第44話 異界渡りの休暇 9
大戦中、魔導銃器を手に携えた新兵の子供たちに訊ねられたことがある。
「『英雄ミサキ。貴方は、戦うのが怖くないのですか?』」
「さて、な」
当時、翻訳魔術なんて便利な物は人類には存在していなかった。なので、俺は中東アジアの国からやってきて、共に戦うことになった少年兵に対して、曖昧な答えばかりを返していた。
そう、言語の壁が思いの他厚く、ネイティブで母国語を話されるのか、さっぱりだったのである。なので、何時も曖昧で不確かな事ばかり答えていたら、何かミステリアスな英雄として、敬遠されるようになっていたのだ。
ただ、中にはこの俺がさっぱり己の母国語を理解できないと察する聡い少年兵も居て、態々翻訳機械を介して、文章で俺に物事を訊ねてくる奴も居た。
この質問をしたのも、その内の一人である。
「怖いと言えば怖いし、怖くないと言えば、怖くない」
「『英雄ミサキ。翻訳ソフトが混乱するので、はっきりと答えてください』」
「……怖くないぞ」
「『それは、何故?』」
「とっくの昔に、心が砕けたからだ。今の俺は、人類の敵を倒すだけの機械のような物だ。機械は恐怖を感じない、そうだろ?」
「『機械眷属たちは、貴方の名に恐怖していますが?』」
「感情ある機械とか面倒な存在め。イラっとしたから、何時もよりたくさん殺してやる」
「『心が砕けたのでは?』」
「心は砕けても意外と機能する物だ。だから、まぁ、安心しろ。お前が誰かを殺すことに恐怖を感じなくなっても、人間でなくなるわけじゃない。逆に言えば、戦うのが怖いのはまだ、真っ当な人間の証拠だ、誇りに思え」
「『英雄ミサキ……』」
「それでも、戦うことが怖く、銃を持つのが辛い時は、俺を頼れ。大丈夫だ、俺は強いから、お前らを殺そうとする奴らを、皆殺しにしてやろう」
俺は少年兵の頭を撫でようとして、そういえば文化の違いで『頭を撫でるのはアレ』みたいなことを言っていたなぁ、と思い出して、代わりに震える手を握ってやった。
少年兵は、どこか擽ったそうな笑みを浮かべて笑っていた。
守り切れないことも多い、本当にクソッタレな戦場だったけれど、あの少年兵たちはきちんと最後まで守り抜き、大戦後も生存していることを喜んだものである。
そんな、懐かしくも誇らしい思い出を、何故か今、俺は思い出していた。
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「だいじょうぶー、こわくなーい、こわくなーい」
「いや、違うから、これ。武者震いだから。ビビって無いから」
「どうていさんですー?」
「はははは、一体、何を、今更!? 散々、あんなに格好つけて言ってた奴が、童貞なんて、そんな――」
「じゃあ、ぜんめんてきに、リードをー」
「すみません、童貞です、ごめんなさい。今まで格好つけていました」
「いいのですー、ボクもはじめてだからー。いっしょに、きもちよくなりましょー?」
「思わぬ優しさで泣きそうだよ、ちくしょう」
大戦を乗り越えて、砕けた心を拾い直し、無事に異界渡りとして名声を得たこの俺、見崎神奈であるが、現在、泣きそうになりながら推定、年下の女の子に抱き締められて言います。
そう、裸ワイシャツで。
「ないても、いいのですよー? えへへー」
「ここで泣いたら一生、心に折り目が付くから泣かない」
「いいこ、いいこー♪」
「子供扱いされて、悔しがればいいのか、興奮すればいいのか、わっかんねぇよ、もう」
ツクモは何故か、童貞バレした瞬間から物凄く俺を甘やかそうとしてくるから謎だ。
本来であれば、賭けの対象となっている己の純潔に対して、もうちょっとこう、悩む姿勢があるはずなのに。何故だろうか? 何故俺は、ツクモにベッドの上で押し倒されて、はむはむと首筋を甘噛みされているのだろうか?
