第61話 未来の値段 7
本来の自分の体とは異なる体に、魂を入れる感覚。
それを例えるのならば、『他人が着ていた服を肌着から全部、自分で着る』不愉快な感覚を、千倍ぐらいにした物が近いと思う。
自分の物ではない手足。
自分の物よりも艶やかな肌。
頭の中で想定している声と、実際に口に出す声の差異。
慣れてない内は、鏡を見る度に自己が少しずつ削れていく感覚がする。
魂の形が、本来の物とは異なる形へ、変化していく違和感。
こればかりは、実際に体験しなければ分からないだろう。そして、体験せずに済むのであれば、一生体験しなくていい物だと断言できる。
何せ、ひどい場合だと肉体と己の精神の違いによって、本来の人格とは著しく異なる人格へと変貌してしまうこともあるからだ。そうなってしまえばもう、ほぼ別人だ。どれだけ正確に記憶を覚えていたとしても、記憶が同じなだけの別人である。
人間中身だ、なんて言うが、断言しよう。
人は外見が変われば、どうしても中身も変わらざるを得ないのだと。
「んじゃあ、どうしようもないってことかよ?」
いいや、どうしようもないというわけではない。
対策はある。俺のホームでは数多の異界渡りを、本来とは異なる肉体に移して送り出すことをしているので、それ相応の対策は練られている。
まず、周囲の人間がしっかりと声を掛けてやること。
以前の自分を知っている人間との交流が続けば、肉体が変わっても、精神が前の自分を維持しようとする。要するに、絆の力って奴だな。綺麗事だと思うかもしれないが、これが結構肝心だ。自分一人だけだと、意外と自分の変化に気付けないもんだからな。
「そ、そうか。じゃあ、ちゃんと声を掛けるようにする、うん」
それがいい。
んでもって、次に肝心なのは本人の意志力……というよりは、信念だな。己の心の中に、確固たる物がある奴は、強い。例え、肉体が変化したとしても、全然意にも介さず、精神が以前のままってケースもあるぐらいだ。
だから、肉体を変えようと思うのなら、まず自分の中にある大切な物を確認させた方が良い。心構えがあるのと無いのじゃ、全然違うからな。
「……ん。わかったけど、あいつは結構頑固だからな。心配ないだろ」
なるほど。君がそこまで言うのであれば、本当に心配が無いのかもしれない。
じゃあ、これが最後だ。
――――変わることを、恐れるな。
「おい、変わらないための対策なんじゃねーのか?」
そうだ、出来る限り変わらないための対策だ。
でもな? 考えてもみろよ。人間ってのは、本来の肉体でも時間が経つにつれて、少しずつ変わっていく生物だろ? そりゃ確かに、昔から全然変わってない、なんて言われる奴も居るかもしれないが、それは同じ面ばかり見ようとしているからだ。実際には良くも悪くも変わるもんさ。だから、無理に過去に拘り過ぎると、今度は前に進めなくなる。
自分の変化を、成長と認められなくなってしまうだろ?
「変わることが、悪いことだけじゃない、って?」
ああ、生きている限り、俺たちは変わらざるを得ない。
前に進まざるを得ない。
でも、肉体が変わったからと言って、いつまでも過去の自分から外れないようにばかり意識していると、かえって精神を病んでしまうんだ。
だから、変わることを恐れてはいけない。
肝心なのは、以前のままで変わらない事では無く、例え、変わった後でも、そいつが『自分自身である』と認めてやれる変化であることだ。
「ふーん。要するにあれか? そいつを信じて、悩んでいたら助けてやればいいって話だな? なんだ、簡単じゃねーか」
おう、簡単だぜ、出来る奴には。
「心配ねーよ! だって、アタシと、アタシの弟だぜ?」
…………そうか。
うん、君がそう言えるのならば、それでいいのだろうよ、きっと。
●●●
要するに、ミユキの手伝って欲しい事というのは、弟が転生するための準備らしい。
どうにも、この世界における転生というのは、本来の肉体から、より強い肉体に乗り換えること指すらしいのだが、たまに、転生した際のショックに耐えられず、人格が変貌したり、大きな力を手に入れてしまった所為で、人格が歪んでしまう者も少なくないようだ。
そのため、不安になったミユキが、肉体換装の先輩であるこの俺に色々尋ねていた、というわけだ。
「あのさ、ミサキ」
「なんだよ、ミユキ」
「……これから、弟の部屋に行くんだけどよ、その、一緒に来てくれないか? 説明と言うか、その、だな」
そんなわけであれこれとレクシャーを終えたわけだが、何やら、ミユキがバツの悪そうな顔で俺に視線を送ってきている。
「弟だけには、嘘を言いたくないんだよ」
ぽりぽりと、頬を掻きながら告げられたミユキの言葉。
口調は軽いものの、そこに込められた思いは決して、安くないだろう。何せ、推定育ての親である神父さんにさえ見栄を張ったのに、弟にはそうできないと言うのだから。
「俺としては別にどっちでもいいんだが、君はいいのか? 嘘を言わないってことはつまり、俺の命を狙ったことも偽らないんだろ?」
