第58話 未来の値段 4
外とは違う、透明で綺麗な空気。
熱くもなく、寒くもなく、人が過ごすのに最適な気温。
程よく茂った草木は、よく見ると法則性の下に管理されており、好き放題に生え散らかったような汚らしい印象は受けない。
花畑や、農園の存在なども遠くから伺えることから、この場所の管理者は少なくない労働力で環境を整えているらしい。
そして、何よりも目を引くのは『学校』を連想させるクリーム色で巨大な建物だ。いや、もう少しよく観察すれば、それはどことなく『病院』にも似ている。学校が八割、病院が二割という混ざり具合というか……学校の外観の割に、妙に階層が高く、なおかつ窓が多いからそういう風に感じるのかもしれないが。
「楽園、ね。確かに、街の中とは違った穏やかな雰囲気だな」
「文字通り、空間レベルで隔離されているからな、ここは。街で燻っているような屑共じゃ、絶対に入って来れねーよ。もっとも、入って来たところで意味はねぇからな」
「ほほう、何故?」
「すぐに殺されるからさ」
楽園と呼ぶには随分と物騒な場所だなぁ、おい。
俺が肩を竦めると、ミユキはにやりと笑って大きな建物を指差す。
「あそこが、アタシらにとっての学校。ついでに家。そして、揺り籠でもある。名前なんて無いから、適当『施設』って言っているけどな。アタシたちは外に旅立てるようになるまで、そこで色んな事を学ぶんだ。科学。数学。歴史。料理。人体の仕組み。戦い方。殺し方。本当に、色々学ぶんだよ」
ミユキはじぃ、とその建物――『施設』を眺めていたかと思うと、つまらなさげに鼻を鳴らして見せた。
「でも、どれだけたくさん学んでも、外に出て五年も生き延びられる奴は稀だ。何故なら、大抵の奴らはご自分の使命に酔って、ひたすら上を目指して死ぬからな。ああ、そうさ。いくらアタシたちAシリーズがエリートだとはいえ、第100階層以上からは、上層。人外魔境だ。転生でもしなけりゃ、普通に死ぬ。何せ、まともな探索者は、生きようとする探索者は絶対に近づかねぇ領域だからな」
「なるほど。んで、お前はどっちだ? ミユキ」
「…………見て分かるだろうが、クソが」
一瞬にして不機嫌になったミユキは、施設へと入っていく。
俺はその隣で神妙そうな顔を作って、歩くようにしていた。でも、仮面被っているから、全然意味ないな、これ。
《ミサキは遠慮しなくていい相手には限りなくぞんざいになりますよね、私とか》
『待て、確かに気の置けない関係ではあるが、お前に対してはかなり愛情を持って接しているだろうが、オウル』
《…………端末禁止令》
『きっちり自分の肉体を隅々まで掌握できるまで、禁止令は解きません』
《…………了解しました。でも、きっちり掌握出来たらご褒美が欲しいです》
『いいぜ、何か考えておけよ。俺が実現できることなら、大体叶えてやるから』
《言質取りましたよ?》
相棒の機嫌を取りつつ、不機嫌なミユキと共に施設内へと足を踏み入れる。
そこは、なんというか、本当に学校に類似していた。
金属製の靴箱がずらりと、並んであり、その一つ一つにはAの記号と共に、番号が割り振ってあった。名前は、見当たらない。
「おおい、神父。クソ神父。胡散臭いイケメン。さっさと来いよ、おい。来客だぞ、テメェ」
「わぁ、この子、いきなりインターホン連打してやがる」
「はーやーくー、こーいー」
ぴぽぴぽぴぴぴぽーん! という勢いで、ミユキはインターホンを絶え間なく連打する。
すると、即座にインターホンから『こら、やめなさい! どこの組の悪戯ですか!?』という、男性の声が。
「ああん? このアタシの声を忘れたのかよ、クソ神父」
『その口汚さ! 貴方はA67番ですね!? もう、今は授業中だって知っているでしょう!?』
「自習にしろや。そっちの方がガキどもも喜ぶぞ?」
『子供たちを喜ばせるために授業をしているのではありません。一人でも多く、生き延びられるようにと、私は――』
「その説教のパターンは飽き飽きだ。それよりも、客人が来てんだ、顔を出せ。多分、アンタにとっては福音になるかもしれねぇ」
『お客人? このような場所にですか? しかも、貴方がここに連れて来るなんて』
「…………悪いか?」
『いえ、悪くはありませんね、ええ。むしろ、良い傾向です。では、すぐに向かうので、少々お待ちください』
ミユキがインターホンの通話を終えてから数秒後、俺は、ここから近い場所で転移反応を感知。先ほどの声の主が転移をして来たのだと察する。
察したのだが……転移を使えるレベルの魔術師って何者だよ?
