第95話 勿忘草を摘みに行こう 2
仕事を得るために必要な物は何か?
時々、知り合いのフリーターに聞かれることがあるんだけど、ぶっちゃけて言えば、あれだ、コネ。コネクション。後は他の奴の足を引っ張らない程度の基礎能力。それさえあれば、そこそこ仕事は見つかるわけ。
つっても? あくまでもこれは俺の考え方。
俺みたいにぺらぺら、何も考えなくても適当に他人と話を合わせるような奴には、こういうやり方が合っているってだけ。人と関わるのが嫌い、って奴が同じやり方をすれば、当然、合わないだろうし、そうして取った仕事も身が入らないんじゃね?
じゃあ、どうすればいいのか? いや、知らねぇ。俺は俺のやり方しか知らないから、なんというか、ちょいと人見知りで仕事を探しているって奴には上手くアドバイス出来ない。精々が、在宅ワークをすればよろしいのでは? とか、無責任にアドバイスするだけだ。
「ありがとう、田辺君! 君のおかげで、僕もようやく性に合った仕事を見つけられたよ」
「う、うぃーっす。どういたしまして?」
「この恩は忘れない! 何か、困ったことがあったら、遠慮せず言ってくれ!」
でも、そういう無責任なアドバイスをした結果、思わぬリターンが返ってくることが稀にあるんだよな、この世の中。
仕事を転々としている内に、人見知りで、職場でコミュニケーションが出来ないって、年上のフリーターの人が悩んでいてさ。だから、その人に合ってそうな在宅ワークの求人や、ちょっとしたコネを使って、あんまり人と関わらなくてもいい職場を教えたわけ。すると、その内の一つがかつてないほどその人の性に合ったらしく、見事に安定した給与を得るぐらいには上手く行ったらしい。
こういう、大した労力を使わなくても結構な恩を売ることが出来るのは、非常に運がいい。そして、運が良いと自覚している内に、さっさとその恩を返してもらうのが俺的にはベスト。
当たり前だけど、人の恩は時間が経つと薄れるからな、割と。
「んじゃ、割の良い仕事紹介してくださいよ、その内。一応、俺はフリーライターの名刺も持ってますんで、ええ、どっかの雑誌の記事が足りなくなった時にでも」
「ああ、分かった。俺も作家さんや編集者さんとはそこそこ付き合いが出来て来たからね。いやぁ、我ながら上司という存在が居ないと、ここまで心安らかに仕事できるとは思わなかった。まさか、この僕が仕事の仲介なんて出来る立場になるとは」
「や、だから言ったじゃないですかー。上代さんは、会社とか、そういうのに向いてないだけなんだって。上下関係が少ない仕事の方が絶対合ってるって」
「はっはっは、当時は眉唾だったけど、田辺君の人を見る目は本物だったんだなぁ!」
恩がはっきりしている内に頼っておくと、この通り、新しいコネが出来る。
このコネが良い物か悪い物か、まだ判断は出来ない。出来ないけど、とりあえず、袖振り合うも他生の縁と言うし、結べる縁は結ぶ。駄目な縁はきっぱり断ち切る。
そういうことを繰り返していけば、たまに、こういう仕事にありつくこともある。
「ヨー、田辺ちゃんヨー。ちょいとオカルト体験して、それを記事にしてみナイ? 一週間ほど、東北ノ、山奥で温泉旅行ダヨー。いい出来だったラ、十万円お支払いヨ」
「マジっすか?」
「マジだヨー。行方不明者続出の危険スポットだからネー。生きて返っテ、きちんと記事を書いてくれれバ、最低、十万円お支払いヨ。良い記事だったら、最高二十万円ヨー」
「ふー! やります、やりますぅ!」
「アイアイ。じゃあ、詳しイ依頼内容を詰めていくヨー」
そう、ハイリスクハイリターンのお仕事。
怪しい雑誌の編集長に依頼されて、法律には触れない程度に、ちょいと危険なお仕事。
けれども、報酬は充分。滞在費はきっちり経費で落としてくれる。多少、オカルト染みた怖い目に遭うかもしれないけれど、死ぬときはまぁ、その時ってことで。
「ぐふふふ、久しぶりのでかい仕事だ。さぁて、十万円もあったら何を買うかねぇ?」
俺はこういう仕事は結構、好きだ。
リスクとスリル、それと報酬が釣り合った仕事はやっていて、とても生きている気分になるから。