「はむ、はむ、ちゅっ……」
「つ、ツクモ……フシが来るまで、ちょっと待って……というか、あの、大丈夫? 無理していない? 割と積極的な感じだけれど、実は心で泣いていない?」
「んちゅ……じつはー、さきほどまでは、ちょっときんちょー、してましたがー。おにいさんが、どうていだとわかってー、こうふんしてきましたー」
「何で!?」
「あっとうてきだったおにいさんが、いまは、ボクのしたで、もがくしかできない……ふ、ふふふふっ、せいふくしているきぶんですー」
「く、くそう、ま、負けるか――うひゃぁ!?」
「ここ、よわいのですねー?」
とろんとした表情で、俺の体のあらゆるところを触り、舐めたり甘噛みしたりしてくるツクモ。次第と、その肌は薄ら赤みを帯びて行き、吐息も熱く、激しい物へと変わっていく。
ちなみに俺は、されるがままではないが、こう、ね? 背中とかを撫でた時、「ひゃん」とか可愛い声を出されると、どうしてもびくりと動きが止まってしまうので、もう駄目だ。その隙に、「かわいいですー、そのはんのー」と蹂躙されてしまうのだ。
な、なんだ、この絶望的な戦いは。童貞というバッドステータスはここまで俺の行動を阻害してしまうものなのか。相手だって処女のはずなのに、おのれ。
負けて、負けてなるものか。
俺は今まで、数多くの強敵をこの手で屠ってきたのだ。
大戦中、誰しも恐怖に怯え、誰かに縋り、友情と愛情で心を奮い立たせている頃、俺は砕けた心で立ち向かい続けたのだ。
それは時に、周りからの隔絶を呼んだが、それでも、俺が英雄であることには変わりは無かった。だから俺は、こんなところで負けるわけが…………あ、でも、あれだよな。戦いばかりに没頭して、人間関係を疎かにしてきたから、こういう経験がゴミの如く貧弱なんじゃね?
「たのしい、たのしいですー、つよくて、やさしいおにいさんを、くちゅくちゅにして、ぺろぺろして、はむはむするの、とてもたのしい」
「ま、待て、待とう。ワイシャツがもう、ほとんどはだけて、色々見えてるって!」
「これから、ぜんぶ、みせあうのに、なにをいまさらー」
「駄目だ、勝てねぇ! ヘタレな俺では勝てねぇ! こんなことなら冷蔵庫の精力剤を飲んでおくんだった!」
「あれはー、おにいさんがつかれたらー、くちうつしでー」
「駄目だ、蹂躙される未来しか見えない!」
俺は残った理性で精一杯思考した。
いっそのこと、性欲の赴くままに動けばいいのかもしれないが、女の子相手に乱暴な真似や、痛くなるような真似はしたくないので、どうしても心で一歩引いてしまっている。逆に、ツクモは俺が下がった分以上の意気で俺に触れてきているので、この差が明確に結果となって出てしまっているのだ。
姉妹の内、妹だけでもこの有様では、姉の方がやってきたら、どんな…………って、おい。
「あの、ツクモ?」
「なーにー? おにいさん」
「フシ、遅くないか?」
「…………あー」
「割とガチで心配だから、様子を見て来てくれ」
「はーい。んもう、ばかあねー」
俺は一応、思考を日常から戦場へと切り替えた。
素早くアイテムボックスを発動させる準備を整えて、周囲の気配を探る……特に、俺と美少女姉妹以外の気配は感じられない。
だが、気配を消すことが特別上手い存在が居るかもしれないので、警戒は解かず、そのまま臨戦態勢へ。何より、この俺がそういうタイプであるので、同類の挙動は予想がつく。
もしも、俺に感知させない領域の暗殺者の類であれば、この中でもまず、俺を排除するはず。俺よりも先に孤立したフシを排除しても、この通り、違和感を覚えた俺が存在を感知するからだ。
だから、フシに何かしらのトラブルが起きた可能性は低いのだが、それでも、やはり、警戒は怠らずに――
「おにいさーん、ばかあねが、シャワールームでちょっとないてたー」
「泣いてない! 泣いてないわ! ちょっとシャワーが目に入っただけよ!」
「うずくまってないてたじゃん、もー」
無事な二人の姿を確認して、ようやく俺はスイッチを日常へと戻した。
何だよ、もう。ガチで心配したぞ、まったく…………はぁ、無事でよかった。
「あの、フシ? 泣くほど嫌なら、もうやめようぜ」
「泣いてないって言ってるじゃん!」
「反論しながら泣いてやがる、こいつ」
ツクモに手を繋がれて戻って来たフシは、バスローブ姿であるが、その髪の毛はまだ乾き切っておらず、冷めた温水で濡れている。
このシーンだけでも、大分俺の心が痛み、性欲が減退して正気に戻ってしまう。俺は出来る限り、合意の上で、ラブラブしながらエロいことをやりたいのだ。これではいけない。違う意味で俺の心に折り目が付いてしまう。
