第9話 黒竜よ、眠れ 7
「そういえば、リズ。お前は何のために黒竜を討ちたいんだ?」
「ええと、なんですか、突然? 理由だったら、前にも言ったつもりでしたが」
「ああ、確かに聞いているな。確か、祖先の過ちを正すために、黒竜との約束を果たすんだって。それって、つまり黒竜とアンタの祖先が交わした決闘の約束を守るってことだよな?」
「はい、もちろんそうです!」
「だけど、大丈夫か? 黒竜が望んでいるのは、あくまでもかつての相棒だぜ? そう、『黒剣ヴァイス』を望んでいる。その子孫である、アンタじゃない」
「う、ぐ…………で、でも! それでも、何もしないよりはマシじゃないですか! 仕方ないって諦めるよりは、何かをしていたいのです! 例え、それが自己満足でも」
「ふぅん。ま、アンタがそれでいいなら、いいさ。ただな? もしも、あの黒竜と相対して、怖くて逃げだしたくなったら、そのことを考えてみな? きっと、何かの助けになると思うぜ」
「んもう! ここまで来て、怖くて逃げるなんてありえないですよ!」
「あっはっは、そうか、そうか。そうなら、いいな」
●●●
真っ暗な洞窟の中で、二人分の足音が響く。
こつこつこつ、と靴底が固い地面をノックして、音の反響が何度も俺たちの耳朶を打つ。
一歩、また一歩、歩みを進める度に、肌に感じる魔力の余波が強くなっている。肌がぴりぴりと炭酸水でも浴びたかのような、刺激を受けている。
「ひ、ひうっ!?」
慣れぬ者――リズはその刺激に戸惑い、一瞬足を止めたが、頭を振って迷いを断ち切った。
前に進むしかない。
腰のランタンが放つ光の先にしか、視線は通らない。
だから、前を向いて、足を動かし続けるのだ、リズは。
「もうすぐこの洞窟を抜ける。抜けた先は、あの黒竜の領域だ。一瞬の油断が、命とりになる。くれぐれも気を付けてくれよ?」
「は、はい! もちろんです!」
「頼もしい答えだ。んじゃあ、今の内に出来る限りの補助はしてやろう」
俺はリズが持つ黒剣に対して、属性付与。リズの肉体に関して、四重の障壁展開。後は、黒竜の領域に捕らわれぬように、支配抵抗術式をかけておく。
「ありがとうございます、ミサキさん。ミサキさんの魔術があれば、英雄働きですよ!」
「と言っても、ここまでやっても恐らく、最低限の条件を整えただけだぞ? かなり必死で戦わないと、討つ事はおろか、足下にすら及ばない」
「……え? あの、ミサキさんの支援を受けた私って、魔物の群れをばったばったと草刈りみたいに薙ぎ倒したのですが、それでも?」
「まず、雑魚を比較対象にする時点で間違っている」
「う、うぐぅ……で、でも負けません! 頑張ります」
「うん、その調子だ」
ここまでの道中で、俺とリズのコンビネーションは即興であるが、お互いの行動を阻害しない程度には慣れさせた。これで最低限、本番で下手なミスをやらかして大失敗、ということは無くなっただろう。
俺がリズに対してあらん限りの補助魔術をかけて、後は背後からのアドバイス。基本的にこのスタイルが安定している。俺自身にはある程度の戦闘能力もあるので、気にせず動けと伝えたおかげか、こちらに遠慮して本来の動きを出せない、なんて間抜けな有り様にはなっていない。
だが、それでも、足りない。
まったく、黒竜を倒すのには足りていない。
《そのような面倒な真似をするぐらいならば、ミサキが最初から単独で戦った方が合理的なのでは?》
『ははっ、分かってないな、オウル。合理的なだけじゃ、世の中面白くないだろ?』
《では、ミサキは己の享楽のために少女を前線に立たせる鬼畜になりますが》
『おっと、手厳しい。だが、間違っちゃいないな、残念ながら』
黒竜を倒すだけならば、確かに俺が単独で行動するのが一番合理的だ。
わざわざ、リズに補助をかけて前線で戦わせるのなんて、無駄の極みみたいなことだろう。加えて、リスクも高い。このやり方だと、リズは下手をすれば死ぬ。俺だって本来戦うよりも、余計な消耗を強いられてしまう。
でも、それでもやるんだ。
そちらの方が面白いから――――そして、そうだった方が、より幸いとなるから。
「み、ミサキさん……っ!」
「おっと、そろそろか」
かつてと同じように、洞窟を抜けた先には広大な空間が広がっていた。
しかし、この空間の広大さを確認できるのは、俺が暗視性能をたかめているが故に。常人と同じ視界しか持たず、光石が照らす範囲しか見えぬリズは戸惑っただろう。音の反響がいきなり、遠く、果てしなく遠くなったのだから。
『――――何者だ?』
厳かで、恐ろしい声が、急に頭上から降ってきたのだから。
「ひ、うあ?」
「落ち着け、リズ。呼吸を整えて、自我を保て」
あまりにも存在としての格が違い過ぎる。
黒竜の魔力密度が高すぎて、リズが魂レベルで怯えている。本能すらも飛び越えて、存在の根幹が警鐘を鳴らしているのだ。
相手は、勝てるとか戦えるとか、そういう次元の存在でないと。
地震や雷、大雨といった天災に対して、人は戦うという言葉を用いるだろうか? よしんば、そのような意気はあれど、出来るのは抗う事だけ。大いなるもの相手に、戦うなどとおこがましい、と誰しも言うのではないだろうか?