もちろん、注意点は多く存在する。オカルトの噂なんて大抵は眉唾だけど、実際に取材してみたら、オカルトではなくて物理的に危険な場所の方が多かったりするので、装備はきちんと整えて。連絡はこまめに。もしも、オカルトが本物だった時は、ヤバそうかそうでないかを見極めて、逃げるかどうかを決める。ただ、俺程度が遭遇するオカルト現象なんて、精々、トンネルを抜けたら、車の屋根にばんばん赤い手形が付いていた程度。ちょいと塩を被れば、後々の霊障も防げてしまう程度の下級怪異のみ。俺みたいな『ようやく一人前のフリーター』でも、充分対処可能なレベルの奴だけ。
「誰か誘うか……んんー、熟練のフリーターの人はほとんど予定入っているし。仕方ない、今回は俺だけで行くか」
フリーターになってしばらくすれば分かることだけど、なんつーか、オカルト現象ってのは意外と存在していたりする。もちろん、大抵が眉唾で、確認してみればがっくりくるようなオチが待っていることが多い。
けれど、中には……んー、そうだな、三十個ぐらいのオカルト関係の噂があったとして。その内の一つは本物かもしれない。そういう割合で、本物が混じっている。
交友関係の広いフリーターは、そういうオカルト関係の仕事に足を踏み込んで、本物に出会ってしまう確率がそこそこあるのだ。何せ、ほとんどのオカルト関係の仕事は嘘っぱち。ちょいとしたリスクを飲み込めば、リスクに見合っただけのお金を出してくれるところが結構あったりする。熟練のフリーターなんかは、そういう見極めが上手く、偽物っぽいオカルトの噂を見極めて、仕事をするかどうか決めたりするが、今の俺はそこまで見極めが上手くない。
「でも、大丈夫っしょ!」
しかし、本物のオカルトに当たる事なんて稀。
仮に、本物に当たったとしても、ホラー映画に出てくるような即死級の怪異なんて砂漠の中のさらに、一握りの砂みたいな物だし。
問題ない、問題ない。
ヤバければ逃げればいいだけの話だしさ。
それに、何より――――――取材に行く予定の場所は、俺の地元だから。
怖い物なんて、あるはずがない。
●●●
「はっ、はっ、はぁ、はっ!」
走る。走る、走る、走れ、もっと、早く、走れよ、俺の足ぃ!
「く、っそぉ! んだ、これ! なんだ、これぇ!!!?」
息を切らす。酸素が欲しくて、もっと息を吸い込むけど、駄目だ。『霧』が。あたりに充満している濃霧の所為で、全然吸った気になれねぇ。むしろ、呼吸すればするほど、地上で溺死してしまうような恐怖を感じる。
「なんでだよ!? なんで、こうなったんだよ、ちくしょう!?」
走りながら……『背後から迫ってくる巨大な影』から逃げながら、俺はどうしてこんな目に遭っているのか、考える。
幸いなことに、脳は生命の危機を感じているのか、走馬燈みたいにすぐ情報を整理してくれた。
仕事の依頼内容。
とある温泉旅館への宿泊。宿泊期間は一週間。温泉旅館の隣にある、古ぼけた社への参拝。その社には、『願い事をなんでも叶えてくれる』という神様が居るらしい。ただし、神様の機嫌を損ねると、その場であの世に引きずりこまれてしまうので、ご機嫌を取るために色々と手段を講じなければならない。その色々の部分は、噂によって千差万別なので、信ぴょう性が高そうなものを選ぶように。
なお、実際に現地で地元の女子学生や、取材に行った記者が行方不明になっているケースもあるので注意。
…………ああ、そうさ、そうだった。仕事内容はそうだった。でも、違う。今、俺を追っているのは、断じて、社の神様なんかじゃない。
「この、霧は! 霧の中に居る、化物共は!? なんなんだよぉ!!?」
俺の地元。
なんもない田舎の村。
東北の中でも地味な場所。特産物も観光名所も無くて、田んぼと畑だけが広がっているようなクソ田舎。俺は、この田舎の退屈を嫌って、そこそこの都会で暮らしていたはずだ。そう、何も無い寂れた田舎だからこそ、ほとんど危険なんて無いはずだった。行方不明者が何人いようとも、それは当人の問題だったり、夜逃げや家出の一環だったりのが大半で。
俺は、退屈な田舎で束の間の里帰りを楽しむはずだったんだよ。
なのに何で、俺の地元は一メートル先すらも見えない濃霧に包まれているんだ?
