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第63話 未来の値段 9

 大戦前はお茶なんて、自販機からいくらでも購入することが出来た。

 たったワンコイン。それも、子供のお小遣いで買えるようなリーズナブルなお値段で。お金を払えばそのまま、冷たい温度、あるいは、暖かな温度を保ったまま、お茶の味を楽しむことが出来た。ペットボトルのお茶は、専門の店に比べたらそりゃ劣るかもしれないが、素人が淹れる物よりは遥に上等な物だった。

 そして、大戦後。

 俺は数多の異世界を旅することにより、多くの世界ではお茶は結構な贅沢品であることを学んだ。そもそも、文明が未発達の世界では、飲み物に味を付けるという行為が贅沢極まりない。あるいはその逆で、飲み物には何かしらの不愉快な味が付いてくるのがデフォルトで、綺麗な水を求める行為こそ贅沢であるという世界も、中にはあった。

 なので、基本的に俺は、異世界でのお茶にはあまり期待していない。

 例え、食文化が高度に発展していたとしても、お茶というのは特徴的な味わいの者が多く、飽食の時代を過ごした日本人である俺にとっては少し癖が強い物が多かったのだ。


「…………美味いですね」

「ああ、良かったです。家庭菜園で作った素人の物ですが、お口に合えばなにより」


 その点で言えば、神父さんの出してくれたお茶は、俺の口によく合った。

 麦茶によく似た香ばしい香りと、癖の少ない味わい。食にうるさい俺でも、落ち着いて飲むことが出来る一品だ。熱い麦茶、というのはちょっと違和感だったけれども、二口も飲めばすぐにその違和感は無くなった。


「何分、茶菓子もお出しできないので、お茶の味だけでも気に入っていただいてよかったです」


 そう言って朗らかに笑う神父さんと、俺が向かい合うようにして座っているのは、施設の中のとある一室だ。

 長方形のテーブルが一つと、木製の椅子が二つ。給湯器に、簡単な炊事が可能なキッチンの一角。部屋の壁には、ジャンルを問わず多種多様な本が背の高い本棚に収められている。

 客室と呼ぶにはあまりにもシンプルで、質素な造りだったが、床を見ても埃一つ見つからないような綺麗な場所だった。


「あー、やっぱり食料は厳しいのか?」

「ええ、包み隠さずに言えば、厳しいですね。最低限の食糧は家庭菜園と地下のプラントで補えるのですが、それでも、おやつを出すのは中々難しいです。何せ、うちの子供たちは図体ばかりは一人前ですので」


 ははは、と苦笑している神父さんの顔に疲れは見えども、憂いの表情は見えない。

 きっと、こういう困窮している状況が当たり前なのだろう、この人にとっては。それでいてなお、子供たちが飢えている様子が無かったということは、そういうことだ。


「ふぅん。でも、ただの孤児院ってわけじゃないんだろ? ここは」

「はい、もちろん。何せ、この世界には孤児院と呼べる物はもう存在しませんからね。外では子供を作る余裕などなく、生活的に余裕がある者は全員塔の中。しかも、居住区を許されるほどまで至った探索者たちは、己の遺伝子を残すことに意味を感じません。もう、この世界では女性の胎内から子供が生まれることは皆無なのです。だから、この施設も正確に言えば、孤児院ではありません」


 しかし、子供たちを飢えさせていない実績を持ちながらも、この世界の凄惨たる有様を何の痛痒も無く語る姿は、やはりどこか胡散臭い物がある。

 善人とか、悪人という尺度で測るよりも、曲者と呼んだ方が的確であると感じるほどに。


「この施設は、製造されたAシリーズが無事に探索者としての技能を身に着けるための学校なのです。Aシリーズは胎内から赤ん坊のまま生まれるのではなく、培養液の入ったカプセル内で、ある程度まで成長させてから生まれるのです。そのため、図体の割には情緒が幼い者が多いのですよ、ミサキさん」

「となると、あいつらは外見通りじゃなくて、五歳児とかそこら辺?」

「いいえ。彼らは精神性も急速成長するように調整されていますので、ここで五年も過ごせば外見相応の精神性を取り繕えるようにはなります。先ほど、ミサキさんに容赦なく抱き付いていたんは、一年生か二年生がほとんどでしょうね」