「どうも、どうも、お待たせしました。いやぁ、ここにお客様が来るなんて何年ぶりでしょう?」
「三年前のあれはお客様じゃねーのか?」
「襲撃者でしたからね、ノーカウントですよ」
「即座に殺して、外に捨てて来たもんなぁ、神父様? いいのか? 普段はあれだけ善人ぶっている癖に、いざとなったら本当にすぐ殺すもんな、テメェ」
「前にも言いましたがね、A67番。この世界の神は既に我々を見限っているので、殺人も暴力も全て自己責任なのです。善であるからといって殺しを躊躇ってはいけないし、また、悪であるからと言って救いを拒んではいけません」
「ちっ、相変わらず、うぜぇ」
ミユキが悪態を吐いた相手は、まるで、お手本のような『神父』だった。
年齢は大よそ、二十代後半ぐらいに見える。体つきは結構がっしりとしているのだが、物腰柔らかな態度と、垂れ目がちな碧眼が気弱そうな印象を抱かせる。ただ、長い金髪を後ろでまとめ、枝毛一つも見当たらない滑らかな艶やかさからは妙な色気があった。そして、身に纏うカソックは沁み、汚れなどが見当たらず、服の裾には解れさえも無い。まるで新品だが、けれど、ちゃんと使い込まれたフィット感を覚える奇妙な清潔感があった。
「おっと、教え子への説教に夢中でお客様への対応を忘れてしまうとは、失礼を」
「あー、いや、気になさらず。その、俺は図々しくも宿を借りに来た厄介者な訳だし」
「いえいえ、厄介者なんて、とんでもありませんよ」
青年は胸に手を当てて、俺に柔らかく微笑みかける。
「この問題児が、やっと連れて来た『信頼できる人物』です。是非とも、おもてなしさせてくださいませ」
「…………あ、はい。ええと、ミサキです。どうぞ、よろしく」
声色からも、まるで善意以外は受け取りようがないほど、その青年はとても『安心』できる存在だった。
そう、まるで、どれだけ警戒していたとしても、一息でその警戒を取り払ってしまうかの如き、清廉潔白な空気を持つ存在だった。
「改めまして。この施設の管理をさせていただいている者です。若輩者故に、転生もままならない存在ですので、どうか、神父とお呼びください。この呼び名が示す意味を損なわぬよう、務めたいと思っておりますで」
けれど、俺はその笑みをもってしてなお、油断する気持ちが欠片も生まれない。
何故ならば、そういう笑い方をする人間を、俺はよく知っているからだ。間違いかもしれないし、類似しているだけの勘違いかもしれないが。
俺の記憶にある、そういう笑い方をする人間は大抵、曲者なのだ。
――――それも、神に等しき、管理者すら惑わせてしまうほどに。
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「ところで、A67番。貴方は今日、どんな用事で来たのですか? この方を案内するためだけではないでしょう?」
「当然だ。弟用の肉体が手に入った、これから転生の準備を行う」
「ほう、それは素晴らしい。貴方はこの場所を出た時から、ずっとそれを願っていましたからねぇ」
今日、泊まることになる客室へと案内されている途中の俺であるが、どうにも、旧知の二人の会話に割り込むのを躊躇ってしまう。
やれ、どうでもいい会話だったら遠慮なく突っ込むんだけど、大事そうな会話だと流石の俺も空気を読まざるを得ない。
