第39話 異界渡りの休暇 4
俺が拠点にしている街は、大戦の被害を奇跡的に免れた場所だ。
もちろん、何もせずにただ偶然、被害を受けなかったというわけではなく、空間隔離系の異能者と、隠蔽技術に特化した魔術師たちが共謀して、大戦中ずっと引きこもっていたから被害が極端に少ないのだ。最も、その程度の隔離・隠蔽は超越者たちが少し気まぐれを起こせば瞬く間に解除されるような物であったらしいが、その気まぐれが起きなかったからこその奇跡であり、こうして、拠点に出来ているのだ。
ちなみに、ここを拠点にしているのは無論、俺だけではない。俺の他にも、数多の異界渡りがここに拠点を構えて、様々な世界へ仕事に赴いている。基本的に俺の故郷出身の異界渡りがほとんどだが、たまに、他の世界出身の異界渡りも住み着いているのだとか。
「さぁ、見てくれ! 自然あふれる異世界から直接取り寄せた、新鮮な野菜の数々だよ! お安くしておくから、今晩の献立にどうだい!?」
「異界渡りのお供に、異世界ラジオ、異世界ラジオはいかがかねー? [い~は]の世界線なら、どこでもお手軽にラジオを聞けるよぉ」
「とある世界では有名な刀鍛冶が打った、魔剣の一振り! 物騒な世界に赴く時には必須の代物だ! 今ならサイドアームとして片手でも使えるレーザー銃も付いてくるよ!」
そんな街の大通りで開かれているのは、、様々な世界出身の多種多様な知的生命体が集う市場だ。まともな人の形をしている者が多数を占めているが、その服装はファンタジーとSFをごちゃ混ぜにして、そこに日常ほのぼの系アニメをぶち込んだような有様である。世界が異なれば当然、ファッションセンスも異なるので仕方ないね。
もっとも、獣耳が生えていたり、筋骨隆々で角を生やした鬼のような姿ならまだしも、不定形のスライムだったり、歩くポストみたいな存在もいたりするので、人型で服を着ている者が多いだけ、この市場はマシと言えるだろう。
大丈夫。俺は、正真正銘の人外魔境も見たことがあるので、この程度の混沌では動じない。
「ううむ、しまった」
しかし、市場に着ていく服を間違えたことで盛大に俺は動揺していた。
そうだよ、うっかりしていたよ。この市場は多種多様の人間が集まる、混沌の坩堝。ちょっと周囲を見渡せば、奇抜な服装をしている奴なんてごろごろと居る。そんな中で、俺が選んだ無難な服装というのは、あまりにもインパクトが小さい。冴えない容姿も相まって、すっかりこの市場で存在感が埋没してしまっているじゃないか。
「いっそのことコスプレしてきた方が……でも、この肉体だと全然似合わないんだよなぁ、そういうの」
普段の買い物ならば、こういう地味で清潔感のある服装も間違いじゃない。むしろ、俺の存在感の薄さも助けて、大きなトラブルに遭うことなく無事に買い物を済ませることが可能なベストアンサーだ。
だが、こうも存在感が薄ければ、女の子の目に留まるのなんて期待できない…………いや、違う。恐れるな、俺。ナンパに大切なのは目立つことじゃない、どうやって相手をその気にさせるのか、だろう?