「…………じゃあ、ミユキも本当はあの外見よりもずっと幼いのか?」


 俺は戦々恐々しながら神父さんへ尋ねる。

 散々セクハラをしておいて今更ではあるが、もしも精神年齢が幼過ぎた場合はちょっと今後の対応を見直さなければいけなくなってしまう。


「いえいえ、彼女の場合は大体外見相応ですよ。もっとも、Aシリーズは遺伝子調整されているので、成長期という物がほとんどなく、ある一定の年齢まで達したらそのまま姿で年を重ね、ほとんど老いることも無くなるのですが……ただ、遺伝子を調整されている弊害として、稀にどうしようもない先天的な疾患を抱えてくる者も居るのです」

「それが、ミユキの弟君か?」

「はい、ご明察の通り」


 神父さんは朗らかな笑みに初めて憂いを浮かべて、語り始める。


「Aシリーズに元々姉弟の概念はありません。けれど、製造ナンバーが近いと外見が似通っている場合があるので、自然と当人たちがそうであると決めることがあります。ただ、あくまでもそれは自主申告。まったく別のカプセルから出て来た者同士なので、片方に遺伝子的な疾患が見つかろうとも、もう片方は何不自由なく生活できます。きっと、A67番はそれが気に食わなかったのでしょう。一年生の時から、彼女はずっと不機嫌な様子でした」

「なるほどね。どうしようもない理不尽に対して、あいつはずっと怒っていたのか。んでもって、そいつをどうにかしようと探索者として転生用の肉体を探していた、と」

「ええ、そして、ついにその肉体を見つけた――――もとい、貴方が譲ってくださったのですよね? ミサキさん」


 神父さんの問いかけに、俺は肩を竦めて応えた。

 否定も肯定も、既に決着のついた話には必要ない。


「そうですか。では、あえて何も言いません」

「さて、なんのことやら。それよりも、さっさと本題を言ったらどうだ、神父さん。態々、この俺と世間話をするためにお茶をしているわけでもないだろう?」

「ふふふ、この世間話も本題の一つなのですが、言葉を促されれば、先に進めざるをえませんね」


 神父さんは手をテーブルの上で組み、落ち着いた調子で俺に話を切り出す。


「まず、先ほどの話で理解していただいた通り、この施設に居る子供たちは皆一様に、旧人類が生み出した最高傑作の人間たちです。得意分野は異なりますが、誰しも人並み以上の素質を持つ子供たちであると自負しています。健康面で問題がある子も居ません。A68番には遺伝子疾患がありましたが、それも極稀の確率。仮に、もしも後天的に何かしらの病が発症した場合でも、即座に私が対応しましょう」

「……迂遠だな。もっと、はっきり言ってくれ」

「では、単刀直入に」


 落ち着いた口調と、朗らかな表情のまま、けれど、無視できない真摯さを含めて、その言葉は紡がれた。


「異界渡りのミサキさん。貴方に、施設の子供たちを買って欲しいのです」

「ふむ」


 俺はとりあえず、三秒、三秒言葉を吟味した。

 慌てず、騒がず、正確に。

 間違いが無いよう、神父さんの言葉を頭の中で繰り返して確認して。


「――――そうか」


 間違えることなく、俺は握りしめた拳で神父さんの横っ面を殴りつけた。



●●●



 かつての大戦の時、俺達。三大英雄の活躍を支えた存在が居る。

 いや、支えたという表現は正しくない。あの人が居なければ、俺達はきっと空中分解してしまい、組織として動くことは不可能だった。だから、あの人は俺達にとっての屋台骨ぐらいは大切な存在だったと思う。

 当時、まだまだ世間も世界も知らない子供だった俺達に代わり、あらゆる交渉を請け負ってくれた人――――『先生』は、優しくも恐ろしい人だった。

 詳しいプロフィールは知らない。

 大戦が始まる前は、非常勤の国語教師だったことは覚えている。特に、特徴も無い、冴えない三十代前半の人だったと思う。授業だって、特段面白いというわけでもなく、普通に授業を受けていれば問題なく試験をクリアできる程度の物。日常に潜む片鱗など、欠片も無かった。


