第81話 非日常はフィクションでいい 3
現実は大抵の場合、イベントを用意してくれない。
突然、美少女が空から降ってくることも無いだろうし。
突然、何か凄い能力に目覚めることなんて無い。
だけど、ほんの少しのきっかけぐらいは与えてくれるのかもしれない。
「なんでか知らないんだけど、人は僕の事を『お人よし』みたいに言うんだよね」
「違うのか?」
「あはは、違うよー。僕は僕のやりたいように好き勝手やっているだけ。だから、遠慮なく文句だって言うし、ムカつくことがあったらムカつくって言う。もちろん、普段はちゃんと空気を読んでいるよ? でも、時々、そういうことがあるんだ。『え? お前ってそういうことを言う奴なんだ』って。多分、それなりに失望されていると思う」
「……ふーん。ま、いいんじゃね? 失望させておけば」
「お、言うね。その心は?」
「八方美人の性格が良い男なんて、気持ち悪いだけだ。俺は多少、性格に外連味があった方が、意外性があって面白いと思うぞ、外から見ている分には」
「ふ、ふはは、なにそれ、自分勝手」
女装告白からの、学内の逃亡劇はもちろん、学校中の噂になった。
石神君……いいや、石神自体はよく、この手の騒動の中心になっているので、さほど騒ぐことは無かったのだけれど、今回はその中心に、この俺が居たことで少しばかり奇異に映ったらしい。
何せ、女装姿で石神と一緒に逃げ回っていたのだ。
色々な推測や無遠慮な噂が流れたが、その中には実は、石神が実は男色趣味だから、あれだけ美少女に言い寄られても靡かないのだという物もあったらしい。もっとも、石神がその噂を面白がって『いやぁ、実はそうだったんだよ、よくわかったね?』などと肯定したり、次の日には『いやいや、普通に可愛い女の子が好きだよ。将来の目標は、ヒモとして可愛い女の子に養ってもらうことだよ』とか、いい加減な事ばっかり言うので、すぐに周囲はからかわれているのだと気づいて、ため息を吐いたりしたのだが。
ただ、大勢からの噂の的にされることになれていない俺は大変困惑して、そして、言葉に詰まったり、石神を好いている美少女に絡まれることがあったりすると、決まって石神が助けに入ってくれたのだ。
もちろん、元々の友達だって助けてくれたが、あいつらだってコミュ力が乏しい者同士が集まったグループのメンバーである。下手に、火に油を注ぐことになるより、普段通りの対応をすることで俺が一息つける居場所を作ってくれた。
そして、この騒動がきっかけで石神と俺達のグループは少しずつ関わりを持って行くことになったのだ。
「いいじゃん、自分勝手で。お前が好き勝手やるなら、俺だって勝手にやるさ。それでも、一緒に居て困ることが無ければ、『んじゃ、友達で!』ってことで良いと思うぜ?」
「…………そんなんで良いの? 君は」
「大体、俺らのグループってそんな感じよ?」
石神は普段、幼馴染や文芸部の面子と一緒に居る時以外は、クラスではトップカーストの面子と一緒に居ることが多かった。
だが、どうにも、トップカーストの連中と一緒に居る時よりも、俺達のグループと一緒に居る時の方が、色々と気が楽になるらしく、次第と俺達との交流が増えていくことになった。
その中でも、何故か妙に、俺と石神は気が合った。
音楽の趣味とか。
漫画やアニメの趣味とか。
会話のテンポとか。
ちょっと、『マジ』な話をする時、互いにすんなりと『マジ』に成れるタイミングとか。
友情を比べるほど愚かなつもりじゃないけれど、石神と俺はなんというか、個人の性質として相性が良かったんだと思う。だから、他の友達にはこっぱずかしくて話せない『マジ』の青春の話も、互いに気負うことなく話せた。
だかまぁ、たまに二人でだらだら、他愛もないちっぽけな本音を話し合っていた。
「あー、確かに。各々が独自のテンポがあるというか、会話のドッジボールとキャッチボールを同時進行している所があるよね、君たち」
「そう? まー、たまに各自突拍子もないことを言って、馬鹿を始めるけど」
「この前、突然、『小学校に行こうぜ!』と木原が言い出した時は驚いたよー」
「安心しろ、俺も驚いた。その時、あいつが読んでいた漫画のヒロインが、女子小学生だったから、『え? なにこいつ、ロリコンに目覚めたの?』って真剣に疑ったけど。話を聞いた時は、普通に母校を尋ねに行きたい、という殊勝な心掛けで驚いた」
「どうして彼は、異能バトル系のちょっとエッチな漫画でセンチメンタルになったんだろうね?」
「あいつ、たまに突然、思考回路が三段跳びぐらいになるから」
例えば、放課後の教室とかで。
例えば、チェーン店のファミレスとか。
例えば、駅前の喫茶店とか。
そんなありふれた日常の幕間で、俺と石神はたまに、二人で話し合っていた。
俺からすれば、石神という『ちょっとした非日常』とのささやかな接触で。
きっと、石神からすれば、『特に気負わず話せる誰か』との、ささやかな息抜きで。
多分、お互いに利益のある交流だったのだと思う。
「でも、君たちと一緒に居ると楽だと、マジで。飯山君たちと一緒に居ると、たまにうざいから。なんというか、水面下のやり取りというか、うーん、微妙に嫌われてというか。ぶっちゃけ、彼の好きな人が僕の事を好きだったというのがネック」
「お、修羅場?」
「いや、とっくの昔にその『好きな人』からの告白を僕は断っているから、違うかな。違うけど、わだかまりは中々ねー。他の面子もたまに、知り合いに可愛い女の子居ない? とか聞いて来たり、合コン相手の女の子を探して欲しいとか言われるし。そういうのはめんどいね。それ以外は、大分、君たちよりはまともな人達だと思うけど……ま、僕が楽なのはこっちかな? そういう異性関係のあれこれ、まったく言ってこないし」
「ただ単に、俺達が異性と話すのが苦手なコミュ障なだけとも言う」
「あはは、確かに!」
「そこは肯定して欲しくなかったところだぜ」
もしかしたら、俺達はその時、とても青春らしいことをしていたのかもしれない。
当時の俺達にはそんな自覚は無かったし、むしろ、格好がつかない情けない本音もたくさん話していたので、出来れば、誰にも見られたくないような、そんなワンシーンだった。
けれど、振り返ってみれば、そういう情けなくて気恥ずかしい場面であるほど、煌めいていたと感じるから不思議な物だ。
…………もしも、もしも、何も起こらなければ、そんな青春が続いたのだろうか?
