ヘタレは英語で?
「ジェイムスがウニ頭なのは君の海好きのせいだろ?」
母親は息子の弁護をするべく腰を伸ばして振り向く。
「違うわよ、あれはカズヤ似」
「違うな、あれは好奇心アンテナだ。四方八方ピンピンと受信して知識として取り込む」
ああ、綺麗な人だ。口ではご子息のことを話しながら見惚れていた。
「失礼しちゃうわ、人の息子をウニだなんて」
「ジェイムス、もしかして気にしてる? 学校では自分でもジョークにして笑ってたけど」
「気にしてたら全国放送のテレビでシー・アーチンだなんて言わないと思うわ」
「それもそうだ。対戦相手もいい子だったね」
「ええ」
5月に行われた英語スペリング全国大会のサドンデスで、ジェイムスは自分から「ウニ」を出題し相手のミスを誘い、見事優勝を獲得したのだった。
「どうしてシー・アーチンを綴らせたか、本人に聞いた?」
「イニィアがAIロボットみたいだから感情を揺さぶろうと思ったって。泣かしたり怒らすとヤバいからまず笑わせるとして、シー・アーチンって言って頭揺すってみようかなって」
「あ、そうなのか。やるな、ジェイムス。イニィアが相手の子の名前?」
「そう。でも敵を動揺させる作戦ではあっちが上手だったって」
「カーマ・スートラだったね、相手の出題は……」
恥ずかしがったジェイムスは画面の中でもかわいかった。
カレンはくるりと海のほうを向いて囁いた。
「ここは海が生きてる。話しかけてくる。嬉しい」
急に距離の近さを意識した。
手を伸ばせば腰に廻すことができる。自分の掌は大きく腕は太い。相手にその気がなければ、脅威の対象でしかない。硬直して拳を握った。
――あといくつ、波が砕ければ君は離れていくんだい?
潮の香りに包み込まれる。風が渦巻く。カレンの髪もドレスも波打ってほんのりと女の匂いが立ちのぼる。くらりとしそうだ。
「イギリス海峡はここらまで、向こうはもう北海なんだ……」
「あら、フランスが見えないと思ったわ」
「今君は、ベルギー当たりに向いてる……」
自分の鼓動に声がつぶれる経験なんて、いったい何年振りだろう?
――見事に、恋に、落と、された……。
「ジェイムスは上の学校へ行ってもたまには僕を思い出してくれるかな?」
目の前の細い肩が笑いに震えた。
「バスケがめっちゃ上手くて体育何でもできて、あ、ダンスはちょっと下手で。脳筋かと思ったら悔しいことにチェスが得意でスゴい頭いいって」
そういえば、ジェイムスもチェスが好きだった。
「ヘタレ」
急に振り向いたカレンが言った。
「ヘ、タレ……って? 日本語?」
「そうよ」
相手はしかめっ面をしてから屈託なく笑った。僕のヘンな緊張はひとまず解けていった。
「どういう意味?」
カレンは答えようとしない。
「ジェイムスはヘタレになりたくないんですって。決心がついたらイニィアに会いに行く。でも付き合うってどうすることかよくわかんないから、母さんお手本見せてよって」
「ヘタレって、お手本って?」
「私のせいらしいわ。『ぼくは両親が仲良く付き合ってるのを見たことがない。どうしたらいいか見当つかないから、帰るまでに彼氏を作っとくこと。作らないと戻らないからね!』、そう言い渡して日本に行ったの、あの子」
僕は口に手をやりカレンを見下ろしていた。でもまだ話が見えていない。目の前の女は睫毛に憂いをのせて俯いたまま話した。
「だからちょっと頑張ったんだけどな、わたし……」
また海のほうへくるりと向いてたん、たん、と岩場の先に行ってしまった。
「待って……」
――僕は君の彼氏候補?
次の一手の選択が頭を駆け巡る。
追いかける、でも何を言えばいいかわからない。行けば抱きしめてしまう。スマホでヘタレを検索する。いや、ここは恐らく圏外。この場で足を滑らせる。駆け寄ってきてくれるだろうか? どちらにしても僕の車でしか帰宅できない。このままでも振り返ってくれる。でもあの睫毛に涙を溜めていたら?
突っ立っていたら彼女が戻ってくるほうが早かった。
「満ち潮みたい。そろそろ帰らなくちゃね」
真横を通り過ぎる瞬間に左手を伸ばして制止した。
「カレン、ヘタレって何?」
「恋愛……チキン」
「こうしてもいいってこと?」
くっと腕に力を入れて抱き寄せた。うろたえた彼女の瞳が磯に遊ぶ光のように揺らめく。柔らかい髪に掌を埋めて、小さな頭を胸に押しつけていた。
辺りが暗くなる。左右を切り立った岸壁に遮られている奥まった浜だ、太陽は絶壁の向こうにどんどん沈んでいく。
「ジェイムスは……、継父ならショーンがいいって……」
「君自身の選択は?」
「あなたこそ、何も言ってくれてない……」
卒業前にジェイムスがチェスで挑んできたのを思い出した。時間があればいつだって相手をしていたから、最後に一局リベンジしたいのだろうと思って。ギリギリまで攻めさせておいて終盤こっちが挽回していくのがいつものパターン。
でもあの時はおしゃべりが多く、「集中力ないなあ、今日は」とからかったりもして、スコンと僕が勝ってしまった。
「彼女はいないのか」「もしかして同性が好き?」「暇なとき何してる?」と質問攻めにあった気もする。
――はあぁ、身上調査だったのか。
「11歳の坊やには真似できない表現方法がいくらでもある」
大の男が肩で息をしながら腕の中の芳しい髪の匂いに酔っていた。磯の香りなどもう吹き飛んで、届きもしない。
「好きになってもいい……?」
「わたしはもう何年も……あなたに憧れてました。保護者の一人としか見做されてないことも知ってて……」
「待たせてすまない。すぐに追いつく。すぐに……」
僕はチキンじゃない。羊でもないんだ。ちょっと心が麻痺していただけ。
逝ってしまった親友が笑って背中を押してくれる気がする。そう、僕はショーン・ザ・ティガーだ。
波が近づいてきてやっと腕を緩めた。暗がりの中、足元を誤らないようゆっくり、手を繋いで岩場を降りる。砂浜はほんの小さな三角形に縮んでいた。
駐車場の愛車に戻り最初にしたことは…………やはり、キスだった。
―了―
読了ありがとうございました。
タイトル回収できましたでしょうか?
ご興味ありましたら、ジェイムスの雄姿を「全国スペリング選手権大会決勝!」で応援ください。
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