃん。コップを買って使ってたら割れて使いもんにならなくなったのとさ、買う前から割れてたのとやと全然ちがうじゃん」

「たしかに」

「嫌われたから拒絶されたんじゃなくて、こっちが拒絶したから嫌われたんだって順序を作ってんだよ」

「でも、それのどこが呪いなんだ?」

「ジーサン見た目怖いし口も悪いけどいい人だってことはわかってんじゃん。さっきわざと嫌な態度とってるって言ったけど、口が悪いだけじゃんか。本当にわざと嫌われようとすんならいちいちこんなの用意するか? いちいち作ってんだぞ? これを」


 高矢はラスクを一本取ってみせ、サクサク言う。「金までくれるし」と言う。


「たぶんだけど、本当はもともとすげー礼儀正しくてさ。でも見た目が怖いから誤解されまくってたんじゃねーの? 何か企んでそうみたいな、さ。そんで結局、自分に負けてしまって、自分で自分に呪いをかけて、本当は口に出したくないもんをポンポン言うようになっちゃったんじゃねーの? みんなが想像してた通りの、見た目通りの人間になっちゃったみたいな」

「じゃあ呪いに言わされてるってことか?」


 馬鹿馬鹿しい話だが、今となっては馬鹿にはできない話だ。


「なんつーか、通訳の仕方が間違ってるみたいな。たまにあんじゃん映画でさ、日本語吹き替えで見た時と字幕で見た時に違和感あんだろ?」

「そうか?」

「そうなんだよ、って前に映画の話した時もこの話したろうが」

「言ってたよーな?」

「ほらさっき、アレルギーないかってジーサン言ってたじゃん。人殺しになりたくないって、言い換えたら単純にアレルギーがあったら心配ですってこったろが」

「まあ、あれはわかりやすかったな」

「わからねーやつはわからねーよ。お前ジーサンがいい人だってわかってんのか?」


 高矢は加賀に顔を向ける。


「……わからない」

「とにかく、ジーサンがああなのは呪いのせいだから。いちいち傷ついてたらキリがねえってこと」


 加賀はまったく理解できてない風であった。幅屋がこれまで見た加賀の視線は“思考”“回想”“無垢”の三種類だけで、肝心の喜怒哀楽の色は一瞬たりとも出ていない。祖父の手作りのサンドイッチもラスクも無感動で食べていた。いじめを受けている間も事実として受け止めているだけで傷ついてはいないのだろう。


「自分で呪いをかけたんなら、自分で解こうとは思わんのかなぁ」


 拒絶されたから学校に入れないというなら、呪いを解いてもう一度入れるようにすればいいのに。殺人の権利があれば殺すと考えるほどの意思があるのなら尚更できないのか。


「無理だろ」


 高矢の突き放す言い方に幅屋はムッとなる。


「なんでだよ」

「自力で解けらんねぇからこんなことになってんだろ。暗証番号忘れたみてぇにさ」

「誰かが解いてやらんといかんのか。でも俺らも暗証番号知らねーぞ」


 次から次へと出てくる問題に、幅屋は顔を両手でなで回し、日差しに向かってアッチョンブリケをする。高矢は興味のない顔で「そーだな」とぼそりと言った。

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