 しかし、『先生』は人類の大半が超越者によって支配されている中、各地のレジスタンスを上手く吸収し、さらに、超越者同士を潰し合わせるように策謀を巡らせたりなど、恐怖さえ感じる活躍を見せた。

 中でも、対人交渉技能に関して、先生の右に出る物など存在しなかった。

 かつての世界において、大国の重役だった政治家。屈強な軍人。過激派テロリスト集団の指導者。それらの人間と交渉することがあったとしても、一歩も引かず、むしろ、終始優勢な状態で取引を行い、交渉が終わったころには、相手が血の気の引いた顔で座り込んでいる場面など、見飽きるほど見て来た。

 恐らく、先生はその弁舌だけで国すらも滅ぼすことが可能だろう。

 異能も、魔術も、戦闘技能もからっきしの先生であったが、俺はどれだけ強大な敵よりも、先生の方が恐ろしいと思っていた。同時に、味方であることに深く感謝し、とても頼りにしていたと思う――――多分、現在も。

 そんな先生に対して、俺はある日、こう尋ねてみたことがあった。

 もしも、先生のような、とてつもない交渉技能の持ち主と交渉することになってしまった場合、どうしたら良いのだろう? と。

 質問の意図はそこまで複雑では無かった。

 俺は口が上手い方では無かったので、もしもの時、この俺が交渉役として矢面に立たなければならなくなった時のために、相応の対応を知りたかったのである。


「じゃあ、交渉が始まる前に一発殴ると良い」


 しかし、先生の回答は俺の考えを斜め上に上回っていた。

 俺の問いよりも遥にシンプルかつ具体的で、明確な答えだった。


「下手に交渉しようと思うと絶対にドツボに嵌るし、君は余計なことを考えて返って自滅するうタイプだからね。その前に交渉相手を一発殴って、すっきりしてから冷静に対応しよう。冷静に対応できれば、どれだけの口下手でも交渉って言うのは最低限上手く行くものだよ」

「え? その時点で交渉決裂しない? 大丈夫?」

「あははは、貴方が相手を殺さなければ、きっと大丈夫だよ、見崎君。むしろ、その程度で交渉決裂するような相手は全然怖くない。いいかい? 本当に怖い相手というのはね? 一発殴られた後、平然と立ち上がって笑うから、ちゃんと見きわめるように」


 だから、俺は神父さんの横っ面を殴った。

 別に怒りを覚えたわけじゃない。こうすることが一番適切だと思って、間違えないように殴ったのだ。

 その証拠に、殴られた神父さんは大して気にした様子もなく、にこにこと笑みを浮かべたまま、俺の言葉を待っている。


「それで、値段はどれだけだ?」

「おおっと、これはこれは。いきなり殴られたので、てっきり交渉決裂だと思ったのですが、よろしいので?」

「避けようとも、受けようともしない奴がよく言う」

「ふふふ、貴方こそ、かなり手を抜いて殴ったでしょう?」

「俺が本気だったら、殴られた頭は残らない。そして、そもそも本気の拳だったら、もう少しリアクションが違っただろう?」

「流石に、死ぬのは御免ですからね。ただ、ミサキさんはとてもお人よしそうに見えたので、いきなり殺しはしないだろうとも思っていましたよ?」

「うっさい、さっさと俺の問いに答えろよ」


 右頬が赤く腫れている癖に、神父さんの言葉は少しも淀んでいない。


「私が育てた可愛い子供たちなので、少々お高いですよ」

「知っている。だから、値段を聞いたんだ。理由は後で良い。買うか買わないかだけを、先に決めておくぞ」

「いやはや、これだから揺さぶりが利きづらい人は困ります」


 くくくく、と朗らかな笑みを歪ませ、どこか愉快そうに笑った後、神父さんは答えた。


「あの子たちの値段は――――あの子たちが異世界で健やかに生活することが出来るという保証ですよ、ミサキさん。こればかりは、どれだけ交渉されても値下げするわけにはいきません」


 子供たちの値段は、その未来を保証することだと、恥ずかしげもなく。

 まるで、聖人のように答えたのだった。

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