『何者だ? 答えよ……何のためにここに来た? ここは我らが神聖なる決闘場。何人たりとも、踏み入ることは許さん』
「わ、わた、私は――――」
だからこそ、暗闇の中に視線を向けて、弱々しくも声を絞り出したリズを、俺は賞賛する。
「私は! 貴方のかつての相棒――『黒剣のヴァイス』の子孫です! かつての決闘の約束を代行するために、『黒竜アーグ』! 貴方と戦いに来ました!」
震えながらも、怯えながらも、吠えることを止めない魂の在り方を、俺は美しいと思う。だが、これでようやく前提条件がクリアされるのだ。
本題は、これからだ。
『…………何者だ?』
「えっ?」
『お前は、何物だ? 神聖なる決闘場に、なんの目的でやって来た? どうして、ここに存在している? お前は――誰だぁ!!?』
「――――っ!!」
狂える咆哮が一つ、広大な空間に轟いた。
次いで、空間を満たす闇が、一時的に晴れる……黒竜が顎を広げ、口内に魔力を集中させているために。その余波で、煌々と空間が照らされているのだ。
《例のあれです。来ますよ、ミサキ》
『おうともさ』
俺は、呆然とそれを見上げるリズの腕を掴み、転移。
きぃん、という甲高い音と共に、黒竜の背後――安全圏へと空間を跳んだ。
「え、あ、あれ?」
「リズ。落ち着け、そして、よく見るがいい。あれが、『黒竜アーグ』のドラゴンブレスだ。触れれば、魂すらも焼き焦がす魔力の奔流だ」
安全圏にて、俺とリズはそれを見た。
煌々と放たれたそれは、まずは閃光が空間を焼き切りながら迸り、一瞬後に、地面を揺らす轟音が響く。炎と呼ぶよりも、収束した光――レーザービームに原理は近しい。けれど、効果は明らかにそれ以上だ。黒竜がドラゴンブレスを放った後の空間は、所々ひび割れて、この異界の構築そのものに影響を与えるほど。
「…………あ、あんなの、どう、やって?」
絶望の言葉が、暗闇の中に小さく呟かれた。
傍らのリズを見る。リズは、目を見開いて黒竜の偉業に怯えていた。何をどうしても、どうにもならないという絶望が、今、リズの心を満たしている。
「戦えるか?」
「………………」
俺の問いかけに、答えることも出来ない。
無理もない。俺だって似たような立場だったら、きっと似たようなことになる。いや、その前に逃げ出していたかもしれない。
だから、俺は責めない。
この先、リズが何をしようとも。
「じゃあ、お前が立ち上がるまで時間を稼ぐから。気が向いたら、来い」
「――――えっ?」
「やれ、オウル」
《はい。権能解放――この空間の支配権を奪い、我らの戦闘領域を構築します》
とんっ、とリズを押し出すと共に、俺は転移魔術を発動。俺たちが構築した戦闘領域の外に、リズを隔離する。黒竜や黒竜の攻撃は、この領域から出ることはないが、リズが入ってくることは出来る。だから、俺はその時まで待っていよう。
「おっと、そういえば暗いままだったな。まったく、こうも暗くちゃ気分も滅入るってもんさ。だから、ほら――大盤振る舞いだ」
『ご、ごがああああああああああ!!?』
次いで、予め仕入れておいた無数の光石を、別空間からこの異界の天井へと召喚。小型の太陽でも生み出したかの如き光源が、この広大な空間を照らし、闇を消し去っていく。
当然、その肉体の大部分を闇の眷属を食らった物で補っている黒竜には、相当堪えるはずだ。
少なくとも、闇の中でのんびり発狂している暇など、無いほどに。
「さぁ、遊ぼうぜ、『黒竜アーグ』。本命が来るまでの、ちょいとした前座だ」
『きさ、きさま、貴様ぁ!! 何者だ!? 何故、ここに居る!?』
「はっはー、どうでもいいだろ? なぁ、おい、そんなのはさ」
黒竜の尾が暴風の如く振るわれ、俺はそれに合わせて空間断裂を放つ。
互いが持つ魔力の拮抗に空間が軋み、ぎぎぎ、と不快な音を立てるが、構わない。もっと無様に、もっとでかい音ではしゃいでやろう。
戦闘領域の外で怯える、最高の馬鹿を目覚めさせるために。