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第76話 初心はダンジョンアタックと共に 11

 前世というのは本来、魂にとっては余分な残滓だ。

 魂が輪廻という仕組みに従って転生する時、本来は生前の記憶という物は洗い流されて、次の生では思い出すことは無い。

 だが、稀に前世で強い魔力を持った者や、特別な術式を使った者の魂は輪廻を経ても、前世の記憶が保持されることがある。前者は意図せずに。後者は意図的に、己の記憶の次の自分に託すために。

 そして、束縛の超越者にとって、己の残滓が魂を縛ることは予想外の事だっただろう。

 何せ、己に絶望した超越者が自ら死を選んだのは、己と言う存在を殺してやりたかったからである。そのため、自分の忌まわしい記憶や感情、力など来世の自分に受け継がせたくは無かったはずだ。

 だから、超越者の転生体は本来、無自覚に生きて、無自覚に死ぬ。

 自分自身が世界に影響を及ぼすような呪いの核となっているとも気付かずに、少しずつ狂っていく世界で――――その誰しもが、不幸に死んでいった。


「どうして、どうして私だけこんな惨めな想いをしなきゃいけないのよぉ!?」

「いやだ! 誰にも愛されないまま、死ぬのは嫌だ!」

「助けてよ、ねぇ、助けてよ! 独りぼっちで死ぬのは嫌なの!」

「寒い、寒いよ、誰か、ねぇ、誰か、暖めて……?」


 当然と言えば、当然の結果だった。

 何せ、呪いの核となっているのだ。ただでさえ、人を呪えばその反動を受けるリスクがあるというのに、無自覚に核となっているのならば、世界中で一番、超越者の転生体が呪われているのは当たり前の結果なのだ。

 だから、誰しも間違えて、狂って、理不尽な悲劇に呪われて死んでいく。

 どれだけ努力を重ねても、無意味に死んだ少女も居た。

 誰にも愛されず、惨めに捨てられた娼婦も居た。

 誰も信用せず、自己愛のみで生きようとした挙句、最後の最後で後悔した悪女も居た。

 あるいは、まともに誰かと触れ合うことも無く、戦場で死んだ子供も居た。

 例外なく、呪いの核となった転生体不幸に死ぬ。

 理不尽な悲劇に襲われて死ぬ。

 己の愚かさで死ぬ。

 運が悪くて死ぬ。

 超越者の呪いは、魂に死の記憶を刻み付けて、どんどん輪廻を繰り返していく。

 世界が滅ぶまで、呪われた魂に安息は訪れない。


 それは、A67番という少女も、同じはずだった。

 最愛の弟に降りかかる理不尽。

 何とかその理不尽を取り払おうとするも、力が及ばず、間に合わず、弟の死後には無力さに打ち震えるはずだった。

 自暴自棄になった少女は、怨嗟と共にダンジョンを攻略するも、上層にすら届かず、志半ばで朽ち果てるはずだった。何も為せないまま、愚かなる少女は積み重ねられた呪いの一部として、死んでいくはずだったのだ。

 ――――とある異界渡りに、『ミユキ』と名付けられる、その時までは。



●●●



 イグニスと戦っている間、ミユキにはまともな思考が存在していなかった。

 己の魂に刻まれた呪いが活性化してしまい、幾代にも重ねられた怨念に憑りつかれてしまい、目の前の敵対者を排除することしか考えられないように、思考をロックされてしまったのである。だから、本来であれば絶対に行わないような戦闘中の交渉や、無意味なおしゃべりなどもするし、絶大なる力の一端を扱う万能感に酔いしれたりもしている。

 普段のミユキが、その時の己自身を客観視できるのであれば、『素人かよ』と忌々しく自虐を吐き捨てたことだろう。

 けれど、そんな有様だったとしても、超越者の残滓と、ミユキの戦闘経験という組み合わせたイグニスに勝利した。


「あはっ! ヨわぁい! ミジめ! ザァーこ!」


 呪詛の具現化である鎖によって体を貫かれて、通路の壁に縫い付けられたイグニスに、もはや勝機は小指の先ほども存在しない。

 いや、そもそも最初からそんな物は存在していなかった。

 イグニスは確かに群を抜いて強い力を持ち、新人類の中でも最古参。最終戦争を生き抜いた経験者だったかもしれない。

 だが、長い時間を探求に費やした所為で、戦闘に対する感性が鈍り切っていた。

 上層まで辿り着いたミユキという探索者はもっと警戒すべきだっただろう。

 せめて、ミユキの戦闘スタイルだけでも知っておけば、もう少しまともな戦いになったはずだったというのに。


「ぐ、う。まさか、その状態でも正確な射撃をしてくるとは、な。しかも、射撃は囮で、本命は鎖…………くそ、戦闘から離れすぎて、鈍ったか」


 ミユキの首元から湧き出るのは、ほぼ無尽蔵の呪詛の具現化である鈍色の鎖。

 加えて、ミユキの背中に構成された黒翼の魔導具が、呪詛と魔力を練り合わせた、恐るべき呪詛弾を放つ。

 二つのコンビネーションを防ぐには、あまりにも戦う場所が狭く、そして、逃げ場が無さすぎた。せめて、イグニスが特化した近接戦闘タイプであり、なおかつ、対象を封印ではなく、殺害可能な状況であれば話は違ったかもしれないが、全ては有り得ぬ仮定だった。

 イグニスは術者であり、戦闘であれば後衛……否、力は強いが、そもそも戦場に立つタイプではない。盤外での戦いこそ、イグニスの本領だったというのに、イグニス自身がそれを忘れてしまっていた。

