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第74話 初心はダンジョンアタックと共に 9

 その新人類の名を、イグニスという。

 イグニスは新人類の中では最古参の存在だ。

 何せ、イグニスは戦時中に製造されて、初めて意思を獲得した第一世代である。他の面々が子供を作り、寿命を終えていく中で、イグニスだけは一人だけ超常の法を頼り、不老不死に近しい存在へと己を作り替えた。

 そのため、イグニスには殆ど生身の肉体は残っていない。

 イグニスの体の大部分は、己の魔術で作り上げた人造の肉で代用して、劣化する度に、新しく肉体を作り直して、ずっと長い時間を生き延びている。

 唯一、生身の部分があるとすれば、魔術によって厳重に保護してある己の脳髄のみ。

 それ故に、イグニスは己の外見を変えようと思えば、いくらでも姿を変えられた。事実、イグニスは服を選ぶようなつもりで肉体を選び、その日の気分で取り換えている。

 肉体を選ぶ基準は強さや、性能では無く、本当にその場の気分であり、時として弱々しい老婆や年端も行かない子供の肉体を選ぶこともあったらしい。

 なので、新人類の中でもイグニスは『正体不明』の奇人として恐れられていた。


 イグニスは新人類の中で、群を抜いて力が強いというのに、ほとんど行使することはない。常に監獄街や閉空塔の中を、貧者の如き様相で彷徨い、何かを探し続けている。

 それは、他の新人類と同じように、試すべき旧人類を品定めしているわけではない。

 そもそも、イグニスは第一世代の新人類であるので、今時の世代の思想などまったく意にも留めていない。試練やダンジョンなど、好きにやればいいと、投げやりに放置している。仮に、イグニスがその気になれば、今時の世代の歪んだ部分を指摘して、もう少しまともな物へと矯正することも可能だったのだが、そうするつもりも毛頭ない。

 ただ、イグニスは探し続けている。

 何かをずっと、最終戦争の後から探し続けている。

 他の新人類との交流もほとんど無く、当てのない旅を続ける放浪者の如く、イグニスの存在は周囲から隔絶していた。

 だから今回、イグニスの協力を得られた新人類たちは驚いたのである。

 駄目で元々と声を掛けたはずなのに、あっさりと了承を得て、思わず『何故、協力してくれるのか?』と尋ねてしまうほどに。


「見つけた。だから、処理が必要だ」


 イグニスの言葉の意味を、新人類三人は理解できなかった。

 いや、管理者ですら、彼の言葉を理解することは不可能だろう。世界の管理者である存在ですら、イグニスの思考は狂気に侵されていると判断するだろう。

 だが、時として狂気とも呼べる一途さこそが、世界に潜む悍ましき真実を見つけ出すことがある。

 それは、幼い視点では決して得ることが出来ず。

 それは、全てを俯瞰する管理者では思いつくことも叶わず。

 当然、有象無象では認識することも出来ない。

 ただ一人、『何かがある』と探し続けた狂人のみが、見つけた答えだった。



●●●



 ミユキが転移の直後に感じたのは、冷たさだった。

 皮膚に突き刺さるような寒さではない。

 ただ、日の当らない通路を歩く時の『ひんやり』とした感触。夏場に、日陰の金属を触った時のような涼やかさ。

 それが、ミユキの額から体全体へと伝わって行く。


「対象を確保。沈静化処理…………生命反応を脅かさず、精神を汚染せず、敵愾心のみを切除し、処理を続ける」


 人形の手が、ミユキの額に『ぴたり』と当てられていた。

 手の主は、ダークスーツに身を包み、『動物の胴部の骨』を仮面の如く被った人物だった。

 中肉中背。

 無臭。

 強いとか、弱いとか、そういうのも感じない。存在の圧力が、まったく感じられない。

 されど、確かにそこに居る。

 その新人類は――イグニスは、影が直立したかの如く幽かな存在だった。


「探査…………失敗。再試行……失敗。アプローチを変えて、再試行…………成功。残滓を特定…………一万六千四百六十二通りの封印術による、弱体化処理を実行……」


 不思議な感覚だった。

 ミユキの心の中に巣食っていた苛立ちさえも、その冷たさによって抑えられているような気分だった。

 明らかに身動きを制限され、命すら握られているというのに、ミユキの心に焦燥は生まれない。それは、打開策があるわけでもなく、また、諦観しているというわけでもないのに、何故か、ミユキは全く焦りを感じていなかった。