そう、数々の異世界で可愛い女の子をナンパして、食事やお茶を一緒して来た俺だからこそ、分かる。外見も大切であるが、肝心なのは声をかけてからの態度もだ。思い出せ、俺。最初は仮面を被った不審者として対応されていたとしても、話術で上手く取り入って、最終的にご飯を奢ってもらうことなんて日常茶飯事のはずだ。
「いよぉし」
俺は気合いを入れ直した後、市場の雑踏の中へ潜り込んだ。
「ひょろひょろの兄ちゃん! そんな細い体で大丈夫かい!? 護身用にこの自動装甲は要らんかね? 自動で装着から、防御、反撃までやってくれる優れものだよ!」
「あはははは、それは隙がでかいから、なしかなー。あ、それよりも、そっちの箱に入っている魔導式拳銃を見せてよ。魔術を付与した弾薬の一覧もね」
「え? ひょっとして、兄ちゃん、プロ? 物凄く弱そうな外見なのに!?」
「さぁてね。プロかどうかはさておき、アンタのお客であることは確かなんじゃないかな?」
「く、くっはっはっは! そりゃそうだ!」
市場に来たというのに、買い物もせず、きょろきょろ人を観察と一気に不審者だ。例え、俺の存在感が薄くとも、挙動不審で居るところを見られればそれだけでマイナス。ここは無難に買い物をしながら、可愛い女の子や綺麗な女の人を探し出そう。
「ひ、ひひひひ、そこのお兄さん、いい薬あるよぉ? 買っていくぅ?」
「凡庸タイプのエリクサーを四つ。ああ、そっちの奥にある仮死薬も一つ。後は……おっ、紅角の粉末があるじゃん。それを五十グラム包んで」
「…………あの、お兄さん、ふざけているんじゃなければ、これ全部で、六千万ぐらいはするんだけどぉ?」
「小切手がいい? 現金がいい? 高純度の魔力ストックがいい? 形状は結晶タイプ」
「うわぁい、外見に反して上客だぁ」
ちなみに、この街では基本的に貨幣を円という単位で取り扱いしている。価値の基準は、世界崩壊前の円に準ずるのだが、霊薬とか魔剣とか、そこら辺の相場はそれぞれの世界で大分違うので、現金よりも魔力ストックや、物々交換で取引した方がお得になる場合も多い。加えて、この街の中でならば、言語の壁を取り払う魔術が常に展開されているので、相手の言語を理解できずとも、交渉を行うことが可能である。
そのため、この市場には他の世界出身の商人たちが良く集まり、そして、俺のような異界渡りが掘り出し物を見つけようと買い出しに来たりするのだ。また、懇意の商人が居るのならば、異世界から持ち込んだ様々な物品を買い取ってもらうのもいいだろう。
「へっへっへ、いよう、そこの坊主景気が良いじゃねーか? なぁ、ちょっと俺たちにもあやからせてくれよ」
「おい、兄ちゃん。悪いことは言わねぇ。兄貴を怒らせない方がいいぜ? この兄貴はな? 元居た世界だと、歩けば鬼族すら道を開ける豪傑でよぉ。兄ちゃんの細腕なんか、ちょいと掴んだだけで小枝みたいに折れちまうぜ?」
「…………」
「え? あ、ぼ、坊主? お前、往来で銃を抜くのはちょっと――――」
――――タァン。
「あ、兄貴が撃たれた!? こいつ、頭がおかし――ぐべっ」
ただ、あまり景気の良い買い物をしていると、この通り、チンピラに絡まれることがあるので、そこは注意。対処方法としては、非殺傷用の魔術弾頭でもぶち込んでやれば充分。非殺傷でのいざこざなら、街の警邏がやってくることも無いし、この程度の諍いは日常茶飯事なので問題ない。むしろ、この程度の諍いでは注目を集められず、スルーされるレベルだ。トラブルですらない。
「…………ふぅ」
さて、チンピラ二人をタタァンと非殺傷で気絶させたら、いよいよガールズハント本番だ。
俺はさりげなく周囲に視線を配りながら、ターゲットとなる女性を探し出す。
まず、男と一緒にいる女性は駄目だ。男と一緒にいるところに声をかけるのはナンセンス過ぎる。そういう趣味も無い。俺の知り合いの異界渡りなら、『男も女も二人とも愛するぜ!』とカップルごと頂こうとするが、そこまでの見境無い真似なんて出来ない。
四人以上の女子グループで固まっている所も、遠慮しておこう。基本的にこちらは一人。複数人の女子相手にナンパを仕掛けても、良くてホステスの真似事、悪くて財布代わりにされてお終いだ。賢明な判断じゃない。
そういう点から考えれば、単独で市場に居る女子の方が声を掛けやすいかもしれないが、当然、警戒心も高い。その上、そもそもこの市場に女子が単身で来ている方が珍しい。
だから、俺の狙いは必然と女子の二人組から三人組へと絞られていく。
「むぅ」
