第57話 未来の値段 3
ダンジョンを出禁になった俺たちの問題は、当面の宿だった。
ダンジョン内にあるホテルや居住区での住み込み攻略を考えていた俺であったが、新人類から出禁を食らってしまったので、当然、利用できない。
しかも、この『閉空塔』以外の場所は環境が劣悪だという。
監獄街という、元々の旧人類が管理されていた街はスラム化しており、治安は最悪。けれど、その街の外にあるのは荒涼とした大地のみ。
スラムに突入して、比較的マシな住まいをい探すか、荒野を彷徨い、適当な場所でキャンプを決めるか、あるいは、この世界に来た当初の目的を達してしまったので、さっさと帰還するという選択肢もあった。
だが、ホームには最近帰ったばかりであるし、折角自由貿易許可を貰ったのだから、ここら辺で一つ商売をやっていきたい。
そして、商売をやるには相手が居なければならない。草木が一つも生えていない荒野を彷徨っていたところで、見つかるのは人恋しさから見る幻覚ぐらいだ。
なので必然と、俺は監獄街へと向かったのだけれども。
「おうおう、姉ちゃん。誰に断って、この道を歩いてんだ? ああ?」
「通行料払わないといけねぇよ、通行料をよぉ」
「もしも金が無いってんなら、体で払ってもいいんだぜ、げへへへ」
街に入ってから数分で、なんかもう、テンプレみたいな台詞を吐くごろつき共に絡まれることになった。いやもう、ガチで「げへへへ」とか、なんなの? どういう感性でそういう笑い方するの? つーか、なんだよ、その装備。そのちっさいナイフ。思わず凝視してエンチャントが掛かってないか鑑定したけど、只のナイフじゃん、それ。え? ひょっとして、俺を脅すのに銃器すらも持って来てないの、こいつら? うーん、人数は五人と、まぁ、実力が伴っていれば間違いじゃないんだけど、ちょっと質が低すぎるなぁ。このまま無視して放置しても、俺に触れることすらできずに勝手に諦めると思うのだが、ふむ。
この手の屑は放置して、関わらないのが一番、無駄な労力を消費しない賢いやり方だ。
しかし、郷に入っては郷に従えとも言うだろう。
俺はあえてこの街のルールに従い、仮面の下で笑みを作り、こう答えた。
「テメェらこそ、誰に断って俺に声を掛けてやがる? ああ? 俺に許可なく声を掛けたなら、金を払えよ、金。おう、とりあえず、全部出せ。足りなかった金の分だけ、とりあえず、指の骨を折ってくからな……おい、返事はどうした?」
物凄い柄の悪い声を作り、ごろつき以上の理不尽な要求を返してやったのである。
知性がちょっとアレなごろつき共は、たっぷり十秒ぐらいかかってから自分たちが喧嘩を売られたことに気付いたらしい。そこでようやく、小さなナイフを振り上げて、奇声を上げながらこちらに突っ込んでくる。
俺はなんかこいつらの身なりが汚く、直接触るのが嫌だったので、とりあえずごろつき共の空間を支配。そこから重力を無視した、自由軌道でぶんぶんと振り回して、奴らが泣いて謝っても、げらげら笑いながら、即興の絶叫マシーンを堪能させてやった。
人間、身動きが取れず宙に浮くと、大抵、何も出来なくなってしまうからな。それこそ、『探索者』でもない、ただのごろつき共に俺の権能を打ち破れるはずも無し。
俺は童心を取り戻しつつ、さながら買ったばかりの玩具で遊ぶ子供の如く、ごろつき共の悲鳴を楽しみながらぶん回していた。
『ところで、この後どうするかねぇ? 殺すのはちょっと微妙だし。俺に手を出したら痛い目を見るというパフォーマンスも充分だし。適当なところで開放するかー。あ、適当に骨は折っておこう。結局、無事だと恐怖が薄れるからね』
《ミサキは手慣れていますね。以前にもそういう経験が?》
『大戦中に、スラム街に潜入することも少なくなかったからなー。ただまぁ、その時は異能の使い過ぎで存在感が皆無になっていたから、滅多に絡まれなかったけどな』
