第73話 初心はダンジョンアタックと共に 8
オウカは己の能力を過信しない。
幼いころから、先天性の遺伝子疾患により極端に病弱だったオウカは、何よりも人間という存在の弱さを知り尽くしている。
それは、転生し、新しく強靭な肉体を手に入れた今でも変わらない。
「…………んー、どうしますかねぇ、これ」
上層に踏み入れた瞬間、オウカは己の意識が刈り取られるような感触があった。
そして、目を覚ますと見知らぬ部屋に閉じ込められていたのである。まるで格安のビジネスホテルのような質素な一室。オウカが目を覚ましたのは、その部屋に置かれている、やや硬めのベッドの上だった。
オウカはまず、状況を確認しようと起き上がろうとしたが、そこで自分の手足が、それぞれ、手錠で拘束されていることに気付く。魔術を用い、砕こうとも思ったが、オウカの魔術は何故かこの部屋の中では効力を発揮しないようだった。
「ふんふん」
転生によって得られた莫大な力が、突如として意味を為さなくなる。
大抵の人間であれば、少しは焦りを感じる状況であるというのに、オウカはまるで慌てていない。むしろ、ため息交じりに状況の流れを把握して見せるほどの冷静さだ。
そう、オウカにとって力とはあくまで便利な道具に過ぎない。あれば便利で使い勝手が良いが、それだけだ。道具に依存して、道具が無くなったからと言って絶望してやるほど生温い精神は持ち合わせていない。
オウカは生まれてからずっと、この状況以上の理不尽と付き合って来たのだから。
「俺を殺すのなら、転移した直後にやりますよね。んで、態々拘束して、こういう状況に押し込めたということは…………脱出ゲームでも気取っているのですかね、これ?」
また、常に病床に伏して、同世代の仲間たちと満足に体を動かして遊べないオウカは、書物を良く好んだ。自分一人で完結していて、誰にも迷惑をかけることなく楽しむことが出来る趣味だからである。
オウカは、いつか姉と共にダンジョンを攻略する時のために、様々な種類の本を万遍なく読みつくしていた。実用的な本。新人類が好みそうなファンタジー。ライトノベル。あるいは、古典的な文学。
そして、ゲームブック。
ゲームブックとは、読者の選択によって様々な結末を迎えるように作られている本であり、中にはミステリー風味に、様々な謎を読者が解き明かしていくことによって、真実のストーリーを知ることが出来る物も存在する。オウカはそういう謎解き系のゲームブックを頭の体操として好み、また、『脱出ゲーム』形式のゲームブックも何度もクリアしていた。
「仮に、これを脱出ゲームだと仮定すると、こういう拘束状態からのスタートの場合大抵、無理して部屋の中を這いずり回るよりは……うん、やっぱり、ありましたね。枕の下に、手錠の鍵が一つ」
脱出ゲームは大抵の場合、登場人物の能力に依存しない。
例えば、手錠で拘束されているのならば、力づくでそれを破ることは出来ない。部屋に閉じ込められている時に、壁をぶち破って脱出することも出来ない。
けれども、代わりに出題者は、特別な能力が無ければ解くことが出来ない問題も配置してはいけない。必ず、一般的な常識を前提として、誰でもわかる謎を提示しなければならない。仮に、特殊な知識で解かなければならない謎があったとしても、プレイヤーの行動範囲の中で、ちゃんとヒントを出していなければ、それはもう脱出ゲームとして成り立っていないだろう。
「はいはい、机の下、ベッドの下、電球を外して、中身を見てっと。後はゴミ箱を漁って。塗りつぶされたメモをゲット。塗りつぶされたメモの内容は、無地に見えるメモ帳にさらさらとペンで黒く塗っていけば、筆圧の部分が白く残るから読み取れますね」
オウカはゲームブックで鍛えた経験則、推理力を惜しみなく使って、あっという間に部屋の中に散らばせた謎を解き明かしていく。
己の力を封じられ、仲間と分断されている状況であるというのに、飄々と、まるで何も気負うことなくオウカは、新人類が求めているであろう解法の通り、行動を進めていた。
「はい、足の手錠も解除。後はこの部屋の鍵だけです。いやぁ、前から思っていたんですけど、内側から鍵を使わないと開けられない部屋って不自然にも程がありますよねぇ」
オウカはあえて、この脱出ゲームを仕掛けた新人類に気に入られるように動いている。
それは、生殺与奪を握られているという点もあるが、何より、確信しているからだ。この脱出ゲームを仕掛けた新人類は、力を試す戦いよりも、智慧や謎解きを重視するタイプであると。
何より、新人類の大半は旧人類であるオウカ達の足掻きを見たいと望んでいることを、オウカは自覚していた。
だから、要望通りに足掻けば足掻くほど、時間が稼げることを知っていた。
今の自分に出来る最善が、たったそれだけであることも。
