表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/5

波の砕ける岩場へ


 飲み物も頼んでいたツマミもなくなっていた。

「ここで夕食でもどうですか? 予約していないので空席があれば、になってしまいますが」

「いえ、夕食はうちの冷蔵庫に入ってるので」

 カレンが肩を竦める。私は彼女がどうしたいのか、ちっとも読めない。

 バスケのパスもチェスの戦略も、敵を読むことは得意だと思っていたのだが。


「じゃ、帰りますか」

 明るく言って席を立とうとした。

「潮の香りがしません」

「え?」


「ここからでは海の画像を見ているのと同じです。テレビと一緒」

 私は目を丸くして、もしくは少し頬を引き攣らせていたかもしれない。

「あなたは海を()()行くと誘ってくれたのだから間違いではないですけど、ちょっと物足りない気がしません?」


 ――何かの駆け引きなんだろうか? 


 敵は読めても、こと恋愛が絡むと男女のやり取りは私には難し過ぎる。鈍感、疎い、というのが一般的な評価だ。

 

 ――もう少し一緒にいたいという意思表示? それともつまらない人ね、という揶揄?


 とりあえず会話を続ける努力をした。

「海自体は余り匂わないものですよね。海藻とか棄てられた貝殻だとかのほうがよっぽど臭い」


 相手は何の作為もなさそうな笑顔で答える。

「牡蠣の産地ビズタブルなんて浜一帯が海臭いです」

「そうそう。あちこち牡蠣殻の山で」

「出身なんです」

「あ、そうですか、知りませんでした」


 作家が著作のために田舎に引きこもり、彼女はそれに付き添ったパートナー、都会出身だろうというイメージを持っていた。

 ビズタブルなら州を縦断して北上、ここから行けない距離じゃない。とはいっても。

「今からじゃ、深夜になってしまいますね」


 カレンは笑いながら首を横に振った。

「故郷に連れてって下さいなんて我儘言ってません。マリーナの向こうに海水浴場があるじゃないですか。その外れに岩場があって波が洗ってる、あそこらまでいけば、ちゃんと海らしいと思うのですけど、歩くのは嫌ですか?」


 これも初体験だった。今まで、こっちが「少し歩こう」と言って女性が「えー、車で行けるとこがいい」と答える、そんな相手ばかりだったから。

 少し自信がなかった。掴みどころはないけれど惹きつけられている相手とふたり、ロマンチックにそぞろ歩いて自分を御せるかどうか。手は出さないにしても、教師として後々まずいこととか口走りそうだ。


「波が当たる磯がご希望ですね? 時間はまだいい? 20分車で走らせてもらえませんか、オススメのビーチまで」

「まだ8時前です。9時まで明るいんですから連れて行ってくださるなら喜んで」

 にっこり笑いかけられて腹を括った。


 イギリス海峡を見降ろす白亜の岸壁を下る一車線の急な坂。ジグザグの度に対向車が来ないか確認し、もし来たならどちらかがバックして道を譲り行き違う。最後のカーブを曲がり切ると、目の前に水平線。

 自分の運転に自信がなかったら来れるところじゃない、レッグスペース重視で選んだメルセデスEクラスなどで。


 辿り着いた平地は細長く岸壁に貼りついている。たった一軒のパブがあるだけで、後は小さな駐車場だ。砂浜と岩礁に寄せ来る止めどない波の音に圧倒される。


「うそ、こんなとこ、来たことない、同じ州出身なのに!」

 カレンは車を降りるや否や、少女のように声を上げた。瞳がきらきらしているのは夕陽をあびているせいだけじゃない。

「北部人は南には下りて来ない」

「あなたは南部人?」

「ええ、生まれも育ちも。南部人は北上もする。ビズタブルにもよく行きますよ?」


 カレンはにこっとするとくるりと背を向けて、砂浜に駆け下りた。

「待って、危ないって、転ぶよ!」

 焦って丁寧語どころじゃない。

 サンダルの中に砂が入るのも気にならないようだ。

 やれやれ、と大股で後を追った。娘を見守る父親の役どころ。


 彼女はまず、波打ち際で両手を浸し、指をぺろりと舐めた。

「こっちのほうがしょっぱい」

「ビズタブルはテムズ川の河口に近いから薄いんだろ。舐めたりしたら身体に悪い。牡蠣が育つのもロンドンから養分がたんまり流れてくるからだ」


 一人称「私」なんて使えない。表面的には同じIなのに、心の持ちようが全然違う。先生語が話せなくなった僕に、カレンはまた笑いかけ次は岩場のほうに近付く。


「滑るから、ほんと気をつけて!」

「海育ちの私にそんなことよく言えるわ!」


 ――そんなに海に来たかったのかよ、連れてくるのは誰でもよかったんだろ?

 

 海に嫉妬するわけではないが、まんまと利用された気分になった。それでも急に生き生きとした彼女が見られて、嬉しいという思いも湧いたのだが。

 

 カレンは潮だまりのひとつひとつを覗いている。

 バッシュ履いてきてよかった。海藻を踏んづけて滑らないよう気をつけながら、彼女に近付いた。


 前屈みのカレンの視線の先を、自分も同じ格好で重なるようにして上から見下ろした。

「ウニでも見つけた?」

「ウニ?」



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] >レッグスペース重視で選んだメルセデスEクラスなどで。 カッコイー (∩´∀`)∩~♪ 拙者、若いころは車好きだったけど、上等な車とか縁がなくて…(´;ω;`)ウッ… 居住性がいい車…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