第64話 未来の値段 10
この世界は、[ろ:123番]世界は、終わりかけの世界なのだという。
「新人類も旧人類も馬鹿ばっかりよ、ほんとやってられない。普通に『ごめんなさい』してから、一緒に頑張ればいいだけのの話なのに。そんなことも分からないから、駄目なのよ、あの世界は」
フシは愚かだから、滅びるのだと言った。
「ぜんたいてきにー、くうきがくらいのですー。みんな、あきらめているのですー。だから、なにをやっても、だめなのです。ししゅうのするせかいなんて、もうておくれー」
ツクモは諦めているから、滅びるのだと言った。
「愛が、足りていないのです。ええ、『熱』と呼び変えても構いません。新人類の事は分かりませんが、旧人類にはもう、それが決定的に欠けています。なぜならば、この世界はあまりにも、誰かを愛することを忘れてしまった――――そう、恐らくは大戦よりも前の時代から」
そして、現在。
神父さんは愛が足りないから、この世界は滅びるのだと言っていた。
だからこそ、神父さんは俺に取引を持ちかけたのだ。この終わりかけた世界から、僅かでも未来の可能性を違う場所で芽吹かせるために。
「最初は旧人類が間違えました。大切な物を見失って、何か、とてもくだらない物の為に、争い、殺し合い、果てには世界すらも壊しかけた。次に、恐らくは新人類も間違えたのでしょう。もっと、違う方法を知っていたはずなのに、自らを魔王として決めつけてしまった。倒されるべき試練として、自らを束縛してしまった。本来であれば、旧人類を放っておいて新しい世界を作り直してもいいはずなのに、旧人類に期待するが故に、自分たちを『打ち倒されるべき敵』として認識してしまっている」
二度、大きく間違えてしまった世界に、未来はない。
管理者はまだまだ先を望んでいるが、少なくとも人類たちの可能性は、とても後ろ向きであると神父さんは考えている。
「作り上げたダンジョン――『閉空塔』はまさしく、その象徴でしょう。空を閉し、光を阻み、先を望みたければ己を超えて行けと強制するその在り方には、愛が足りていません。何せ、先に進めば進むほど、探索者たちはより危険な場所へと挑まなければならないのですから。大抵の探索者たちは、特に危険な上層へ挑むよりも、立ち止まって僅かな時間を幸福に生きることを選ぶでしょう。そして、極わずかの『到達者』は、到達してしまった者たちはきっと」
そんな物に、子供たちの可能性を費やすのはもうたくさんだ、と考えているのだろう。
「この世界を捨てて、何処かへ消えてしまったのでしょうね」
憂いを含んだ神父さんの語りに、一切の偽りは無かった。
子供たちを売る事情。
そして、子供たちの値段。
何より、売ろうと思った相手がこの異界渡りである俺だということで、何の下心も無いことは既に証明されている。
ただ、純粋に、この神父さんは子供たちの為を思って行動をしているのだ。
例え、子供たちから恨まれ、泣かれ、責められることになったとしても。
「なるほど。アンタの事情はよく分かった…………だが、弱いな。俺がこの施設の子供たちを買う理由には、弱すぎる。そう思わないか、神父さん?」
「はい、おっしゃりたいことはよく理解しています」
さて、ここまで神父さん側の事情を説明されたわけだが、ここで俺の立場から、容赦なくその取引に対する感想を述べるのならば、一つだけ。
――――とても面倒くさい。
「ミサキさんからすれば、こちらとの取引は利益が少ないと感じるはずです。何せ、子供たちの値段は適正価格のつもりですが、かなり厳格な条件を付けさせてもらっていますから」
「そうだな、あの条件じゃどんな奴隷商人も買わねぇよ。そして、奴隷商人じゃない俺は尚更だ。そういう人材斡旋専門の奴なら考えは別かもしれないが、それでもやっぱり受け入れないと思うぜ。つーか、保証を見せろと言われても正直困る。何せ、未来は常に不確定であらゆる可能性に満ちている。健やかに過ごせる保証なんて、誰しも欲しい物じゃないか」
ただでさえ、生きている物を扱うというのは面倒なのだ。
知性の無い動植物であったとしても、他の世界に渡らせる時には、環境などをチェックした上で、管理者からの許可を得なければならない。
加えて、生きている人間を売るとなったのならば、異界渡りとしての悪名は避けられない。例え、どれだけ善良な貴族や金持ちに売り払ったとしても、知性ある生物を売るという行為が既に駄目だという同僚だって多いのだ。リスクが高すぎる。
とどめに、取引として使われるのが物資でも貨幣でもなく、とてつもなく面倒で証明しにくい条件だというのがアウトだ。商売として破綻しているレベルで、アウトだ。
文字通り、話にもならない。
「アンタらの事情には同情しよう。一宿一飯の恩もあることだし、何かしらを融通することもあるだろう。だが、商売の話となると難しい物がある」
