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第96話 勿忘草を摘みに行こう 3

 異界渡り。

 見崎神奈という女は、自らをそう名乗った。


「世界間を移動する能力を持ち、数多の異世界を渡る存在。それが異界渡りだ。俺もまた、世界を移動する能力を持ち、この世界とは別の世界からやって来た異邦人になる」

「…………へ?」

「んでもって、俺がこの世界にやってきたのは、ちょいと人探しの用事があってな? それで色々手段を尽くして探している途中だったんだが、偶然、死にかけのアンタを見つけてしまったわけだ。別に放置しても良かったんだが、助けられる命を見殺しにするのも後味が悪いからさ。その場のノリで、今こうして、アンタを助けようとしている。どう? 理解できた?」


 理解できねーよ。

 ……うん、だめだ、いくら考えてみても。この見崎神奈という奇人が言っていることがまるで理解できない。

 いや、自己紹介とか、俺を助けるまでの経緯とか、助ける理由とかを説明してくれるのはありがたい。俺はてっきり、謎の怪人らしく最後まで正体不明で、自分の事は語らないタイプの奴かと思ったんだけど、割と丁寧に自分の素性を明かしてくれるのは良い意味で予想外だ。

 でも、その内容が完全に意味不明なのが、悪い意味で予想外だぜ、ちくしょう。


「ま、待ってくれ。一つ一つ説明してくれ」

「おうよ、答えられる範囲で説明してやるぜ、お兄さん」

「…………まず、その異世界ってのは何だ?」

「異世界は異世界だぜ? ほら、この世界にもあるだろ? 異世界転生とか、異世界転移物のフィクション・ファンタジー。別にファンタジーに限るわけでもないけどさ、とにかくそういう感じの奴。ここではない、異なる世界って意味だ」

「あー、その、な? 気を悪くしないで効いて欲しいんだが、この説明で『はい、そうですか』と納得できると思いますでしょーか?」

「んんー、そっか。やっぱり[い]の世界線は基準観測点に近しいから、異世界との交流や干渉を厳重に制限しているんだよなぁ。だから、異世界の存在自体を知らない一般人がほとんどで説明が面倒なことこの上ない」


 俺が尋ねると、見崎神奈はぶつぶつと仮面の内側で愚痴を呟きながら、ひゅん、と右手を手品師の如く翻して見せる。

 すると、俺が瞬く間に、その手の中に色紙の束が出現した。


「はっ?」


 色紙の束は、あれだ、折紙に使うような感じの奴だった。掌よりも少し大きい程度の色紙。それが何重にも重ねられた物が、見崎神奈の手に掴まれている。


紙片創獣しへんそうじゅう――虎」


 ばらり、と見崎神奈が色紙の束から手を離すと、それらは突然の強風に見舞われて、ばらばらに空中に舞い上がる。

 いや、いやいや、あの、ここ室内なんですけど?

 …………とか、そういう疑問を口に出す前に、さらなる疑問が俺の中で生まれた。ばらばらになった紙の束が、自動的にそれぞれ折られていき、やがて、俺の体よりも大きな虎が目の前に現れたのである。前にテレビ番組で視たような、折紙だけで作られた動物。それのでっかいバージョンが。

けど、明らかに、目の前に現れた虎の大きさと、紙束の厚さが合っていない。

 物理的に、あの程度の圧さの紙束でこの大きさが折り上がるのはおかしいだろ。


『グルォオオオオオオオオッ!!』


 やがて、俺の眼前に現れたそれは、当然の権利のように大口を開けていて、喉の奥から咆哮を響かせた。折り紙で編み上げられた偽物の癖に、本物よりも獰猛な方向だった。

 俺は突然の出来事に、思わず頭が真っ白になって悲鳴を上げるしかできない。


「ひ、ひぃいいいああああ!?」

『グルガァアアアアアアアッ!!』


 すぐ鼻の先まで、迫る虎の牙。

 しなやかで、素早い動きで俺の喉元を食らおうとするその脅威が、本当に俺の肉体に届く、その寸前――――ぱちんっ、という軽快な指の鳴る音と共にあっさりと解けた。


「とまぁ、こんな感じ」

「……へ?」


 先ほどまで、目の前にあったはずの脅威は既に無く、無数の色紙が床に散らばっているだけ。命の危険なんて、もうどこにも存在しない。


「これはとある世界でよく使われているジョークグッズでね? 実際に人を傷つける力は無いから安心するといいさ」


 見ると、見崎神奈は仰々しく肩を竦めてお道化ている。

 …………こ、この女ぁ、あやうく漏れるところだったぞ、おいいい! いいのか!? 成人男性が泣きながら漏らすところだったんだぞ!? しかも、小じゃない、大だ! 成人男性が糞を漏らしながら泣いてみろ! 結構なレベルの惨事だぞ、ああん!?


「う、うぐぐぐぐ」


 まー、言わないけどさぁ! 言わねーよ! 色々不満があるけど、言わないとも! だって俺は大人だもの! フリーターだけど、大人! 折角、助けてくれそうな人の機嫌は損ねないのが俺クオリティ。

 でも、すっげー怖かったので、そこら辺は察して欲しい。


「とりあえず、これで俺が『普通じゃない』ってことは理解してくれたか? 俺の言葉が嘘でも、本当でも、こういうことを軽々と出来る力があるってことは認めてくれたら楽だ」

「うい、否が応でも」

「そうか、それはよかった」


 はっはー、楽しそうな声で笑う見崎神奈。

 なんだろう? 仮面で隠れているから顔は分からないけど、雰囲気的に美人っぽいのに、全然まったく、これぽっちも惹かれない言動は。相当あれな性格だよ、この女。だって、一人称が『俺』だよ? そんな奴、中学校を卒業して以来、見たことねーよ。十代後半以上の女性が使ってたら、いたたたたた、と思わず悶絶してしまうこと間違いなしの一人称だよ!

