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第77話 初心はダンジョンアタックと共に 12

 オウルは不機嫌だった。

 不機嫌の極みと言っても過言ではないほどの機嫌の悪さだった。


「…………あー、その、お姉さん? お姉さんは仮面のお姉さんと一緒に行かないので?」

「私では足手纏いです。殺すだけならばまだしも、ミサキが彼女を救おうとしている以上、私レベルの能力では場を無駄に混乱させるだけです。そんなことも分からないのですか? このショタは」

「ショタって……いや、確かに幼いけどさー」


 限りなく最速で敵対者を打倒し、さらに、ミサキと合流してからオウカの位置を検索。隔離された空間に侵入して、空間を管理する新人類の一人を捕獲。速やかに脅して、残る一人であるミユキの居場所を吐かせて、そこまでの空間を繋ぎ、転移する。

 最速で、最善の判断であったとオウルは理解している。

 これ以上のパフォーマンスは現状では不可能であり、間違いなく、誰に訊ねたとしても、オウルは最善を尽くしていたと答えるだろう。

 だが、最善を尽くしてもどうにもならないことなど、世の中にはごまんと存在する。

 オウルは、今まで規格外の存在であるミサキと共に在ったが故に、こういう無力感を覚えるのは初めてに等しい。

 今までは肉体が無く、助力が限られた状況であったがからこその無力感だった。

 しかし、現状は違う。

 力があるというのに、何も出来ない。

 肉体があり、動くことが出来るというのに、下手に動けば状況を悪化させる。

 選択肢が広がったところで、いや、選択肢が広がったからこそ、何も出来ないことがあるのだと、オウルは痛感していた。


「え、えーと、お姉さん。そんな深刻そうな顔をしなくてもいいんじゃない? 確かに、現状は最悪だよ? うん、めっちゃ最悪。まさか、イグニスの目的があんな物凄い怪物をどうにかすることだとは思わなかったし。あ、怪物って言っちゃった。ごめんね、お姉さんのお仲間なのに」

「別に構いません。彼女が、怪物的としか言いようがないほどの力を持っているのは、否定できない要素ですから」

「あ、そう、よかった。んでもさ、あの仮面のお姉さん……ミサキだっけ? あの人が行くなら大丈夫じゃない? 口調からして何かしらの策を持っていたみたいだし。なにより、あの手の人ってのはこうさ、何故か不思議と絶望的な状況でもどうにかしてくれると思わせてくれるしね」

「…………そんなこと、貴方に言われずとも、分かっています」


 オウルはもちろん理解していた。

 幼い新人類の少年よりも、ミサキについて理解していた。

 理解していたからこそ、オウルは不機嫌なのである。

 ミサキはきっと、どうにかしてしまう。

 どれだけの絶望的な状況であったとしても、ミサキの手には万能の手札が存在する。

道化師の絵柄が書かれてある、ジョーカー。

意志を示せば、どんな札にも化けてくれる万能の手札。

 超越者の領域に、指の先ほども手をかけた規格外の異能。

 されど、もちろんその『チート』というのは代償無き都合の良い能力などでは、断じてない。代償は支払わされる。否、代償を前提とする力なのだ、その異能は。


「分かって、いるのです」


 ミサキはどのような状況であろうとも、絶望を砕き、嘆きを止めようとするだろう。

 例え、今のミサキが分身であったとしても――――否、分身であるからこそ、今のミサキは止まらない。

 何があっても本体が残っているという保険があるが故に。


「分かっているから、辛いのですよ」


 ミサキは救いを躊躇わない。

 その先に、己の破滅が待っていたとしても。



●●●



 懐かしい気分だな、と俺は思わずこの状況で苦笑を漏らしてしまった。

 相対するのは、残滓なれど、世界を崩すには充分な力を持つ少女。

 一方、この俺の手に残されたのは猶予の無い異能。

 これ以上進んでしまえば、本当に行き着く所まで行ってしまう、融通が出来ない異能。

 けれど、だからこそ、この状況だからこそ俺の脳裏には一つの解法が当たり前のように存在していた。

 そう、こんな状況ではあるが、俺には当たり前に少女を――ミユキを救う手段がある。


「あ、うあ? み、ミサキ? ど、どうして?」

「どうしても何も、君が呼んだんだろうが。だから、俺が来た。そこに何か疑問を挟む余地があるのか?」

「――――っ、だ、駄目! に、逃げろ、馬鹿ぁ!」


 ミユキは現れた俺の姿を見ると、一瞬だけ何もかもが救われたみたいな表情を浮かべた――しかし、それは一瞬だけだ。直ぐに、更なる絶望に染まったみたいな顔をこちらに見せる。

 ああ、まったく似合わない。

 そういう顔は、君に全く似合わないぜ、ミユキ。


「っつあ、ああああああああああああああっ!!?」


 叫びと共にミユキから放たれるのは、鈍色の鎖。恐らくは、『束縛』の超越者が遺した呪詛の塊であり、力の残滓だ。束縛が力の本質であるが故に、俺がどのように肉体を変質させようが、変わらず俺の存在を縛り、呪い、そして絞め殺すだろう。

 能力の相性が悪い。

 致命的なほどに悪い。

 仮に、俺と本来の『束縛』の超越者が戦っていれば、ほとんどの確率で俺は何も出来ずに敗北することになったかもしれない。


「我が身は、かつての斬撃の再現」


 もっとも、その残滓程度に敗北するような弱者であるつもりはないので、この程度は露払いの内にも入らないのだが。


「…………え?」


キキキキキ、キィン。

 連続した金属音は全て、呪詛たる鎖を断ち切った証明だ。

 俺の肉体に触れようとした鎖は全て、その前に黒い斬撃によって断ち切られたのである。これは、別に大したことをしているわけではない。深度3まで進行した異能ならば、過去、俺が行った行動を無制限で再現できる。