《現在は狐面の美少女という、特徴があり過ぎる存在ですからね》
『美しさは時として、面倒だよな、マジで』
《他人の体を使っているとは思えない発言》
『ゴミをリサイクルしてやっているのだから、むしろ当然の発言』
ごろつき共が段々と元気がなくなってくると、俺はふと、大通りの向こうから見知った影を見つける。
頭からすっぽりと、身を隠すように被った灰色のローブ。腰にはこれ見よがしに銃器とナイフが、専用のホルスターに収まっている。足元はきっちりと、固そうなブーツで守られており、路面にガラスがばら撒かれても気にせず、動くことが可能だろう。
以前の時とは恰好が違うが、背丈や、身に纏うピリピリとした殺気交じりの空気は、まさしくあいつだ。
「ミユキ、ミユキじゃないか! この間ぶりだなぁ、おい! ちょうどいいや、ダンジョンを出禁にされたから、どこかの良い感じの宿があったら教えてくれよ!」
「なんなんだ、アンタは!?」
俺は即座にごろつき共を死なない程度に路面に放り捨てる。
そして、今にも逃げ出しそうなミユキの近くへ空間転移。ミユキは反射的に、こちらへナイフを抜き放とうとするが、それよりも前に体に抱き付いて、腕の動きを止めた。
「頼むよー、一週間の間でいいから、ここら辺で良い宿を教えてくれよー。借りを返してくれよー。頼むよー」
「うっぜぇ! さっさと放せ!」
「はっはっは、割とこっちも切実な事情があるから、イエスと言うまで離さない」
「くそっ! こんな鶏ガラみてぇな体に抱き付いて何が楽しいんだ!?」
「骨をぐりぐりするのとか、結構楽しいぞ」
「やめろ、この変態が!」
割とシビアな攻撃を仕掛けてくるミユキをあしらいながら、俺は堂々とセクハラをかます。ちょうど俺よりも少し背が低い体格なので、こうして抱き付きやすいからセクハラしやすいのだ。加えて、命を狙って来た相手なので、俺には容赦など存在しない。いや、直接的にあれこれ触るつもりはないけれど、女子特有のスキンシップを躊躇わない。
荒んだ野良犬とか、一匹狼との触れ合いみたいな感じで、これが結構楽しいのだ。
こちらが気を抜けば、容赦なく首元を掻き切ってくれそうな殺気とか、なかなかゾクゾクするし、嫌悪交じりの羞恥の表情も素晴らしいな。
《ダンジョンを追い出された腹いせに、自分よりも弱い存在を苛めて楽しむとは。ミサキ、性格がよろしくないのでは?》
『俺はぶっちゃけ、殺しに来た奴をそんなに簡単に許したりしない。なので、積極的にセクハラとかして留飲を下げつつ、好感度を上げているだけだぞ?』
《逆効果では?》
『いや、意外とこういう奴って最初に懐に入ると、スキンシップが有効だぞ?』
数分間ぐらい、ぎゃあぎゃあ騒ぎながらミユキは抵抗を続けていたが、やがて、何をしても無駄だと諦めたのか、観念したように叫んだ。
「わかった! わかったから! 宿を教えるから、いい加減に鎖骨を触るのを止めろ!」
「…………」
「悩むな! さっさと離せぇ!」
俺は名残惜しみながら、ミユキの鎖骨から手を放す。
顔を真っ赤にして、こちらを睨むミユキの姿はとても愉快だったので、機会があれば、もう一度やろうと思う。
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「言っておくが、清潔と安全と、ほんの少しの食糧だけだからな! 保証できるのは! それ以外、何一つ保証できねぇからな!? 後、うるさいから! それと、ガキどもが沢山いるから、かなり鬱陶しいぞ」
「心配するな、ミユキ。それだけ保証されれば、上等なもんさ。食料だって、最悪、自前の物があるからな。何も無かったら、これを食おうか」