「おうよ……絶対、説教をくらうと思うけど」
「説教ぐらいで済むんだな」
「アンタの世界はどうか知らんが、この世界は殺して、殺されなんて日常だぞ? 説教を食らうのも多分、アンタの力量を見抜けなかったことに関してだな」
「厳しいなぁ、おい」
「まぁな。でも、愛ゆえにって奴だと思っている」
はにかむように笑うミユキ。
どうやら、ミユキは弟の事になると刺々しさがいくらか消えるようだった。
「そうか。じゃあ、俺が口出しすることでもないな。いいぜ、君に付き合って弟君と会ってやるよ。もちろん、しっかりと仮面は付けておくとも」
「それは本当に頼むぞ、ミサキ。弟の性癖を歪めないようにしろよ」
「中身が男だとばらさなければ、歪まないと思うけどなー」
「いや、アンタは性別関係なく、他人の性癖を歪める宿命を持っていると思う」
「なんだよ、その宿命」
俺とミユキは他愛ない談笑を交えながら、施設の廊下を歩いていく。
途中、施設の子供たちに絡まれないようにと、ミユキが時折、気配を探りつつ。大体、二分ぐらい歩いた場所に、その部屋はあった。
学校の保健室を連想させる、白いドア。
「弟、弟ぉー。私だー、開けるぞぉー」
ミユキはそのドアを三回ほどノックした後、返事を待たずにドアを横にスライドさせた。
「姉さん、いつも言っているけど、俺の返事を待ってからドアを開けてください……って、おいや、これはめずらしい。お客さんですか?」
ドアが開けられた時、まず感じたのは消毒液と薬品の混じったような、清潔さを感じる臭いだった。けれど、この臭いは同時に、死の臭いも孕む。
そして、透明な死臭を漂わせているのは、恐らく、真っ白なベッドの上に居る、真っ白な病衣を来た少年だろう。
年はミユキとほとんど変わらず、十代半ばほどに見える。くすんだ銀色の髪も、ちょいと険しい目つきも、ミユキに似ていて、確かに姉弟だとわかる容姿だった。
だが、その頬は一般的な青少年のそれよりもこけていて、肌も青白い。
ミユキの弟は、まるで、生きながらに死んでいるような、幽かな少年だった。
「おう、客人だ。異界渡りとかいう、胡散臭い職業の奴だけどな」
「ははは、どーも。胡散臭い職業の奴です、よろしく」
「ああ、いえいえ! うちの姉が失礼を!」
全体的に存在感が薄いというか、もうほとんど生気が残っていないような、そんな薄さを感じてしまうほど、この少年の死期は近い。素人の俺でさえ、一目見て分かってしまうほどの虚弱具合……けれど、その少年の口から発せられる言葉は、決して弱々しくなかった。
きちんと、ミユキの弟として、俺に対応している。
「気にしてないから、安心してくれ、弟君。何せ、君のお姉さんとはもうすでに浅からぬ因縁を結んだ間からだからね」
「浅からぬ因縁……? まさか、姉さん、女性を愛するように? いや、俺は全然構わないんだけど、せめてもうちょっと前置きしてくれないと辛いものがあるよ」
「違う! 全然違う! そうじゃなくて! そ、その、だな」
力強い否定の後、ミユキはようやく説明を始めた。
どうして、今回、ミユキが帰って来たのか。
ミユキだけでなく、どうして俺がここに居るのか。
そして、ついに弟君の為に転生用の肉体を手に入れたことも、全て。
「――――以上が、アタシがここに居る理由。ミサキがここに居る理由。んでもって、アンタが今後も生きていける理由だよ、A68番」
目を細めて、ミユキは全て、弟君へ伝え終えた。
「…………姉さん」
弟君は、そんな自らの姉の肩にそっと手を置いて、微笑む。
幽かだけれども、確かに生命の力強さを感じさせる笑みを浮かべて。
「――――――俺のために、無茶はするなって言っただろうがぁあああああああ!!」
「おごがあああああああああああああ!!?」
細い腕で素早くミユキの首に回して、そのままきっちりとぎりぎり首を絞め始めた。
「なぁに、明らかに力量が遥か上の相手に返り討ちにあって、お情けを貰っているのさ! いや、お情けを貰うのはいいけど、その前が駄目過ぎる! この人が頭のおかしいレベルのお人好しじゃなかったら、今頃犯されて死体エンドだったじゃん!」
頭のおかしいレベルのお人好しなのか、俺は。
「う、うるせぇええええ! 舐めんな、病人がぁああああああ! こちとら、テメェの寿命がガチでやばいから焦ってたんだよ、ボケがぁ!」
「それで、姉さんが先に死にかけてどうするんだよ、ドアホぉ!」
「んだとぉ!?」
「あああん!?」
力づくで弟君の腕を外したミユキが、そのまま弟君にタックル。
弟君は負けじと、次々に関節技を繰り出して、ミユキの意識を刈り取ろうと挑む。
…………うん、なんというか、本当にさ。病人云々以前に。
《なるほど、これが姉弟という物ですか》
『……まぁ、うん。間違ってはいないな、多分』
弟君は、やはりミユキの弟なのだと、俺は二人の姉弟喧嘩の様子を見ながら思った。
いや、当たり前と言えば、当たり前なのだけれど。




