第4話 黒竜よ、眠れ 2
微かな日差しで目が覚めた。
ゆらゆらと、微睡から意識が浮上すると、ベッドのわきに飾られた花の香りが鼻腔をくすぐる。香水などが苦手な俺ではあるが、これくらいのほのかなで爽快な香りであれば大歓迎だ。
「ん、くああ……」
欠伸をした後は、ゆったりとした動きで掛布団を取り払う。
ふかふかのベッドの上で、二度ほど、猫のように体を伸ばし、そこでようやく意識がきちんと覚醒して来た。
戦闘用の肉体であるので、その気になれば一瞬で眠気を消し去ることも可能ではあるが、やはり、それはやりたくない。この二度寝の誘惑に揺蕩いながらも、のそのそと自分の意思で起き上がるのが良いのだ。こういう微睡に後ろ髪を引かれるからこそ、休日の二度寝は至高の贅沢へと昇華するのである。
「いよし、今日も頑張りますかぁ」
意識が覚醒したのならば、手早く身支度だ。
下着姿で寝ていたので、備え付けのクローゼットから衣類を取り出して身に着ける。室内なので、コートはまだ必要ない。シャツとパンツで充分だ。けれど一応、薄着には気を付けろとオウルからの警告があったので、シャツの上にジャケットも羽織っておく。後は顔を洗い、寝癖を整え、きちんと歯磨きをして身だしなみを整えて、と。
「手入れをサボると怒るからなぁ、博士。うん、それに仕事人としてのマナーだ、これは」
毎日指定された櫛で髪を梳いたり、指定されたシャンプー、リンス、ボディーソープを使用して肉体を洗浄しなければならないのは面倒ではあるが、仕方ない。この程度の手間で、さらに面倒な抗議を抑え込めるのだから、安い物だ。
身支度を終えた俺は、狐面を被りつつオウルへ連絡を取る。
「おはよう、オウル」
《おはようございます、ミサキ。良い朝ですか?》
「ああ、グッドモーニングさ」
《昨日、仕事をわざと引き延ばしたのに?》
おっと、オウルの反応が若干刺々しいぞ。
しかし、思い返せばそれも確かに仕方ない事なのかもしれない。昨夜、森の最奥まで探索して、ようやく目標の黒竜を見つけたというのに、俺は特に戦うこともせずに、そのまま空間跳躍で離脱してしまったのだから。
下手をすれば、サボタージュと思われてもおかしくない行動だろう。
けれど、もちろんこれには理由ある。
「昨夜も説明したけどね、オウル。あの黒竜の内包する魔力は相当の物だ。まともに相対すれば、こちらも相応の消耗を強いられるだろう」
《しかし、逆に言えば『相応の消耗で始末できる』ということなのでは? そして、我々の仕事はあの黒竜の対処です。あの時の撤退は、いたずらに仕事の期間を引き延ばすだけかと》
「ふむ、正論だ。だがね、最善じゃあない」
《最善、ですか?》
「確かに、依頼主からのオーダーはあの黒竜の対処だ。あの黒竜をどうにかしてあの場所から退かして欲しいという依頼だ。加えて、会話を試みても反応が鈍い。恐らく、何かしらの要因で発狂していると思われる。説得は不可能に近い」
《だったら――》
「けれど、無秩序に被害を拡大させる害悪というわけじゃない。あの場所から動かないということはつまり、周囲に余計な被害を撒き散らさないということだ。ならば、念には念を入れて、あの黒竜の情報をきちんと調べてから行動するのがセオリーだと思うよ」
《…………分かりました》
しばしの沈黙の後、オウルは渋々と言った様子でこちらの理屈を認めた。
《一理あることを認めましょう。例え、諸々の経費が依頼人持ちだからといって、態々この街一番の宿に泊まってエンジョイしているという現状を差し引いたとしても》
「依頼人は遠慮なく使っても構わない、とか言ってたじゃん」
《ミサキ。今回の相手は大口なのですよ? ちょっとは色々配慮して、今後も割のいい仕事を回してもらおうと思わないのですか?》
「思わないね。割のいい仕事でも、面白くない仕事はやらないよ、俺は」
《…………はぁ。このロマシング馬鹿はもう》
最近、罵倒のバリエーションが増えて来たオウルである。
間違いなく原因は俺だが、反省はしない。こういうやり取りこそが、オウルの自我を成長させるのだと博士が言っていたのだから。そう、大義名分は既に得ているのだ。
なので、今日もオウルの罵倒を聞き流しつつ、宿の食堂へと向かう。
「あ、おはようございます、『光使』様!」
「ういうい、おはよう、看板娘さん」
この宿の構造は、一階が食堂、二階が宿という風になっている。泊りの際に、お金をあらかじめ払っておけば、朝と夜は食事を用意してくれるシステムなのだ。ちなみに、メニューの指定はできない。この世界の生活水準はまだ、そこまで達していないからである。