「……ふん。だったら、食料は必要無いって言っておけよ。ここでは貴重なんだ。無駄に浪費させる必要は無い」
「ほーう?」
「んだよ?」
「いや、お前が優しくなる相手も居るんだな、と思って」
「いつか殺すからな? 借りを返したら、真っ先に殺してやるからな?」
「お前は弱いから、まだ無理だよ」
「クソッタレ」
薄汚れた路地を、不機嫌なミユキと共に歩いていく。
周囲の雑踏は、自然と俺たちを避け始めて、何一つ苦労することなく道を歩くことが出来た。恐らく、俺とミユキという二人組と関わり合いになりたくないのだろう。あのパフォーマンスの成果かなのか、それとも、ミユキが放つ殺気交じりの威圧感が理由なのか、あるいはそのどちらもなのか。
まぁ、関わらなければ積極的に相手にする理由も無い。
「こっちだ」
やがて、段々とその雑踏を生み出すスラム街の住人達すらも見えなくなってきた。
ミユキがどんどんと足を進める度に、人気が少なくなっているのである。
そして、人気が少なくなってくるのと対照的に、見られている感触が幾つか増えていく。
《ミサキ。機械的なパッシブセンサーを感知。対処しますか?》
『放っておけ。ミユキが隣にいる限り、大丈夫だろ、多分』
かつかつ、こつこつ。
いつの間にか会話は無くなり、二人分の足音だけが路地に響いていた。
灰色の空気を意にもせず、どんどんとミユキは先に進む。こちらをまったく気遣わない歩調が気分良い。その隣で、平然と付いていくとミユキが不愉快そうに舌打ちしたが、それもまた、愉快だ。
「ここだよ、ちょっと待ってろ」
「ほほう」
十分ぐらい歩き続けた先にあったのは、白亜のドームだった。
閉ざされた薄暗い空を、さらに遮るように、白亜のドームが、街の中心にどぉん、と建てられていたのである。
規模は結構大きい。東京ドーム何個分……とまではいかないが、そこそこ大きい学校の一つや二つぐらい、校庭も含めてすっぱりと入りそうなぐらいには大きかった。
『認証しました。お帰りなさい、A67番』
「うっせぇ。後、ゲストも居る」
『…………認証しました。お帰りなさい、ゲスト』
「これだから、ポンコツは。無駄にセキュリティだけは高い癖に、言語機能がクソなんだ」
ドームの扉の前で、ミユキがぶつぶつ文句を言うと、カシュン、と炭酸飲料の気が抜けたみたいな音と共に扉が横にスライドする。
「アタシに出来るだけ近づいて、着いて来い。あんまり離れると撃たれるからな。もっとも、アンタには無用の心配――――近い! 腕を組むな!」
「おいおい、近くに来いと言っておいて、そりゃないだろ?」
「隙あらば体を触ってくるんじゃねぇよ、この変態! …………ったく、もういい」
渋々受け入れてくれたミユキと腕を組みつつ、俺はドームの中に入っていく。
入った先は薄暗い通路になっており、そこを一分ばかり歩いた。途中で、何度か洗浄のためのエアーシャワーがかけられたところを見ると、結構、衛生面に気を使っている場所らしい。
「ちょっと眩しいから、驚くなよ?」
「ん、おお!」
「驚くなって言った傍から驚くよな、アンタは」
そして、通路を抜けた先にあったのは、光だった。
閉ざされた空ではあり得ないほどの光量が降り注ぎ、そして、恐らく偽物の映像であろうが、ドームの天井には青空が投影されていた。
けれど、俺が何よりも驚いたのは、そこの空気がとても綺麗で――――目を疑うほど、鮮やかな緑に溢れていたからだった。
「つーか、アンタも驚くんだな?」
「そりゃあ、驚くさ、誰だって。驚くことがあれば」
「へぇ」
ミユキは俺のリアクションが小気味よかったのか、にやにやと意地の悪い笑みを浮かべて、俺に告げる。
「じゃあ、改めまして。アタシの故郷に――仮初の楽園へようこそ、クソッタレの異界渡り」
その言葉には不思議と、刺々しい殺意を感じなかった。




