第5話 黒竜よ、眠れ 3
この世界は、二つの勢力によって分かたれている。
即ち、光と闇の勢力によって。
光の勢力は文字通り、光――陽が空に出ている時に加護を得る者たちだ。
陽の下に居れば、力はどんどん湧き上がって疲れ知らずになるし、また、傷ついた場合も、余程の重傷でなければすぐに癒えてしまう。また、陽の下で生きていれば、ほとんどの者は病気にもならず、健康に毎日を過ごすことが可能になる。
そういう格別の加護を受けているのが、光の勢力――すなわち、この世界の人類だ。
逆に、闇の勢力の者は、余程の力が無ければ陽の下を歩くことは叶わない。
陽光は闇を嫌い、闇を焼く。もしも、力の弱い存在が陽の下に投げ出されれば、瞬く間に焼かれて灰になってしまうだろう。なので、基本的に闇の勢力の者たちは、夜の間に生まれて、日の出と共に消え去ってしまう存在だ。ただ、多少の知性がある者は光ある時間をやり過ごすため、洞窟の穴や地底に住まいを築いたりもするが、それもほんの一部。
それ故に、闇の勢力に属する者の大半は陽の下で生きている者たちを憎む。憎悪する。殺意を滾らせる。一晩で朽ちる己の肉体など省みず、多くを殺害しようと限界を超えた力を望む。そして、魔の力を得るのだ。
こういう理不尽な逆境に抗い、光を憎むのが闇の勢力――すなわち、魔物と呼ばれる存在だ。
そして、光と闇の勢力にはそれぞれ、その全てを統一する王が存在する。
遍く降り注ぐ陽光に加護を与え、多くの民を守護する太陽王――『光主』。
幾度消し去られようが諦めず、眷属を産み続ける母なる女王――『常闇』。
二つの勢力に、二人の王。
この世界は、光と闇が食らい合い、削り合い、拮抗することによってバランスを保っている。そういう仕組みの上で、成り立っているのだ。
それが、[に:11番]世界。
光と闇が織りなす、幻想世界である。
●●●
「いよっし、野郎ども! 今日は俺の奢りだぁ! じゃんじゃん、やってくれ!!」
『ヒャッハー! さっすが、光使様ぁ! 話がわっかるぅ!!』
粗野な歓声を我が身に浴びながら、俺は掲げた黄金色のエールの一気に飲み干す。
本来の肉体であればアウトであるが、この肉体は戦闘用機械天使の物。よって、アルコールどころか致死毒を一気飲みしてもまるで痛痒を感じない。つまり、どれだけ飲もうが俺は酔うことが出来ないのだ。
しかし、だからと言ってこの一杯が無駄になるわけじゃない。
酒は酔うためだけの物じゃない。共に杯を傾けることによって、他者との共感を得て、口を滑らせ易くする効果がある。
『だから、俺がこうやって奢っているのも必要経費なんだよ、オウル』
《本当ですか? 一度、こういうのやってみたかったんだよなぁ、とか思っていませんか?》
『ははは、もちろん、そういうのも込みに決まっているじゃないか!』
《後で怒られても知りませんからね、ミサキ》
オウルからの警告が脳内に響くが、今回は俺が正しい。
情報を得るために必要なのは、書物か人だ。残念ながら、この街の図書館では黒竜についてろくな情報を得られなかったため、今度は聞き込みで情報を集めようとしているというわけである。つまり、好き好んで散財しているのも確かだが、必要経費というのも確かだ。
ちなみに、現在は昼食時。場所は俺が寝泊まりしている上等な宿では無く、外様向け――『冒険者』向けの宿と大衆食堂を合わせた店である。
「よう、やっているか? おいおい、遠慮は無用だ、もっと頼め! ほら、このメニューの端から端までお願いしまぁーす! ああ、支払いは心配せず、この俺が全部現金一括で払おう!」
俺は食堂内を歩き回りながら、冒険者共の背中を叩き、時に共に肉を食らい、酒を飲む。
今朝の失敗を糧にして、食事時に限り、口元を露出して目元を隠すタイプの仮面に変更しているので、食事に支障はない。時々、野郎どもから『色っぽいですね、大将!』などと言われたりするが、そういう時は「ばっかテメェ、不敬だぞぉ?」と笑いながら酒瓶を突っ込めばそれでオッケーだ。とりあえず、美味い酒と美味い肴をぶち込んで置けば、この手の無頼衆は満足するから問題ない。
「いやあ、まさかこんなに話の分かる光使様がいらっしゃるとは! 俺達ぁ、光使様からこんな労いを受けたのは初めてですぜ?」
「まー、所詮は俺も外様で、この立場も一時的な物だからなぁ。だから、正式な光使に似たようなことをすると首が物理的に飛ぶから気を付けろよ?」