 …………やー、不思議と違和感が皆無で、痛々しさが無いんだけどさ、この女の場合。


「あ、そう言えば、お兄さんの名前は聞いてなかったな? 名前、なんていうんだ?」

「ん? ああ、平蔵だよ。田辺平蔵」

「ほほう、見た目よりも渋い名前だな、平蔵さん」

「よく言われる……つか、いきなり名前?」

「こういう状況では呼ばれた時、反応しやすい方が良いだろ? だから、俺も見崎と呼んでくれ」

「そっちは苗字!? こっちを名前で呼ぶくせに!? なにこの奇妙なよそよそしさ!」

「いや、名前でもいいんだけど、俺は苗字の方が呼ばれ慣れているから。いざという時に反応が若干早いんだよ。有事の際に遅れても良いなら好きに呼べばいいと思うが」

「これから存分によろしくな! 見崎ちゃん!」


 俺は迷わず苗字で呼ぶことを選んだ。

 有事の際、僅かな違いでも生存率が高い方を選べるのが俺クオリティ。


「見崎ちゃんはやめてくれ、これでも俺は男なんだ」

「!!? は、はい、わかりました、見崎さん」

「見崎でいいって。後、多分俺が年下だから楽な口調にしてくれ」

「…………お、おう。わかった、見崎」


 釈然としない想いを飲み下して、俺は頷く。

 謎が多い。自己紹介に含まれていない部分で謎が多い。明らかに見崎は女の姿をしているのに、男ってどういうこと? ジェンダーの問題? 駄目だ、うかつに触れて機嫌を損ねたくない。ここは華麗にスルーして、安全が保障されるまでは無難に対応しよう。


「さて、互いに自己紹介も済んだところで、今度は状況を確認しようか。平蔵さん。現状の最大の問題点って何か分かるか?」

「はい、あのよくわからない化物共がそこら辺に徘徊しているところ!」

「違う。あの程度の怪異程度なら、俺は片手間で全滅させられる」

「マジで!?」

「マジだよ」


 それが本当だったら、見崎って超強くね? だって、あの化物、超気持ち悪かったし、でかかったぜ? あれを片手間とか、フカシじゃなければ、相当だ。


「ただ、あれはあくまでも副次効果みたいなもんだからな。あれを排除したところで、根本的な解決にはならない」

「え? あの化物を全部ぶっ飛ばして、そのまま帰宅じゃいけないんですか!?」

「この濃霧に満たされた空間は、迷い込んだ人間を逃がさない。どれだけ歩いても、この空間から外に出ることは出来ないだろうな」

「そんなぁ」

「まー、俺なら脱出しようと思えばすぐに脱出できるけど」

「マジで!?」

「マジマジ。この程度の妨害なら、平蔵さんを連れてすぐにでも抜け出せる」


 いえええい! パニックホラーの中に超能力者がやってきて、全部、超能力で解決してくれた気分だぜ! ふぅ! 日頃の行いが良いと、こういうこともあるんだな! 邪魔なお釣りをコンビニの募金箱にちまちま入れてきて、よかったぁ!


「ただし、これでも根本的な解決にはならない」

「え?」

「なぜなら、平蔵さん。既に、アンタには呪いがかかっているからだ。とてつもなく、強固で抗いがたく、死に至る呪いが。だから、この場から逃げてもあまり意味は無い。このまま何の対策もしなければ、どれだけ距離が離れていたとしても、最終的に、アンタの魂がこの場所に囚われてしまうからな」

「そん、な」


 呪い。

 今までフリーライターとして、怪しげなオカルト記事にたくさん書き込んだ単語。書いている時は、全然気にしなかった。半笑いしながら、恐ろしげな文章を書き連ねることだって出来たのだ。

 だが、何故なんだ? こうして、『お前は呪われている』と断言されてしまうと、反論よりも先に納得してしまう。

 まるで、『俺は呪われて当然の存在だ』と自覚しているかのように。


「けれど、妙な点がある。ここまでどうしようもなく、成立してしまっている呪いは珍しいんだ。大抵の場合、こういう怪異現象は一方的に理不尽なルールを押し付けて、それを破った存在を呪う。この程度の呪いの成立なら、俺が力づくでぶち壊す――もとい、祓うことも可能だったんだ。でも、アンタのそれはどうしようもなく、アンタ自身が認めてしまっている。自らに非があると。罪があると」

「う、ううう……」

「なぁ、平蔵さん」


 喉の奥が締まる感覚。

 じくじくと、右手の小指が疼く。

 呼吸が荒い。息苦しいだけじゃない、何かが、目を逸らし続けていた何かが、目の前にやって来たような、そんな錯覚。焦燥? 違う、これは罪悪感だ。

 自分で踏みにじった宝物の残骸を、見つけてしまったような罪悪感だ。


「誰かと、いいや――『何か』と交わしてしまった契約を、破ったことはあるか?」


 問われて、俺はようやくそれを自覚した。

 忘れてしまったことを、思い出した。

 何万回殴られようとも。

 何千本と針を飲まされようとも。

 決して、贖うことが出来ない罪を、認めてしまった。

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