第78話 初心はダンジョンアタックと共に 13
俺の異能、マクガフィンには四つの段階が存在する。
まず、深度1は気配を薄める。暗殺者の如く気配を極限にまで薄めて、ある程度の対象から認識を逸らすことが可能だ。まぁ、この程度であれば、普段使いしても問題ない。反動はほとんどなく、まだ一般的なスキルから逸脱していない範疇だ。
深度2は、あらゆる感知に引っかからなくなる。生命の有無、意図的、自動的関係なく、俺を感知することは出来ない。認識を阻害するというわけではなく、俺の情報が世界に及ぼす影響を極限にまで低下させることが可能なのだ。だから、地雷原を鼻歌交じりに歩いていても、何ら問題ないし、真正面から対象の下に歩いて行って正々堂々暗殺することも可能だ。この段階まではまだ大丈夫。例え連続で使用したとしても、疲労するだけであって存在が削られることは無い。
問題は深度3からだ。深度3の俺はほぼ無敵と言っても過言ではない。ほとんどの存在の攻撃は意味を為さない。限りなく存在が曖昧な何かに変質しているが故に、『何者でもなく、また、何物にもなれる』という矛盾を許容した状態だ。この状態にまで移行すれば、俺は管理者クラスの存在とも対等以上に戦える。過去、超越者を殺したのも、この深度3の状態だ。ただし、反動はすさまじく、自分の中の存在が削られる、がりがりと、自分が違う物に書き換えられる感覚に襲われる。使用後は自我が曖昧になりかけてしまう時もあるし、出来る限り使わない方が良い状態だ。というか、周囲の人間からは緊急事態でなければ絶対に使うなと言いつけられていたりもするのだから、ハイリスクハイリターンの切り札である。
そして、最後は深度4だ。
これに関しては論じるに値しない。何故なら、この状態に移行してしまった時点で、俺の存在は既に終わっているからだ。
深度4、それは『存在を決定する』段階だ。曖昧だった存在を、こうであると確定させる段階だ。
ポジティブに言えば、この段階ならば俺はどんな存在にも成れる。
可能性があるのならば、いいや、強い意思があるのならばきっと、今まで存在しなかった新たなる可能性を持つ存在へと成ることも可能だろう。
それこそ、俺自身が『新たなる世界の核』となって、ホームの難民問題を全て解決することだって可能だったかもしれない。
だが、ネガティブに言えば、深度4とは即ち、自己の消失に他ならない。
何者にでも成れる代わりに、存在を確定させてしまえば、もう元には戻れない。
見崎神奈という存在は永久に消え去ってしまう。
だからこそ、俺の本体は絶対に深度4へと移行できない。意志の問題での可否では無く、その状態に移行しそうになった場合、それは道化師との契約によって魂を奪われてしまう。変質し切ってしまう前に、俺は道化師曰く、『存在を救うために』生命を止められてしまうのだ。
……今思えば、俺の選択は間違えていなかったと思う。
分身を使ったこと。
本体ではなく、分身がこの場に居ること。
そして、異能の浸食が既に限界であったこと。
これらの条件の内、一つでも満たしていない物があったらきっと、俺は後悔の中で自らを呪っていた。
うん、だから――――俺は、この結末が幸いであると思うぜ。
「ミサキ……なぁ、死ぬなよ。駄目だろ、なぁ、おいってば!」
視界が霞む。
霞んだ視界の中で、涙ぐむミユキの姿を見る。
くしゃくしゃに顔を歪ませて、ボロボロ涙を零しているミユキの姿が。
ううむ、困ったな、泣かせるつもりは無かったんだ。だって、この俺は分身だ。分身であるから、こうなったところで致命傷ではない。だからさ、なぁんだ、驚かせやがって! みたいにあっさりと受け入れて欲しかったのに。
まったく、これじゃあ、本体の俺が次に会う時にどんな顔をすればいいんだよ? いや、今の俺の情報は本体に戻らないから、良くも悪くも気にする必要は無いか。
「頼む、頼むよ、なぁ! アンタが死んだら、アタシはどうすりゃいいんだよ? なぁ、何も返せてないんだよ、アタシは!」
「……か、が。……れは、分身……だろうが」
不味いな。泣き止ませようと思って口を動かしたら、思いのほか舌が回らない。多分、舌の感覚が無くなっているから、もうすでにほとんど情報が変換されてしまったんだろうな。かくいう、この俺の思考も何時まで続くか分からないし。
何せ、もう既に体の大部分が真っ白な霧に変わってしまっている状態だ。
そう、もう既に俺の存在は深度4に移行して、やるべきことを終えている。今、こうして俺が思考しているのは、ただの残響であり、正確に言えば『俺』ですらない。
いわゆる、幽霊みたいな物だな。
もうすぐ消えるけど。
「分身だったとしても、アンタの一部が消えることには変わらないだろ!? それって、駄目じゃねーか! 明らかに、大丈夫じゃねーよ! 大丈夫だったら、アンタがそんな顔をしているわけねーだろうが!」
「…………か、めん?」
「アンタのムカつく仮面は、とっくの昔に消えているんだよ、バァーカ! だから、だから、アンタが今、泣きそう顔をしているのは、バレバレだってーの……ばか」
え? マジかよ、おい。