馬鹿みたいなことをして、恥ずかしい話をして、でも、後から振り返れば胸を張って誇れるような青春を過ごせたのだろうか?
例え、意味の無い仮定だったとしても、俺は、ふとした瞬間、そういうことを思うんだ。
●●●
そして、運命の日はやってきた。
「…………あっじぃ」
覚えている限り、その日はやけにお天道様が張り切っていたのか、気温は三十六度にまで達していたと思う。
異常気象。
近年の狂い始めた天候事情を考えても、ちょっと暑すぎる。
そんな、夏休みが一週間後に控えた夏の日だった。
「なぁ、夏休みどうする?」
「バイト入れた」
「長編RPGの攻略」
「母方の実家に帰省」
「うわぁ、バラバラぁ」
「俺達らしいな、ある意味」
「かもなぁ」
俺達は流れる汗を拭いながら、授業の合間の休み時間で、夏休みの予定について話し合っていた。確か、石神は文芸部の面子と幼馴染に囲まれて、色々予定を申し込まれていたような気がする。「うっさい、あついわ! 僕の近くに、集まるなぁ!」とブチ切れた声が聞こえたので、大体、そんな感じで合っていると思う。
――――キーンコーンカーンコーン。
次の授業を告げるチャイムの音を、茹だった頭でなんとか認識。俺たちは渋々、教室に戻って教師を待つ。
残念なことに、教室のエアコンは連日の異常な暑さで故障気味。
なかなか涼しくならない教室の中で、男子も女子も、夏服を緩めてだらけ切っている。もはや、女子のブラジャーが汗で透けて見えても、慣れ切ってしまい、嬉しく感じないほどの暑い夏だった。
「はい、それでは授業を始めますが、その前に一言。体調が悪くなった人は、我慢せずに自己申告してください。周囲に誰か調子の悪そうな人が居たら、声を掛けてあげてください。流石に、今年の暑さは異常ですので、お互いに命優先で行きましょう」
普段は冗談を言わない国語教師が、真顔でこういう忠告をしてくるほど、あの時の教室は熱気が籠っていた。
制汗剤と汗の臭いが混じった独特の匂いが、生温いエアコンで教室の中をぐるぐる回る。特に、窓際の席の俺は、暑苦しい外の熱気の直ぐ近くだったので、そろそろ日中でもカーテンを引こうかと思案していた、その時だった。
「…………あ? なんだ、あれ」
退屈な国語の授業を聞き流しながら、俺はふと、窓の外を眺めていたのだと思う。
一週間後の夏休みに思いを馳せていたのかもしれないし、雲一つない晴天を忌々しげに、睨みつけていたのかもしれない。
ただ、一つ確かなのは、教室の中で俺が最初に『それ』を見つけたということだ。
「お、どうした、神奈――って、うおっ?」
「はぁ? なにあれ」
「うわ、おいおい、やばいんじゃないの、世界」
「超うけるわ、世界終わるんじゃね?」
そして、俺と同じく、窓際の席の生徒たちが『それ』を見つけて騒ぎ出す。
そう、『空の割れ目』を見つけて。
「…………まずいな」
未知に対する好奇心と、本能的に感じる恐怖心が織り交ざって、クラスメイト達は騒ぎ出す。行動の早い者は、その映像を画像データとしてSNSに上げていたかもしれない。
そんな中で、騒ぎ出す俺たちを注意することも無く、国語教師が渋い顔で空を睨んでいた光景を、何故か、俺はよく覚えていた。
『ぎ、ギギギイギイギギギイギギギギギイィイイイイ――――っ!!』
次の瞬間、空から、いいや、『世界全ての空』から、獣の断末魔の如き、空間が軋む騒音が鳴り響いたというのに。
教室の中が一瞬にして、パニックになって、悲鳴と怒声が入り混じったといのに。
俺は、国語教師の――『先生』の、動じること無き横顔に驚いていた。
あの人は何でそんなに落ち着いているんだ? 一体、何者なんだ? ってね。もっとも、その答えは現在でも、さっぱり分からなかったりするのだけども。
ともあれ――――こうして俺たちの地獄は始まったのだった。