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その新人類は暴力や理不尽を嫌う傾向を持っていた。
気合い? 努力? 覚醒? 根性? まったくを持って、全て馬鹿馬鹿しい。そんな粗暴な理論で貴重な旧人類を台無しにする輩は、正直に言って気に入らないとすら思っていた。
けれども、残念ながらその新人類は、新人類全体の中でも弱々しく、ちょっと特別な空間作成能力を持っているだけなので、その意見を強く広めようとは思っていなかった。
「ふふふ、いいなぁ。こういう慣れているプレイヤーの動きも、中々面白いなぁ」
ぶっちゃけてしまえば、異界渡りの排除とか、その新人類――彼にとってはどうでもいいことだった。肝心なのは、面白そうなプレイヤーと遊ぶことのみ。
彼が旧人類に対して仕掛けるのはいつも、知的なゲームだ。
特別な能力を出来るだけ排して。
過剰な力など、封印してしまい。
残された知性と知性のぶつかり合いを楽しむことこそ、彼にとっての試練であり、また楽しみでもあった。
もちろん、命がけのゲームなんてやるつもりは毛頭ない。
ゲームとは気軽にやって、敗北したとしても次があるからこそ面白いのだ。確かに、命がけのスリルが頭脳戦を彩るスパイスになるかもしれないが、それはあくまでもフィクションの中での出来事。現実に適用するなど馬鹿馬鹿しいと、彼は考えている。
「本当だったら、こんなバカみたいなダンジョンの管理なんてせずに、旧人類の皆と遊んでいたいのに。世論ってやだねぇ、ほんと」
そう、彼は新人類の中では珍しく、フィクションと現実をきちんと区別することが出来るダンジョンマスターなのだった。
「あーあ、普通に皆仲良く遊んでいるだけじゃ駄目なのかなぁ?」
彼の思考が他の新人類と異なっているのには、もちろん理由がある。
他の新人類は大抵、性交を経ずに、効率的にカプセルの中で一定の年齢まで肉体を成長させ、なおかつ一般常識や知識などを刷り込んでから誕生する。
だが、彼を作り上げた新人類の親たちは変わり者であり、カプセル内で子供のまま取り出して、一から読み聞かせさせてから常識を教えたらどうなるのだろう? という実験の下に誕生した幼い新人類なのだ。
だから、彼は幼い。
外見にして十歳程度。ゆるいキャラクター物のTシャツに、短パンだけという威厳が欠片も見当たらない恰好で、本当に幼い少年にしか見えない……されど。
幼い故に、世界のあらゆることに疑問を持ち。
幼い故に、世界のあらゆる常識に対して、反感を持つ。
当たり前を当たり前であると終わらせず、疑問を持ち、反感を覚えて、とりあえず反抗するのは子供の特権だ。
そして、それは時として物事の真理を突くこともある。
ただ、大抵の場合、子供の意見というものをまともに取り扱う大人は少ないのだが。
「うーん、しっかし、大丈夫かな? あの子のお姉さん。異界渡りの二人を担当した頑固馬鹿は多分、返り討ちに遭っていると思うけどぉー、あの子のお姉さんを担当したのは、ちょっとヤバい奴だからなー」
脱出ゲームの最奥に造られた監視ルーム――という名の子供部屋――で、ソファーに寝そべりながら、彼はオウカの様子を眺める。ディスプレイに移された銀髪の美少年が、淡々と謎を解き明かしていく様は名探偵のように格好いい物であったが、彼の中にある僅かな罪悪感が、完全に今の境遇を楽しめずに居た。
「ちょっとぐらい、手助けしてもばれないよね? んー、でも、怒られるというか、最悪殺されそうな予感」
「大丈夫、大丈夫、やっちゃいなよ」
「えー、でも、ぶっちゃけ僕は弱いしぃ。空間作成能力があるだけの雑魚だしぃ。襲われたら殺されるしかないんだよねー。その所為で脅されて、今回の件も協力させられたし」
「つまり、脅した相手が死んでいれば解決ですね?」
「解決だけどさー。でも、万が一、あの異界渡り達がやられていたと思う……と、おおう?」
しかし、結果として彼を救ったのはその僅かな罪悪感である。
「安心するといいぜ、少年。あの異界渡り達は、そんなにやわじゃない」
「ええ、きっと即座に敵対者を殺して、閉鎖空間を脱出しているでしょう」
本当であれば、彼は死ぬ運命だった。
僅かな呟きを漏らさなければ、問答無用で異界渡り達によって殺されていたはずだった。だが、異界渡り達が彼の監視ルームに侵入した際、偶然漏らした呟きにより、『殺すよりも利用した方がお得じゃん!』と予定変更が起こったらしい。
「「だから、安心して裏切って?」」
ミサキが出現させた黒き刃を首筋に添えられ、オウルの掌が頭の上に乗っている状態で、彼はしばしの思考の後、自分が出来る行動は一つしかないと悟った。
「…………よぉし、僕、張り切って裏切っちゃうぞぉ!」
こうして、幼い新人類はあっさりと異界渡り側へと寝返ったのである。
奇しくも、彼が情けを掛けようとしたオウカによる時間稼ぎによって、彼の命が救われたとも知らずに。