俺はとっさに自分の顔にくっ付いているはずの仮面を確認しようしたが、そもそも、腕が動かない。というより、腕が無い。足も無い。体の大半が無い。大変持ち運びしやすいサイズまで、体の大半が消えてしまっているようだ。
実を言えば、もう何も見えていない。
真っ暗だ。
瞼を閉じた時よりも、真っ暗だ。
一周回って、明るいんじゃないかと思えるぐらい、なんかもう『無』って感じ。
なるほど、これが消滅か。割としんどいな……でも、まぁ、あれだ。最後にきっちりと自分のやろうとしていることが成功したことを確認したから、そう悪い消え様でもないさ。
「……び。あ、ざ……きえ……」
「なんだよ、何言っているか、わかんねーよ! もっと、何時もみたいにムカつく台詞を言ってくれよ! そうしたら、アタシが、アタシがさぁ」
しまった、言葉の途中で完全に消えてしまったらしい。
首の痣は完全に消えているから、安心しろよ? と言うつもりだったのだが、結局、よくわからない言葉を紡いだだけで終わってしまった。
そろそろ、終わりか。
分身であるこの俺の情報は全て、ミユキの呪いを消し去るための『祝福』として使ってしまったので、むしろ、残響程度がここまで長引いたことが奇跡かもしれない。
「――――っ! ―――」
聴覚も段々消えて来た。
ミユキが何かを叫んでいるのは聞こえているが、言葉の意味は聴き取れない。
奇妙な感覚だ。
怖いのと、安堵が同居している。
どうしようもなく怖いはずなのに、物凄く安心するんだ。
ああ、やっと終われるって、思ってしまうんだ。
本体の俺には悪いけれど、この俺はここまでだ。だから、力を抜こう。ミユキの涙を拭うのは、本物の俺に任せておいて。
今は、ただ、この安寧に身を任せて――――――
【なぁんて、殊勝にくたばるわけねーだろうが、この俺が】
ザザザザッ。
ザザザッ
ザザザザ――――気づくと、俺は見覚えのある少女の隣に寄り添っていた。
●●●
ミユキが、己の中の存在が完全に消え去ってしまったのを確認した瞬間、自分の心がひび割れてしまいそうな衝撃を受けた。
「あう、うあああうああ……」
喉の奥からは自然と嗚咽が漏れて、どれだけ拭っても、涙は止まらない。まるで、ミユキの体が枯れ果てるまで、止まることができないように。
無論、ミユキだって消え去ったミサキが分身であることは理解している。本体は別にあって、分身が消え去ったところで、ミサキという存在が死んだわけではないのだとも、理解している。
しかし、ミサキという存在が欠けてしまったことが事実であることも、ミユキは理解していた。
それがどれだけの苦痛なのか、ミユキには想像も出来ない。
ただ、常に飄々とした態度を崩さなかったミサキが、あんな、親と離れてしまった幼子のような表情をするとは思わなかった。前に見た顔とは違う顔だったけれども、確かに、あの怯えた表情を浮かべていたのはミサキ本人であったとミユキは確信している。
「ミサキ、ミサキぃ……」
悔しかった。
苦しかった。
自分を救うために消え去った馬鹿が、許せなった。
それ以上に、何も出来なかった自分が悔しかった。無様に助けを求めて、助けられて。ミサキが消えてしまうことも知らずに、情けなく助けを求めていた自分が許せなかった。
「アタシは、どうすりゃいいんだよ?」
本体のミサキに謝ればいいのか?
でも、きっとミサキはあっさりと許すだろう。どれだけの苦痛を抱えようとも、本体のミサキは仮面の下で飄々と笑うのだろうとミユキは予想できた。
当然、それで自分の不甲斐なさが濯げないことも。
だから、ミユキはいっそのこと、この愚かな自分を殺してしまいたいと、ゆっくりと、己の首元に両手を添えて。
【何やってんだ、アホ。君はとりあえず、身の程も知らずに強がって、んでもって笑っていればそれでいいんだよ。誰にでも噛みつくような、躾の悪い犬みたいに、獰猛に笑ってろよ】
そこで、ミユキは声を聴いた。
外側から震わせて来る声ではなく、己の内側から湧き出るような声。
死人の幻聴にしては、それはあまりにもはっきりと聞こえた。だから、ミユキは思わず声の方へと顔を向ける。
【俺も、君が笑っていけるように、『憑いていて』やるからさ】
幻覚だったのかしれない。
だが、その狐面を被った美しい少女の姿は確かに、『ミユキ』と名付けた時のミサキの姿だった。かつて忌々しいと思いつつも、今ではもう、目が離せないほど美しいと思ってしまっている存在が、確かにミユキの視界に存在していた。
【じゃあ、またな? 言っておくけど、会おうと思えばすぐに会えるから、寂しくて泣きだすんじゃねーぞ?】
ひらひらと、軽く手を振ったかと思うと、いつの間にかミサキの姿は消えていた。
けれど、ミユキもう嘆かない。悲しいとも思えない。
「はは、ははははっ! なんだ、そりゃ」
お節介な幽霊が自分の傍に憑いていると知ってしまったから、もう泣いてなど居られない。
だから、ミユキは強がりではない笑みを浮かべて、濡れた頬を乱暴に拭った。
あの異界渡りの隣にいる存在なら、きっと、何時までもみっともなく涙を流しているはずがないと思ったから。




