第46話 異界渡りの休暇 11
巨大な、雲すら貫くような巨大な樹木が、そこにはあった。
しかし、その樹木に命の鼓動は感じられない。枝の先には葉も花も存在せず、ただ、寒々しい素の枝木があるのみ。
さながら、その巨大な樹木は、磔にされた白骨死体のような物だった。
既に命を終えたというのに、倒れることを許されず――――樹木の周囲に建てられた、白亜の建物から伸びる、無数の黒い縄によって縛られている。
それは、いわゆる『ゲート』と呼ばれる物だった。
正確に言うのであれば、異世界間の転移を安定させるためのアンテナだ。かつて、存在した超越者が遺した残滓。それを利用し、数多の異世界との接続を安定させるために使われている。
そして、『ゲート』の周囲に存在する、工場にも似た造りの白亜の建物群こそ、異界渡りの仕事をサポートし、移民問題を解決するために造られた施設だった。
この世界の異界渡りの多くは、鹵獲した機械天使や機械眷属の肉体を使って転移するので、必然と、彼らをサポートするためには工業用の施設や、実験施設を多く用意する必要があった。そのため、この異界渡りのために用意された『港』は、巨大な樹木を除けば、普通の工業団地や、研究施設とそう変わりはない。
それ故に、『港』で働く職員たちもまた、ツナギや白衣などが仕事着となっており、スーツを着ている人間の方が少ないくらいである。
「よぉし、今日も気合い入れて働くかー」
なので、『港』で働く職員の一人である青年もまた、ごく普通の白衣姿だった。
青年の仕事は工業系では無く、科学的な実験や、魔術的な実験を補佐するものだ。もっとも、青年自身は特別な技能を持っておらず、やっていることと言えば、専門家の手伝いというか、雑用程度。
けれども、青年は己の仕事に不満など持っていない。
むしろ、異界渡りという、残された人類を救うために数多の異世界を渡る彼らをサポートする仕事、その一端に関われることを誇らしく思っていた。
かつて、世界の空が割れて、超越者たちが君臨したその時、青年はまだ少年だった。地方の高校に通う、ごく普通の男子高校生だった。何の力もなく、ただ、襲いかかってくる機械眷属や、機械天使、あるいはもっと悍ましい怪物から逃げ惑うことしかできない、無力な存在だった。
特別な力に覚醒することも無く。
特別な誰かに、才能を見込まれることも無く。
本来であれば、ゴミのように蹂躙されて、為す術もなく命を奪われるだけのエキストラでしかなかったのである。
『なんとか、間に合ったか』
機械眷属たちの爪牙に捕らわれる寸前、一人の英雄が助けに入らなければ。
『悪い、遅れた』
その英雄はまるで、コンビニの待ち合わせにでも遅れたような気軽さで言葉を告げると、次の瞬間、襲いかかって来た機械眷属の群れを悉く、切り裂いて見せた。
『だが、ここからはもう、誰も失わせない。失わせる前に、俺が、こいつらを殺す』
英雄はボロボロの学生服を纏い、真っ黒な刀身の刀をその手に携えていた。
当時の少年に、英雄の戦いは認識できなかった。ただ、英雄が煙の如く姿を消したかと思うと、金属が切断される音が幾つも響いて、数分後には、辺りの機械眷属は全て切り伏せられて、機能を停止させられていたのである。
少年は何が起きたのか理解できず、ただ、唖然としていたが……それでも、今、この瞬間、言うべきことだけは知っていた。
助けてくれて、ありがとう。
同年代の、けれど、自分よりも圧倒的な力を持つ英雄へ、何故か少年は、とても自然な言葉でそう告げることが出来た。
そのことに、英雄も驚いたのか、少しばかり恥ずかしそうに視線を彷徨わせた後に、頬を掻きながら言葉を返す。
『こちらこそ、生きていてくれて、ありがとう』
少年が、英雄の名前を知ったのは、全ての戦いが終わった後だった。
戦火を乗り越えて、少年が青年に成長した頃、ようやく、あの時の英雄の名前を知ったのである。
見崎神奈。
大戦を終らせた三大英雄の一人。