 長いブランクと、精神を蝕む狂気が、戦場の常識すらイグニスに思い出すことを許さなかったのだろう。


「創られたダンジョンの空間内では無く、本来の世界の側に属している場所での封印の方が、効率的だった。合理的だった。だからこそ、ダンジョン内ではなく、空を閉す塔の通路へと召喚した。その判断が、そもそも間違いだったのか? 上層などという制限などを気にせず、私が直接出向けばよかったのだか? だが、その場合は――――」


 イグニスは口の端から血を流しつつ、ぶつぶつと後悔の言葉を呟き続ける。

 既に、抗う意思は折られた。

 肉体は呪詛によって束縛され。

 精神すらも、呪いの影響を受けて『間違い』始めている。

 抗うよりも先に後悔している時点で、もはやイグニスの精神は呪詛に汚染されていた。

 このまま放っておけば、イグニスはきっと、肉体が朽ち果てるまで後悔の言葉を呟き始めるだろう。


「あはっ♪」


 だが、ミユキは敵対者の惨めな姿を観賞するのに飽きたのか、あっさりと鎖の束で、イグニスの肉体を絞め潰した。

 べきべき、びち、ぐじゅり、という骨が折れ、肉が千切れ、血が流れる音。

 あまりにもグロテスクなその音であるが、ミユキは全く意にも留めない。むしろ、喜ばしい感情すら浮かんでいた。

 何故ならば、現在のミユキは歴代の転生者の無念、嘆きに憑りつかれている状態だ。

 突然の理不尽に対して、圧倒的な力で蹂躙するというのは、歴代の転生者たちが出来なかった悲願なのだ。それを成し遂げた瞬間、ミユキの中に多大な多幸感が生まれた。


「あは、あひふひがあああああふふうう」


 ぶるぶると背筋が震えて、歓喜のあまり、くるくると幼子のように喜び、舞う。

 じゃら、じゃらっ、じゃららららら。

 ミユキが動けば動くほど、鈍色の鎖は無機質な音を鳴らし続け、思考がどんどんと自らではない何かに塗り替えられていく感触があった。

 それは共感によって引き出された達成感だった。

 ミユキの意識に混ざってくるのは、超越者の残滓である『世界を呪った記憶』、そして、転生者たちが惨めに死んだ時の憤りの記憶である。

 だから、自らに降りかかってくる『理不尽』を潰すのは、かつて報われずに死んでいった転生者たちの無念を晴らすような心持になり、達成感や幸福感が生まれてしまうのだ。


「あっ! ふ、ひひひぃ! そ、ソソ、そウだぁ!」


 歪な幸福の中で、ミユキの中にある超越者の残滓が、思考を固定する。


「こノ、クソッタレな世界を潰せバ、とってモ、気持ちヨクなれそウ!」


 呪いによって湧き出た破滅願望を、さながら天啓の如く閃きだと錯覚させる。

 世界を滅ぼす方向へ。

 ミユキの思考を染め上げて、個人の感情も潰して、記憶も消し去って、呪いの核として今こそ、世界を呪詛で満たし、滅ぼしてしまおうと誘う。


「壊して! 壊して! 砕いて! 潰して! 全部! 全部、私を! 私たちを! 苛める世界を滅ぼせばきっと! きっトォ――――おお、おう?」


 そこで、ぴたりとミユキの思考が止まった。

 世界全てを滅ぼす。

 クソッタレな世界を終らせる。

 それは、良い。構わない。こんな世界は滅んで当然だ。理不尽と暴力と間違いに満ちていて、正しさや優しさが少ない世界なんて滅んでしまえばいい。

 だが、だが、一つだけ。

 クソッタレな世界の中で一つだけ、世界よりも大切な存在は居なかっただろうか?


「――――オウ、カ」


 弟に名前が付けられていたのは幸いだった。

 そうでなければ、きっとミユキは正気を取り戻せなかった。番号では無く、美しく世界を楽しめと祝福された名前でなければ、ミユキは踏みとどまれなかった。


「だ、駄目だ、やめ、ろ」


 しかし、踏みとどまったところで、大した意味はない。

 ミユキの僅かな抵抗など、大海原に投げ込まれた小石が起こした波紋に過ぎない。いずれ、いや、すぐにでも波に飲まれて消え去ってしまうような儚い物だ。

 ミユキが正気を保てる時間など、三分も無い。

 もう一度正気を失ってしまえば、後は世界を滅ぼす前永遠と呪詛を撒き散らす媒体になってしまうだけ。

 ちっぽけな人間であるミユキには、超越者の残滓には、魂に刻まれた呪いには抗えない。


「だれ、か。誰か、たす、け」


 出来ることと言えば、小さな言葉を呟くぐらいだ。

 かつての転生者たちと同じように、どうしようもない理不尽に屈して、最後には叶わぬ救いを夢見て、無念抱いて消える。

 だから、だからこそ、ミユキは最後に、恥も外聞もなくその名前を呼ぶことにした。

 最愛たる弟には縋れない。

 師である神父の名前など、知らない。

 だから、ミユキが最後に縋る相手として名前を呼ぶのならば、


「助けて、ミサキ」


 変態で、どうしようもないお人よしだけれど、こういう時に何故か、颯爽と現れてくれそうなヒーローの名前にしよう、そう思ったのだった。


「――――おうよ、もちろんだ」


 そして、ミユキは知る。

 例え、一見すると無意味に見える儚い抵抗だったとしても、蝶の羽ばたきが星の裏側では台風になる様に、己の運命を変える時もあるのだと。

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