「大体、賭けの内容だって……ああ、そうか、そうだったな、うん」
と、ここで一度思考を切り替えて冷静になったのが良かったのか、俺の頭はこの修羅場を収めるいい口実を思いついた。
「フシ、ツクモ。いいか、良く聞け。そもそも、あの戦いではお前らの処女は賭けの対象になっていない」
「な、なによ、そんなよくわからないことを――」
「最初の戦いで、俺はフシに勝った。その後、賭け金を吊り上げた状態で、俺はお前ら二人に負けた。降参した。そして、全力を出した状態で戦うと約束したわけだが、その前に、俺たちは賭けの対象を設定してなかった」
「え、あ?」
「むむー、そういうことですかー」
フシはきょとんと首を傾げているが、ツクモの方はこちらの言いたいことを理解しているようだ。そう、合わせて二回戦ったという計算では無く、三回戦ったということにすればいい。そして、賭けの対象を明確に決めたのは二回目まで。俺が降参した後の、三回目の戦いは明確に賭けの対象を決めていない。
「フシ。君は、いや、俺たちは最後の戦いで賭けの対象を明確にしていなかった。そもそも、一度賭けがリセットされることを認識していなかった。これは、両方の落ち度だ。けれど、お前は最後の戦いで『自分の処女を賭ける』とは言っていない。だからな? 君が有言実行の女だというのならば、言葉にしていない約束は守らなくていいんだ」
「でも、私は、それじゃあ」
涙で潤んだ瞳で、こちらを見上げてくるフシが何かを言う前に、俺は言葉を続けた。
「もちろん、君がそれで納得しない気高い人であることも、こちらは察している。だから、こういうのはどうかな? お互いをもっと良く知るまで、この件は保留ということで」
「保留に?」
「そう、保留。もしも、君が俺としばらくの間交流して、『嫌だな』と思えばなかったことにすればいい。『身を委ねてもいいな』と思ってくれたのなら、その時、改めて言ってくれればいい。その時は喜んでお願いするから」
「…………そんなの、貴方が不利過ぎる約束よ。こんなの、フェアじゃないわ」
「いやいや、そうでもなくてねぇ」
しょんぼりとしたフシを慰めるように、俺はあえて装うことなく、情けない本音の苦笑を目の前に晒してやった。
「散々、格好付けたくせにさ、実は俺、童貞なんだ。だから、こう、女の子の扱いに長けてなくて、情けないヘタレ状態だったから、心の準備をする時間を――」
「え! お兄さんって、童貞だったの!?」
「え? なんで、そんなに急に活き活きした顔になったの? 姉妹揃って、露骨に好感度が上がるの? 普通、逆じゃない?」
童貞であることが分かって、好感度が上がる美少女姉妹とか、よくわからないぞ、こいつら。別に恋愛を経てこういう行為をしたじゃないのだから、むしろ、経験不足はマイナス評価だと思うのだが。
「ふ、ふふふ、わかったわ、お兄さん! つまり、本番行為は後まで取っておいて、今日はそれ抜きのエロエロをやろうということね! この私に任せておきなさい!」
「なんでこの子、さっきまで泣いてたくせに、ここまで調子に乗れるの?」
「ばかあねー、ですからー」
「そして、ツクモはどうして、部屋の棚から拘束具を取り出しているの? 使わねーよ? 拘束する趣味も、される趣味もないよ?」
やばい、一旦素面になった所為か、羞恥心がぶり返した来たぞ。
でも、逃げられねぇ。ここで逃げたら、本当の意味でヘタレ野郎になるから、逃げられねぇよ。
「フシ。おにいさんはー、じょうがふかいあいてなのでー」
「なるほど。記憶に残るような情事をすると、どうしても相手に情を持ってしまうタイプの人なのね! よぉし、今後の仕事のために、たくさんエッチなことをするわよ!」
「あいあいー」
「そういう打算的なことは、もうちょっと後に言ってくれないかな? もちろん、そういう抜けも目の無いところも良いと思うけど、ちょっと俺が馬鹿みたいじゃないか」
俺はちょっと拗ねた風に言葉を吐いて、ベッドの上に座る。
もう、流れに身を任せて、本能のままに動くしかないな、これは。その上で、本番行為は無しか。何なの、この制限戦闘? 初心者にはハードル高くない?
「ふふふっ、お兄さんは元から馬鹿でしょう?」
「とっても、おばかですー」
「「だから、今日はもっと、馬鹿になりましょう?」」
蕩けた表情の美少女姉妹に抱き付かれて、そのまま、俺は押し倒された。
二人の微妙に違う、けれど、似通った甘い匂いが俺の脳髄を痺れさせて。
柔らかで、暖かな水音の連続が、自然と俺の頭に一つの理解を与えていた。
今日は多分、家に帰れないなぁ、と。