『形無き死神』として、その名を馳せた戦場のお伽噺、その主役。
――――結局のところ、青年がこうして日々の労働が苦にならない理由は、自分の行動が少しでも、彼の英雄の手助けになっているという実感があるからだ。
大戦を終えてなお、英雄譚を終らせず。
かつての宿敵の肉体を駆りながらも、数多の異世界で多くの偉業を為し、さらには難民である我らの移民先すらどんどんと確保していく、終わらぬ英雄。
青年は、彼の手助けをするために、他の大多数と同じように眠ることを良しとせず、こうして働いているのだった。
「おい、マジかよ、あの英雄がこのラボに来ているらしいぜ!?」
「え、うそっ! あの見崎神奈が? なんで!?」
「博士への報告じゃね? というか、ガチで久しぶりに顔を見たぜ、半年ぶりぐらいに」
「ほとんどホームに帰らず、色んな世界を回っているらしいからねぇ」
そんな日々の中、青年はふと同僚たちの会話を耳にする。
なんでも、忙しく異世界を回っている英雄が、休暇でホームに戻ってきているらしいのだ。しかも、自分の仕事場であるラボにやってきているという。
「……今は休憩時間だし、挨拶ぐらい、いいよな?」
青年は胸の鼓動を抑えながら、小走りで、英雄が居ると思わしき研究室の一室へと向かっていた。そりゃあもう、傍から見れば興奮していることが丸わかりの落ち着きだった。
けれど、青年の心が逸るのも無理はない。
青年はあの時、英雄に助けられた時以来、彼と会話を交わしたことが無かったのだから。
運が悪かったのもある。畏れ多いという気持ちがあったのもある。けれど、それよりも青年はがっかりしたくなかったのだ。
英雄も一人の人間だ。良い面もあれば、悪い面もある。そのことは良く知っているが、青年にとって見崎神奈は憧れの英雄である。身勝手なことではあるが、出来る限り、見崎神奈のかっこ悪いところは見たくなかったのだ。
しかし、今は違う。
青年は大人になった。年齢的な意味では無く、精神的な意味で。多くの仕事をこなし、数多の変人、奇人と交流していく度に精神強度が上がったので、多少の事では動じない精神を手に入れたのである。
だからきっと、英雄が、見崎神奈がどんな人間であったとしても、そのあるがままを受け入れられる。
そう心に決めて、青年は英雄が居ると思わしき研究室のドアを開けた。
《わかりますか、ミサキ。私は決して、貴方が憎くてこんなことを言っているわけではありません。むしろ、愛おしいと思うからこそ、このような忠言をしているのです》
「はい」
《確かに、彼女たちとの縁は得難いものです。彼女たちの出身世界は、未だ、我々が観測出来ていない場所。間違いなく、価値のある交流であったと言えるでしょう》
「ふふん」
《ですが、私は貴方の相棒として認めたくありません。貴方が傷つくことが前提の利益など、到底認められません。分かりますか? その色ぼけて腐った脳みそでも、私の言葉を理解できますか?》
「…………はい」
そこでは、見崎神奈が『フクロウのキャラクターが写っているディスプレイ』相手に、ガチ凹みしながら頭を下げている姿があった。
青年にとって憧れの英雄は、床に正座という、本気の謝罪スタイルだった。
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《色々言いましたが、要するに、私は貴方の事が心配なのです、ミサキ。どうか、理解してください。いつか、貴方と離れる時が来るとしても、それはもっと遠い日のことであってほしいのです》
俺は現在、オウルからのガチ説教を受けていた。
オウルのガチ説教は本当に凄い。何せ、鋭い毒舌の後に、俺の身を案じる言葉を何度も、何度も繰り返すのだ。
その言葉を聞く度に、俺は己の軽挙を反省し、後悔し、それでも、もう一度同じ瞬間が来てしまったのならば、同じことをやらかすのだろうな、と治らない己の性分に自己嫌悪するのだった。