「ただいま、料理をお持ちしますね!」
「んー、よろしく。ああ、配膳ついでに、看板娘さんの愛情も込めてもらえば、さらに料理が美味しくなると思うんだけど」
「ふふふっ、それじゃあ、そうさせてもらいますね、光使様」
ぱたぱたと、この宿の看板娘がカウンターの奥の厨房へと入っていく。
ううむ、やはり可愛いなぁ、彼女。この街一番の宿の看板娘は、この街一番の器量良しという噂があったが、あながち嘘じゃないようだ。綺麗な茶色の髪を後ろにまとめたポニーテイルに、野暮ったいけれど冷たさを感じない柔らかな微笑み。なんというか、磨けば光る田舎の可愛い女の子みたいな感じで、とても良い。
《ミサキ。セクハラは認められませんよ?》
『しないよ! そんな度胸も無いよ!』
オウルからの忠告に、俺は音を介さない思念回線で応える。
《依頼人から受けた光使という仮初の地位には、それを可能なだけの権力がありますが?》
『いや、だって俺は和姦モノが好きな男子だもの。無理やりとかはノーサンキュー』
《……そうでしたね、すみません。ミサキがヘタレ男子だということを忘れていました》
『おっと、謝罪しながら罵倒するとは新しいなぁ、オウル』
自我が順調に育っているようで何よりである。
だが、オウルの懸念も分からないでもない。何せ、この光使という立場は、この世界に於いて絶大なる効果を発揮するのだから。
そう、ぶっちゃけ、理由があれば殺人すらも認められるほどの権力がある立場なのだ、実は。だからこそ、その権力に見合ったそれ相応の振る舞いをしなければならないとオウルは考えているのだろう。
「お待たせしました。こちら、朝食になります……ごゆっくりどうぞ」
「ありがとう……うん、とっても美味しそうだよ! 愛情が入っているね、これは」
「ふふふ、光使様ったら、もう」
無論、俺も当然その考えには至っている。それ故に、相手を緊張させず、フレンドリーな対応が求められていると思ったのだ、俺は。
そう、こんなナンパ男みたいな態度でもメッチャ気を遣っています。正直、肉体の性別が女でなければアウト気味だと思うが、頑張っているんだよ、これでも!
「さて、いただき――――光主様の恵みに感謝します」
胸に手を当てて、この世界流の『いただきます』をした後、俺は食事を始める。
メニューはサンドイッチとスープの二種類だけ。けれども、ふかふかの白色パンで、若鶏の肉を甘辛いソースと新鮮な野菜を挟んだサンドイッチはボリューム感満点。さらに、スープは透明ながらも味がしっかりついていて、サンドイッチとの相性も素晴らしい。野菜の旨みを上手く抽出した後、香辛料を惜しみなく使って味が調整されてある、非常に美味しい。
うんうん、やっぱり仕事するなら食事の美味しい場所で仕事したい物である。仕事を受ける条件は面白いかどうかであるが、それ以外でもしも考慮すべき点があるとすれば、食事の美味しさだろうな、やはり。後、たっぷりのシャワーとふかふかのベッドがあれば最高だぜ。
「いやぁ、とても美味しいですよ、看板娘さん。素晴らしい」
「…………あ、はひっ。あ、ありがとうごじゃいますぅ」
俺が食事の感想を言うと、傍に控えていた看板娘が何故か、かみかみな口調で応える。
んん? なんか緊張している? いや、顔面が上気して赤くなっているのは確かにそうだが、それに加えて、何故か目つきがとろんと何かに酔っているような具合になっているぞ?
ふふむ。俺は数秒考えた結果、ふとカウンターの脇に置いた狐面を見た。
ああ、そうか、しまった。今は素顔だったな、もう。
「んぐんぐんぐ、がつがつ……ふぅ。光主様の恵みに感謝を」
俺は用事を思い出したかのように食事を急ぐと、一分足らずで即座に完食。きっちりナプキンで口元を拭いた後、狐面を被り直す。
「それじゃあ、今日も仕事に行ってくるよ」
「は、はい……行ってらっしゃいませ、光使様」
どこか残念そうな、けれどはにかんだ看板娘の言葉を受けて俺は宿を発った。
危ない、危ない。今後は出来る限り一人で食事した方がいいかね? いやでも、それは寂しいからなぁ、どうしようか。
《ミサキ。その肉体を悪用して現地民の性癖を歪めることは推奨できません》
「好きでやっているわけじゃないんだよ、こっちも」
はぁーあ、と狐面の下でため息を吐きつつ、つくづく俺はこの肉体の面倒さを思い知る。
まったく、地味で目立たない外見が恋しいぜ……いや、マジで。