「ですが、彼の体調はあまりよろしくありません。体調を整えて、万全の機会を伺うべきです。なに、三日以内に上手く誤魔化して見せましょう」
「そこは治すとか言ってみろよ」
「先天的な遺伝子異常による物なので、どうにもできませんね。そもそも、病気ではなく、元々そういう生物だからそういう症状なのです。なので、それをどうにかするには転生するしかない。だからこそ、貴方は探し続けたのではないですか?」
「……わかっている、クソが」
「口からクソを垂れなくとも、少しぐらいは誇りなさい。貴方が成し遂げた偉業でしょう? それと、彼の部屋に行く前にはちゃんとシャワーを浴びて、体を清潔にしてきなさい。貴方、少々匂いますよ?」
「はぁ!? うっせぇよ!」
神父とミユキの会話はさながら、母親と反抗期の子供のそれに近しい。
ミユキは探索者としてかなりの腕前の持ち主であり、己の感情ぐらいコントロールする術を身に着けているだろうが、やはり、相手が親しい人物だと、そういうことを気にしなくていいのか、やけにぎゃんぎゃんと騒いでいる。
「臭くない!」
「探索者基準で言われましてもね? ここに来るときはもうちょっと清潔にしてください」
「臭くない! だって、こいつ抱き付いて来やがったし!」
「ん、俺?」
おっと、微笑ましい気分で二人のやりとりを眺めていたら思わぬ飛び火を受けたぞ。
「おや? ミサキさん、この躾のなっていない狂犬みたいな子に抱き付いて、よくご無事でしたね? ひょっとして、凄腕の探索者で?」
「まぁ、似たような物ですね。ああ、あと、俺、臭いはそんなに気にしません。俺自身、何日もずっと戦い続けて体を洗う機会なんて皆無の時もありましたから。それに、身を整える暇もないぐらい、早く弟さんに会いたかったのでは?」
「余計なことを言うなよ、ミサキぃ!」
「こら、お客さんの急所を狙わない」
「あはははは、ご心配なく。俺、強いので」
俺はミユキの拳を受け止めると、するりと腕を絡ませてそのまま抱き付く。
そして、くんくんと、ミユキの首元当たりの匂いを嗅いだ。
「汗臭い感じはしますが、このぐらいは許容範囲では? よく臭いを嗅ぐと、女の子の匂いもちゃんとしますし、さりげなく懐に小さな香り袋でちょっとエチケットを気にしていますし。ただまぁ、今は余裕があるんだから素直に体を洗えばいいのに」
「やめ、やめろ、変態! 変態!」
「ミユキは臭くないと思いますが?」
「あ、馬鹿」
「…………ほう、ミユキ。A67番。ではなく、『ミユキ』ですか。なるほど、なるほど。ぱっと観察してみても、この子が転生した様子はない。そもそも、この子は自分の転生に使うぐらいなら、肉体をまず弟に使う。となると、ふぅむ」
俺とミユキが絡んでいると、神父が急に眼を細めて何かをぶつぶつ言いだした。
ミユキは「あちゃー」みたいな顔をしているし。ああ、そういえば、『名づけ』は特別な意味を持つんだっけか、この世界は。ミユキの臭いを嗅ぐのに夢中で気づかなかったわ。
「――――素晴らしい」
「へ?」
それは唐突だった。
あまりにも唐突に、神父は俺の手を握り、感極まったように言う。
「この子の言う通り、貴方はやはり、我々にとっての福音のようです、ミサキさん」
なんだかよくわからないが、厄介事に巻き込まれることだけは確定したようだった。