 即ち、黒羽を持った状態で、俺がかつて行った斬撃を『無数に再現』したのだ。こちらを縛りつけようとする鎖を全て、切り払えるように。

 呆けた顔をしているミユキにはきっと、先ほどの瞬間、俺の肉体が無数にぶれて、それぞれが鎖を切り払ったかのように見えただろう。


「馬鹿にするなよ、ミユキ。ああ、この俺は確かに分身だが……残りカス風情に殺されてやるほど、弱くはないさ」

「あ、え?」


 じゃらららららら、という不愉快な金属音を、キキキキキィン、という切断の金属音が上回っていく。

 所詮は残滓。

 所詮は呪い。

 力の質が近しいのであれば、攻撃と呼ぶのもおこがましい意思無き足掻きなど、通じない。

 通じる理由が無い。


「安心しろ、ミユキ。俺が、君を助けてやる」


 一歩踏み込み、強い意思を示して右腕を横薙ぎに振るう。

 それだけで、ミユキの首元から生み出され続けていた呪詛の鎖は、全て断ち切られて、形を失った。

 ……ここまでは、ここまでは容易い。残滓程度の力を捻じ伏せるのは、分身である俺だったとしても、容易いのだ。

 問題は、ここから先である。


「さて、しばらく大人しくしてろよ?」

「え、あ、ひゃ、ひゃい!?」

「こら、暴れるな、もう」


 俺はミユキの元まで歩み寄ると、ゆっくりと指先をその首元へと添える。

 首輪の如く、ミユキの首に痛々しく付けられた、赤黒い線を、指先でなぞった。ミユキはくすぐったかったのか、身を捩らせて逃れようとするが、残った手で抱き寄せて動きを止める。ここからはもう余裕が無いので、些細な間違いで失敗しないように、確かな意思を持って、きっちりとミユキを抱きしめた。


「これが、この痣が、呪われているという証明だ。さっきの新人類は失敗した。まず、頭じゃない。額じゃない。死因は首吊りだった。だから、脳に干渉するのではなく、魂に刻まれた傷をどうにかするべきだった……まぁ、どうにかできる力量があれば、の話だけどな。まったく、超越者が己を呪った傷跡の解呪なんて、管理者でも不可能だ。同じ位置に類する超越者の能力でなければ。だから、さっきの新人類は魂ごと封印でもしようと考えていたのかもしれないな? まぁ、そうなったら俺が許さなかったわけだが」

「……ミサキ?」

「口数が、こういう時に口数が多くなるのは、あるいは、普段から余計な事ばっかり言うのは俺の悪い癖かもしれない。本当だったら、一番恰好良いのは、何かここら辺で良い感じの台詞を一言添えるだけ、みたいなのが良いと思うんだよ。こういうさ、無駄口叩いて、みっともなく心を落ち着かせようとするのはみっともないよな――――やるべきことは、もう決まっているってのにさ」

「ミサキ? な、なぁ、おい。なんで、なんで、震えているんだ、アンタは?」


 そうか、震えていたのか、俺は。

 ああ、やっぱりだめだな。こういう時、あいつみたいに格好良くいかない。いいや、あいつだったらきっと、そもそもこういう事態にならないか。

 あいつの力は『絆』の力。

 そして、俺の力はあくまでも『個人』の力だ。

 たった一人が出来る範囲で、俺は何にでもなれるだろう。もちろん、ミユキの魂に刻まれた超越者の残滓を祓うことだって可能だ。

 この俺の存在全てを、消費すれば。


「だ、駄目だ、ミサキ! なんか、なんか駄目だ、それは! アンタ、何をやろうとしているんだよ!? 何がそんなに『恐い』んだよ!? アンタがここまで震えるなんて、きっと、何かとんでもないことを――」

「大丈夫だ、ミユキ」


 漫画や、アニメの主人公みたいに、自分の命を躊躇いなく使えればいいのだけれど。

 どうにもさ、やっぱりさ、英雄になったところでこの俺は、本質的には凡骨から抜け出せないみたいだ。まったく、助けようとする相手に心配させるなんて、英雄……いいや、ヒーロー失格だぜ。


「言っただろ? この俺は分身なんだ、だから、仮にこの俺が無くなったところで本体は変わらずそこにある。何も問題なんて無いさ」

「嘘言え! 問題が無かったら、こんな、こんなに体が冷たくなるわけないじゃないか! やめろ、何をやろうとしていやがるんだ、ミサキ! アタシは、アタシはただ、アンタに殺されれば、殺されるだけでも、充分救われているんだ!」

「…………ははは、嘘吐きは、お互い様だ。それに、もう止まらない。どの道、この俺は手遅れさ」


 だからせめて、格好悪くても最後まで成し遂げよう。

 さぁ、やることは簡単だ。

 呪われた少女を救うために。

 俺が名付けた、『幸あれ』という意味を証明するために。

 たった一歩、深淵へと踏み出そう。


「マクガフィン。俺の異能。都合の良い代替存在よ。今こそ、定める時が来た」

「ミサキぃ! やめろ! アタシは、アタシは、例え、分身だったとしても、アンタを――」


 震えは止まった。

 もがくミユキを優しく抱き締めて、俺は最後の言葉を呟く。

 己の存在を、決定するために。


「我が身は全て、幸ある少女の救いとならん」


 俺は、自らの異能を深度4にまで進行させた。

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