《でも、これだけ言っても貴方は結局、誰かのために己の身を投げ出してしまう英雄体質なのです。そういう馬鹿で、病気なのです。まったく、実体があれば殴ってでもミサキを止めるのですが》
「いやぁ、言葉だけでも俺は大分心にダメージが来ているから、充分じゃないかな?」
《ダメージを受けている癖に、なおも行動を止めないのだから質が悪い…………ふむ》
「あ、あの、オウル?」
言葉の途中で、オウルは何かを思いついたように黙り込む。
そして、五秒後、一つの問いを投げかけて来た。
《ミサキ。前に、私の願いを何でも叶えると言いましたよね?》
「…………言ったねぇ」
《その約束は今でも有効でしょうか》
「有効、だねぇ」
《なるほど。では、今こそ、その契約を果たしてもらいましょう》
オウルは、淡々としているはずの機械音声を若干、上擦らせながら俺に命じる。
《どこかの世界で、私の端末を調達してください。電脳タイプのアンドロイドで、美少女型であればなおよろしいです》
「それはまぁ、いいけどさ、その、つまり?」
《言っても分からない馬鹿は、直接殴ってでも止めるということです》
「わぁ、愛されているなぁ、俺」
《もちろん、愛していますよ、ミサキ》
素直に愛していると言われると、やはり気恥ずかしい物があるが、オウルからの提案自体は俺も大歓迎であった。優秀なサポートAIのオウルであるが、折角、共に色んな世界を旅するのだから、一緒に美味しい食べ物に感動したり、色んな場所を共に歩きたかったのである。
最近はオウルへの性能向上のために、色んな部品を貢ぎ過ぎて、オウル自身からちょっと引かれていたところだったので、この提案は有難い。これで、安心してオウルへの貢物を全力で選べるというものだ。
と、ここで安堵したからだろうか、俺はようやく周囲の気配が一つ増えていたことに気付く。
敵意は無い。
見ると、よれよれの白衣を居た、寝癖の付いた職員の人が呆然とこちらを眺めていた。
「えっと、見ていました?」
「…………その、はい」
「お、おおおおう」
俺は顔を両手で覆い、床を転げまわる。
恥ずかしい、物凄く恥ずかしい。真面目にお仕事していた職員さんの前で、物凄く情けない説教をされていた俺って、とても恥ずかしい。
《ミサキ。そこに居てはお仕事の邪魔です、続きは博士の私室で》
「うーい。というか、ちゃんと起きている博士?」
《寝ていても、気にしなければいいのでは?》
「ああ、そうだな」
俺はオウルと会話しながら、そさくさとその場を立ち去ろうとして…………そこで、ふと気づく。職員の人の、この茫然とした顔。前にもどこかで見たような?
「…………あ、あの時の男子高校生! ここで働いていたのか!?」
足を止めて、思考を重ねること三秒。常日頃から、言い訳やらその場しのぎの奇策を考えている所為か、割とすぐに見覚えの正体に見当がついた。
「え、あ、その、覚えて、いるので?」
「そりゃそうだよ、当たり前だ。あの時、てっきりあそこの高校に居た学生は全員、機械眷属に殺されていたと思っていたんだよ、俺は。でも、そうじゃなかった。君が率先して囮として、機械眷属の群れを誘導していたから、ほとんどの学生は無事に逃げることが出来ていたんだ。だから、何とか俺が間に合えた」
思い出す、あの時の焦燥を。
思い出す、あの時の安堵を。
思い出す――――あの時、何の力もないのにたった一人で多くを助けようとしていた、かつての男子高校生の雄姿を。感服を。
「あの時、俺には君が英雄に見えたよ。改めて、ありがとう。とても、格好良かったぜ」
「…………う、あ」
俺があの時の気持ちを思い出しながら言葉を告げると、職員さんは何故か喉が詰まったような声を出した後、わなわなと口を動かした。
そして、一度大きく深呼吸すると、職員さんは口元に大人の笑みを浮かべた。
「どういたしまして。我らが英雄、見崎神奈」
ちょっと恥ずかしそうにしながらも、恭しく礼をする職員さん。
その姿は、かつての時にも負けず劣らず、格好良く見えた。