「はっはっは、弁えてまさぁ、それくらい! なぁ、お前ら!」
「もちろん! 身の程はきちんと弁えてますって!」
「ぶっちゃけ、有り得なさすぎる状況で、最初は現実を疑ったっすからね!」
「こんなこともあるもんだなぁ」
この世界における冒険者とは、定職を持たないろくでなしか、あるいは頭がおかしい自由人という意味合いが近しい。
何せ、この世界には陽光が降り注ぐ場所ならば、光主の加護による守護が行き届いている。人間を襲う魔物の存在も、光主によって与えられた篝火で囲まれた街が存在するのならば、夜でも安心だ。篝火によって守護された街の中に、魔物は入ってくることが出来ない。
そして、冒険者とはそんな守護の外側に好んで出向き、リスクと引き換えにして多大な見返りを得ようとする馬鹿野郎たちの総称である。
つまり、俺の大好物だ。
「さぁさぁ、馬鹿野郎ども! 酒の肴に、テメェらの自慢話を聞かせてくれ! 俺を楽しませてくれるなら、荒唐無稽なホラ話でも構いやしねぇ! 存分に笑ってやるから、語ってみろ! テメェらの冒険譚って奴をさ!」
『おおおっ!!』
酒ですっかり出来上がった冒険者共は、次々と俺の下にやってきて自慢の冒険譚を語り出す。
曰く、洞窟の奥に潜む悪魔を騙して財宝を奪った。
曰く、未開の山奥にある聖剣を抜こうとして、へし折ってしまった。
曰く、魔物軍勢に追いかけられながらも、奴らの秘法を盗み取った。
それらはいかにもなホラ話から、手に汗握る真に迫った冒険譚まで様々だった。だが、そのそれもが俺の心を震わせて、まだ見ぬこの世界の冒険への渇望を高めてくれる。
こういう話を聞けただけでも、俺の中ではもう収支はプラスに傾いていた。
やー、こういう冒険譚を聞きながら、酒と飯を食らって馬鹿みたいに騒ぐ。うん、これが醍醐味だよな、ファンタジックな世界の。
《…………ミサキ》
『あー、はいはい、もちろん忘れてないよ。これからさ、これから』
ただ、そういう楽しみも仕事をきちんとこなすという前提があってこそ、だ。
俺は上手く話しの流れをコントロールして、話題を少しずつ黒竜へと近づけていく。違和感も、不自然でなく、そうなるべくしてそうなった、という風に。
「ふふむ、なるほどなぁ。ああ、竜と言えばだな、この街から少し離れた森の奥に黒竜が住んでいるという噂は知らないか? どうにも、俺の仕事に関係しているらしくてな」
「森の奥の、黒竜? おい、お前知っているか?」
「いんにゃ? 竜なんて大物が近くに住んでたら、普通は光臨兵士が動くだろうし」
「竜、黒い竜? んー、そう言えば、あれだな。前にあった、あいつ。ほら、黒い大剣を背負った、気の強い変な女。そいつがそういうことを言ってなかったか?」
「ああ、あの『黒剣背負い』か」
ほほう、『黒剣背負い』ね。
いいねぇ、いいねぇ、日ごろの行いが良いと、こういう時に面白そうな話題にヒットするから素敵だ。これからも日々善行に励むとしよう。
「へぇ、『黒剣背負い』か。なんだか強そうな名前だが、どんな奴なんだい?」
「強そう? ま、まぁ、強いと言えば、強いというか」
「比較的強い冒険者ではあるんだけどなぁ」
「ちょっとな?」
「ああ、頭の出来がちょっとなー」
冒険者たちは互いに視線を合わせると、言いづらそうに言葉を濁した。
お前らにそんな顔させるほどの変人なのかよ、そいつは。まったく、余計に面白くなってきたようだぜ。
「なるほど、つまり馬鹿なんだな?」
「馬鹿、だな。戦闘の時にゃ、ちょっとはマシなおつむになるんだがね? 計画性が皆無で、時々空腹で行き倒れするんだよな、あの馬鹿」
「あれで怪力じゃなかったら、絶対ひどい目に遭っているぜ? まぁ、あいつに手を出そうとした奴は、出した手を握り砕かれたらしいが」
それはとんでもなく馬鹿で、とんでもないお転婆だな。
「ほうほう。それで? その怪力馬鹿娘と、黒竜ってのはどういう関係なんだ?」
「あー、俺たちも詳しく聞いたわけじゃねーんですがね? どうにも、三百年前に祖先が黒竜とした決闘の約束を、果たしに行くんだとか、何とか」
「決闘?」
「俺らも詳しく知らねーです。前に一度、魔物相手に共闘した時にちょいとばかり聞いただけ何で。すんません」
「いやいや、とても参考になったよ、ありがとうな、皆」
俺は話を聞き終えると、店員に追加のオーダーを出して、再び酒飲み話に戻る。
『黒剣背負い』に、黒竜との決闘、ね。
どうやら、調べるに値する面白いネタが出て来たようだ。