 それどころか、己の額に手を触れさせている人物から目を離し、周囲へと視線を巡らせる余裕すらもあった。


「…………通路?」


 そこは薄暗い通路だった。

 クリーム色の床を、明るさを抑えた照明が、天井から照らしている。

 高さは三メートル程度。

 横幅は人が三人並んで通れる程度。

 窓はない。

 そんな薄暗い通路が、まるで、阿弥陀のように入り組んで、ずっと奥まで続いていた。


「どっかで、見たような?」


 入り組んだ通路。

 何故か、ミユキにはその形に見覚えがあった。

 ずっと前から、ふとした瞬間、見続けてきたような、そんな既視感がミユキの中にある。ミユキはその既視感の正体を探ろうと思考を巡らせようとするのだが、ひんやりとした額の冷たさが、思考をぼやかしていく。

 ――――邪魔だなぁ、これ。

 ぼんやりと、特に敵愾心も浮べず、道端の石ころ見つけたような気分で内心、ミユキが呟いた、その時だった。


「――――始まった、か」


 じゃら、じゃらじゃらじゃららららららららららら。

 先ほどまでの静寂を破るように、無数の金属音が通路に響いた。


「封印処理を中断。反応が収まるまで、呪詛の中和を行う」


 鈍色。

 鈍色の大蛇が、イグニスの腕に巻き付いたかと思うと、べきぃ、という大木をへし折ったかのような音が鳴り、その腕が衝撃で弾け飛んだ。

 血は出ない。

 人形の肉体であるが故に。

 淡々と、動揺することなくイグニスは一度、大きく足踏みをした。


「音響福音による、物質化した呪詛の浄化」


 たぁーん、と足踏みにしては清々しさすら感じる快音が『じゃらららら』という金属音を一時的に掻き消す。すると、そこでようやくミユキは鈍色の大蛇の正体を理解した。

 鎖だ。

 今は辛うじて止まってはいるが、無数の鎖が束ねられて、イグニスに巻き付こうとしているのである。

 そう――――ミユキの首元から、じゃらじゃらと湧き出ている、鈍色の鎖が。


「負荷、増大…………魔力での対抗はこちらが消耗するのみであると判断。対象ごと、残滓を別世界へと隔離…………ぎ、が」


 ぱきゃん、とあっけなく、何かの頸木を抜いてしまったかのように。

 ミユキがほんの少し意識するだけで、均衡は炙られた。再び、鈍色の大蛇となった無数の鎖が、次々にイグニスへ巻き付き、縛り上げて、束縛している。みしみしと、仮初の肉体が音を立てて、軋むほどに。


 ――――ざざざざざっ。

 ノイズが、ノイズがミユキの脳内に鳴り響く。

 砂嵐の混じった、記憶の断片が。

 ミユキが経験したことのない記憶が、閃光のように脳裏を過ぎる。

 吟遊詩人。

 報われぬ恋。

 友情を優先させて、己の想いを殺した光景。

 鎖。

 引きずり下ろすために、鎖。

 世界が砕ける絶景。

 そして、そして。

 最後に残ったのは、息苦しさ。


「あはっ、あははははは! はははははははははははっ!!」


 ミユキの喉から、ミユキの物ではない嘲笑が吐き出された。

 世界全てに絶望して、何かもを地獄に引きずり落とすような、亡者の声だった。


「活性化、してしまったか……だ、が……まだ、本調子では、ない」


 哄笑と金属音が鳴り響く中、イグニスは長年蓄えた魔力を惜しみなく放出して、何とか鎖の束縛から一時的に逃れる。

 その様子は先ほどまでの幽かな物ではなく、鬼気迫る物があった。

 まるで、亡霊よりも希薄だった存在が、ついさっき、生き返って熱を取り戻したかのように。


「お前は、ここで、必ず……私が、封印してみせる」


 イグニス。

 新人類の最古参にして、狂人。

 そして、この世界に潜む悪意に挑む探索者である彼は、遂に見つけ出したのである。

 己が真に相対すべき、存在と。

 だからこそ、今こそ、イグニスの言葉には熱が込められる。

 長い間、壊死して来た怒りと、憎しみ――遂に見つけたという歓喜を込めて、イグニスは叫んだ。


「超越者の残滓よ! 亡霊よ! お前の呪いは、私が砕く!!」


 イグニスは、狂気の探索者は遂に探し求めて来た敵と相対する。

 それは、ミユキと名付けられた少女ではない。

 その少女の魂に潜む、悍ましき残滓。かつて、世界を滅ぼし、絶望し、あげくの果てに、何かもを終わりに誘う呪いを遺して死んでいた超越者――――その転生体と。

 [ろ:123番]世界を終末へと誘った怨敵と、相対したのだった。

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