いっそのこと、取引では無く『助けてくれ』と言われた方が清々しいほどに、この話はとても面倒だ。そもそも、子供たちを買う選択肢があるとすれば、それは現在では無く将来性を見込んで買うという物。仮に、俺が何らかの組織を纏める者であったのだとすれば、この話も無くはないかもしれないが、生憎、俺は一個人である。
この施設の子供たちを、全て養って将来を保証できるほどの余裕も、伝手を使って売り込むことも出来ない。奴隷商人でもない俺では人間を売りつけることなどできず、やれることがあるとすれば、どうにか頼み込んで引き受けてもらうことのみ。それも、俺が相手に借りを作る形になるだろう。
だから、この話はこれでお終いだ。
「悪いが、俺にはどうにも――」
「子供たちを買っていただけるのであれば、私が貴方の部下になりましょう」
「…………あ?」
俺が話を切り上げようとした時、神父さんは笑顔で珍妙なことを言い出した。
「おいおい、今、なんて言った、神父さん?」
「ほら、よくあるでしょう? お菓子に付いてきているおまけの玩具。お菓子はそれほど欲しくなくとも、おまけの玩具が欲しくて、ついつい買ってしまう。ええ、そんな気持ちでご購入して頂けませんか? というお話です。もちろん、私が育てた可愛い子供たちは素晴らしい素質を持っていると自負していますが、これは貴方にとっての利益の話ですので」
「ふぅん。それじゃあまるで、アンタが俺にとっての利益を提供してくれる存在だと言っているみたいだが?」
試すためにも、少々圧力を込めて睨みつけてみるが、神父さんはまるで動じない。俺の圧力を微風程度にしか捉えておらず、平然と次の言葉を紡ぐ。
「もちろん、私はそのつもりですよ――――見崎神奈さん?」
俺は一気に警戒度を引き上げた。
『オウル、最大戦闘準備。肉体への干渉の有無を確認』
《了解しました。権能を最大出力で――》
「ああ、戦闘準備は必要ありませんよ。私に出来るのは、貴方の魂の揺らめきや輝きを受け取り、その内を察することだけです。貴方が全力を出すまでもなく、私は敗北しています」
「…………だったら、こちらの通信に割り込まないで欲しいね。肝が冷えて、思わず手元が狂いそうになっただろ?」
「これは失礼しました」
隙だらけの姿で頭を下げる神父さん。
けれど、今の俺にとってはその無防備な姿が真であるなど、到底信じられない。この人は確かに、俺の想定の範囲を超えてこちらと相対しているのだから。
「読心の一種か?」
「それらの原型みたいなものですよ。ええ、特定の職務に就く者だったら、それなりに習得している技能です。ええ、権限では無く技能ですので、今の私にも使うことが出来るのです。それ以外は本当に、大したことなどは出来ません……精々、昔のコネクションを使って、貴方に数百の異世界への伝手を提供する程度ですね」
数百の異世界への伝手?
なんだ? 歴戦の異界渡りか? 思えば、この交渉は異界渡りというこちらの職業に対して一切の疑いを持たないことを前提の物。それは最初、『名づけ』を行えたことによって確証を持っているのかと思っていたが、今となっては読心による物だったのか? いや、裏付けは取っただろうが、恐らく無意識で使うものじゃない。少なくとも、この神父さんはパッシブで読心は使っていない。使ったのは、それがそうであると確証を得たから。世間話も、恐らくはこちらを読み取るための時間稼ぎ。俺の事情を読み取ったからこそ、こういう提案をして来た可能性はある。
だからこそ、俺にとって何が有効なのかを理解している。
確かに、異世界へのコネクションは俺にとってとても有効だ。それが、ブラフでは無く、本当の事であれば、だが。
「……アンタ、この世界の人間じゃないな?」
「元々はそうですね。諸事情により、大戦より以前からこの世界に住むことになってしまった憐れな負け犬ですよ」
「負け犬?」
「ええ、敗北者。堕落者。なんでも構いません。当時は困惑していましたが、今ではこの不自由な肉体の不自由な制限も好ましいと思っていますから」
神父さんはそう言って、けれど、少しだけ恥じるように苦笑した。
敗北。制限。不自由な肉体。
――――堕落者。
これは、このひらめきは、とんでもない勘違いかもしれない。
だって、これはあまりのも荒唐無稽過ぎる。
けれども、気付けば俺は、頭に浮かんだ単語をそのまま言葉に出してしまっていた。
「まさか、管理者?」
「ええ、正確に表現するのならば『元』が頭に付きますけれどね?」
あまりにも荒唐無稽。
推論と言うよりも、妄想と言った方が適切なはずのひらめき。
それが、的中していた時、俺はどんなリアクションをすればいいのだろうか?
「改めまして。私はこの施設に神父をやっている者です。そして、かつて超越者によって滅ぼされ、権能を奪われ、この肉体に貶められた、憐れなる神の紛い物。元管理者、あるいは、堕落者のシェムです。どうぞ、お見知りおきを」
俺の眼前で、堕ちた神が、神父の真似事をしていた。
その皮肉に対して、俺はまだ、何を言うべきなのか、思いついていない。