どの民家を尋ねても、小さな個人商店を尋ねても、誰も居ないんだ?
『■■■■ェ……』
『■イ■■』
『■■■い■ぉ』
濃霧の中に、『巨大な右手と人間大の蜘蛛が合体したみたいな怪物』が居るんだ?
しかも、一体じゃない。ぞろぞろと、訳わからない呻き声を上げて、俺を見つけたかと思うと、即座に追って来やがった。
なんだよ、あれは!? 今まで俺が体験してきたようなちゃちなオカルト現象じゃない。
あんなの、もう、ホラー映画というか、パニックホラーだろうが。
一般人だと、何も出来ずに死ぬ類の奴じゃねぇか。
「ふ、ふざけんな……ふざけんな……」
どこをどう逃げたのかも、俺は覚えていない。
ただ、気付くと俺はどこかの民家の中に潜り込んでいた。どうやら、奴らは民家の中には入って来ないようで、そこに入ってしばらくやり過ごせば、何とか諦めて散っていくらしい。
けれど、俺はもう駄目だった。
怖い。
駄目だ、怖すぎるわ、これ。
「ふざけんなよぉ……」
涙と鼻水が混じった体液が、顎を伝って畳に落ちた。
多分、今の俺はクソだせぇ。パニックホラーで割とすぐ死ぬタイプの人間だ。チャラ男だし。ヘタレだし。頭はパニックになって、全然回らねぇし。
やってらんねぇよもう、死にたい。死にたくないけど、こう、死にたい。何もかも嫌なことを考えない状態になりたい。
「誰か、助けてくれよぉ」
「――――へぇ、助けて欲しいのか?」
…………え?
思わず呟いた泣き言に、声が返って来た。
美しい声だった。恐怖以外の感情で、俺が思わず顔を上げてしまうほどに。
「やぁ、お兄さん。死にそうな顔をしているけれど、これから自殺の予定でも?」
いつからそこに居たのかは分からない。
いつの間にか、そいつはそこに立っていた。
狐の仮面を被った女が、どこか楽しげに俺を見下ろしていた。
「こんな霧の濃い場所に足を踏み入れるなんて、自殺行為みたいなもんだぜ? それとも、何か縁でもあったかい? あるいは、何かに招かれたり。どちらにせよ、お兄さんみたいなのが一人だと、遠からず死ぬんじゃないか?」
「あ、え」
艶やかな黒のショートヘア。
若草色のオーバーコート。
クリーム色のパンツルック。
それらはただのファッションではなく、まるで、どこか遠い場所から旅をして来たような、そいつに馴染んだ服装だった。
自然体、けれど、圧倒的だった。
ただ、そこにそいつが居るだけで、周囲の空気が何もかもを塗り替えられていくような、錯覚を受けるほどに。
いや、錯覚じゃなかった。現に、俺の心を凍り付かせていた恐怖は薄れ、ゆっくりとではあるが、何とかそいつに向かって言葉を紡ぐことが出来たから。
「しに、たくない。俺は、死にたくない」
「ふぅん……『助けて』に『死にたくない』か。じゃあ、仕方ない。何も言われないなら、適当に処置しようと思ったけど、うん。それを言われたのなら、仕方ない」
くくく、と仮面の奥で楽しそうに含み笑い、そいつは俺の言葉に応えた。
「死なないように、きっちり助けてやるから、この見崎神奈に任せておけ」
鈴が鳴るような美しい声だというのに、ぶっきらぼうな言葉で。
けれど、どこか優しく。
見崎神奈という奇人は、自信満々に宣言したのだった。




