船の形のおしゃれなバーで
30分後、私のメルセデスは彼女を乗せて避暑地として知られた海辺の町オークストンに向かっていた。
クロップジーンズだった相手は、サンダルに大柄な花模様のカラフルなサマードレス姿になっている。
緑の田舎道を走る車の中でまず質問したのは、何の仕事をしているのかだ。
フロリストと答えた。学校の近くに店舗としての花屋はないが、そういえば卒業式などには大きなアレンジメントが壇上に飾られたりもする。そう示唆すると首肯して、
「でも主には結婚式。友人がウェディング・プランナーをしていて、大抵その人と組んで。週の前半は暇なんです」
と言った。
ジェイムスの養育費は潤沢に父親から出ているから、サイドビジネス的でもやっていけるというわけか。
愛車は木洩れ日の道を南下して海沿いに出る。窓を開けるとカレンの髪が潮風に遊んだ。
寂れた漁港を過ぎると、花盛りのハンギングバスケットをぶら提げたリゾートホテルが一軒二軒と増えてくる。
前庭のテラスはだべりながらビールを飲む客で賑わっていた。
親しい友人となら、砂浜に沿った散歩道を歩いてそういうところでお気楽に一杯でもいいのだが、相手は栄えある文学賞を受賞した作家の元妻だ、少し見栄をはってみようか。
オークストンのマリーナに、船のような外観をしたミシュラン二つ星のレストランがある。この近辺ではトップクラスだ。
そこは一階が黒っぽい内装のレストラン、二階はオフホワイトの半戸外のバーで、座っていても行きかうヨットを眺められる。二階で出す軽食はさほど高価でもなく、飲み物も酒、ノンアルコールどちらも揃っている。
デートっぽくもあり、仕事っぽくもある今の状況にぴったりに思えた。
二階に上がり彼女に海が見える席を勧め、自分は向かいに座った。
注文していたノンアルコールラガーとラテが運ばれてくる。ウェイターがソーサーを持ち上げた途端、ミルクに紛れたコーヒーの芳醇な香りが鼻をくすぐった。
ドウェイン。親しかったチームメイトの顔が浮かぶ。
「ジャマイカ人が強いのは短距離だけじゃねぇからな。生っちろいイギリス人にしちゃ、おまえのバネもたいしたもんだ。あのクマっ子仲間のトラみたいに跳ねやがる。ひつじのショーンの顔してショーン・ザ・ティガーだ」
眩しいくらい白い歯で笑っていた。
私は自分の短いファーストネーム「ショーン」にアイツが付けた愛称がとても気に入っていたんだ。
ズバ抜けた身体能力ばかりにモノを言わせるスタメンの中で唯一、私のやりたいチェスのようなバスケを理解していた。パスを出したいところに走り込んで来て私が行くところに返してくる。
地元でとれるコーヒー豆を味わったのはアメリカに来てからだって。
――あの不慮の事故さえなければ……。
遠征先に向かうスタメンの長距離バスが高速で事故に遭った。親友が死んだというのに、その後釜として急遽プレーしろと呼びだされ、出た試合は散々だった。そんな理由でスタメンになどなりたくなかったんだ。アイツのいないチームなんて。
思わずこめかみに手をやって顔を顰めていたらしい。目の前の女性に気遣われた。
「頭痛ですか? 大丈夫?」
綺麗な茶色い目が見上げていた。
下手に上背があると相手の表情が読みづらい。30センチの身長差で相手に俯かれるともうどうしようもない。小学生相手となるといつもスクワットだ。
今は真っ直ぐ入ってきたいたわりの視線に急にドギマギした。
「な、なんでもありません、コーヒー好きだった友人を思い出しただけです」
笑顔を作ると笑顔が返ってきた。当面の話題に戻した。
「ジェイムスは、日本語どのくらいできるのですか?」
相手は母親の顔になって答えた。
「普通校に入るのは無理だろうとのことでした。日本人学校の先生にアドバイスいただいたのですが。日本の受験勉強は激しいらしくて。インターナショナルスクールは元々アメリカの方が多いせいか、米国大学進学向きだと」
「そうですか……、私と同窓生になって欲しいのに」
カレンにしてみれば、ジェイムスが日本を選べば手元から一生離れてしまうような気がするだろう。11歳からそれでは母親としては堪らない。
「本人はどう言ってましたか、日本に行くこと……」
「父さんがトコノーマを見せてくれるってウキウキ」
「トコノーマ? 眼病か何かですか?」
カレンは肩を震わせて笑った。
「日本家屋のインテリアみたいです。Tokonomaと綴るらしくて。お祖母ちゃんちにもないから父親と京都旅行することになって、それが嬉しいのでしょう」
「あ、もしかしてスペリング大会用の難解語?」
「ええ、日本語なら任せとけって自信ありげだったのですが、一方だけに得になるような出題はしませんよね」
先程は笑うと可愛らしいと思ったが今度は美人に見えた。
「なぜ一緒に日本へ行かなかったのですか?」
相手はかなりの沈黙を置いてから口を開く。
「夏は仕事のほうが忙しくて。書き入れ時ですから」
そうは言ったって今日火曜日の夕刻、のんびりして見える。夜通し花を活けるわけでも、明朝花市場に行く様子でもなさそうだ。
私が怪訝そうな顔をしたのだろう、カレンは言葉を継いだ。
「というのは表向き、私はカズヤのお母様とは折り合いが悪くて。彼女も英国でカズヤを育てたのに、日本に帰ってからはとっても日本風。子どもができても、カズヤが著名作家になっても、私が儲かりもしない花屋を続けているのが理解してもらえない。これでも、わたしに是非花をお願いしたいと言ってくださるお客さまもあるんです。それなのに、夫や子に尽くせと言わんばかりで」
「イシカーワ氏は何と?」
「あの人は書き始めると周りが見えなくなるから、側に居るのが私でもアシスタントでも関係なくて。それより花で自分を表現できるなら続けたほうが良いって」
――なんだ、結構マトモなんだ。二人の仲は終わったと言っても子どもがいる限り連絡取り合わないわけにもいかない。まだまだ未練がありそうだ。深入りは止すか。
「ジェイムス、帰ってきますよ。興味深い日本文化を見聞してまたひと回り成長して。心配ない」
こんな気持ちのいい夏の宵に同世代の女性と絶好のセッティングでしゃべっている。それだけはあの愛すべきウニ頭ジェイムスに感謝するべきだろう。会話のネタ全てを提供してもらっていることも。
「ウニ頭」は愛称というよりあだ名だから使うべきではないのだが、漆黒で艶があり、ツンツンと立ち上がるあの子の髪は、イガグリではなくまさにムラサキウニ。
あの子を思うとつい笑顔になる。
「わたし、学生時代ネットボールをやっていたので、バスケの躍動感とか凄いなって思います」
「女子バスケはあって男子ネットボールはないのが変ですよね、今時」
私の答えはトンチンカンだったのか、カレンは苦笑しただけで次のコメントはなかった。
「船の形のおしゃれなバー」から見えるマリーナの風景を描いたので挿し絵に入れました。
下手ですが少しでも雰囲気が伝わると嬉しいです。