そう、そこまで狙いを絞ったのは良いのだが、ここからが分からない。面識のない女子への声掛けってどうすればいいんだよ? 普通に声をかければいいの? それとも、ラブコメに出てくるテンプレートなチンピラみたく『君、可愛いじゃん。どう? 俺と夜まで遊ばない? もちろん、最後の最後まで』みたいな言葉を掛ければいいの? いや、客観的に見ても駄目だろ、あれは。気弱そうな女の子に対して、無理やり押していく戦法だったらいけるかもしれないが、俺はやはり、合意がいい。そもそも、俺が理想とするナンパからのエッチの流れはもっとこう、淡泊だけれども、両者が得するような感じであって欲しいのだ。
…………でも、考えれば考えるほど、初対面の相手にナンパしてからの上手い事コミュして、ホテルにまで連れ込むとか、どうやんだよ。魔法かよ。無理じゃね? 少なくとも、この俺の人生経験だと無理じゃね? 機械天使の肉体を使っている時ならともかくさ。
だが、ここで引いたら、間違いなくクロエに煽られる。絶対に煽られる。抱き締められながら、耳元で散々苛められてしまう。
「ええい、ままよ」
俺はネガティブな思考を切り捨てて、一気に覚悟を決めて歩き出した。
何も挑戦しないまま帰ることは有り得ない。そして、どうせ挑戦するのであれば、高みが良い。俺は先ほど絞った対象の中で、一番外見が好みだけれども、『あ、これはアウトだな』と思っていた女子の下へ向かう。そう、例えちょっと地雷っぽくとも、高みを目指すと決めたのだから、一番好みの女の子に声を掛けなければなるまい。
「ぎゃああああああああ!! やめ、オデの、オデの腕がぁあああああっ!!?」
「なにこの柔い骨? ちょっと、トロールってもうちょっと強靭な種族じゃなかった?」
「オデの、オデの負けだから、たの、頼む! 折らないでくでぇえええ!!」
例え、その女の子が蛮族も真っ青な残虐ファイトをしていたとしても。
「あはっ、どうしようかしらねぇ?」
俺が声を掛けようとしている女子は現在、ストリートファイトの真っ最中であった。
この市場には多くの種族が集まるのだが、その中で、腕自慢の荒くれ者たちは、市場の一部でストリートファイトをおっぱじめることもある。もちろん、周囲に被害を出さないように簡易結界の中で、色々と制限を付けた上での戦いだ。
ただし、当然ながらただの喧嘩ではない。互いが互いに金銭やら物品を掛けて、その条件が両者合意の下で釣り合った場合にのみ行われる、賭け試合であり、決闘だった。
「もうやめでぐでぇえええ!」
「あら? おかしいわねー、私に勝って、そのご立派な逸物をぶち込むんじゃかったの? 手足を折って動けなくするんじゃんかったの? まったく、口だけの男って嫌ね」
「あ、あやまる! あやまるがらぁああああ、やめっ――」
「もちろん、私は口だけの女では無いわ。やるといったら、やる女よ。そう、試合前に言った通りに、『貴方の全身の骨をボキボキに折って、病院に叩きこんであげる』」
「ぎがあああああああああああ!!!?」
その女子は、赤いツインテールで、勝気な瞳が特徴的な美少女であり、戦いには不似合いな、黒のゴジックロリータのドレスを身に纏っていた。
だというのに、その女子は容赦なく、自分の倍以上の身長の大男の腕を掴み、軽々とへし折って見せた。いや、それだけではなく、次々と大男の体の骨を、小枝の如くべきぼきへし折って、泣きながら逃げようとするその背中を蹴り飛ばし、どんどん追い詰めている。
逃げ惑う大男は、ファンタジー世界系列における、トロール……即ち、ただの人間以上の強靭さと怪力を兼ね備えているはずの、存在であるはずなのに。まるで、大人から逃げる無力な子供のように懇願を繰り返している。
「あはっ、あははははははっ!」
紅蓮のツインテールを揺らしながら、その女子は哄笑を響かせ、破壊活動を続けた。
大男の全身が、タコのようにぐにゃぐにゃになるまで。
「はい、これで有言実行。めでたし、めでたし。あ、寛容な私は、病院代も払ってあげるわ、ほら、受け取りなさい? まぁ、元々は貴方が提示した賭け金だったんだけれど、別に良いわよね? これはもう、私の物だもの」
そして、審判役の男が持っていた掛け金――おそらく大男の財布――を受け取り、そこから何枚かの紙幣を抜き出して、瀕死で動けない大男の前に放り捨てた。
両者合意の上とはいえ、中々刺激的な試合である。
周りの観客の半分はドン引きしている。もっとも、残りの半分は『ほぉ、面白い』というリアクションをしている辺り、この市場も中々の魔境だ。
「さぁ、次のチャレンジャーは居るかしら? この玉無し男は私をブチ犯すと言っておいて、見事に負けてしまったヘタレだったけれど、他の益荒男は居るかしら? 釣り合う条件だったら、私はいつでも挑戦を受け取るわよ? もちろん、処女だって賭けるわ」
その女子は挑発的な笑みを浮かべて、周囲の群衆に向かって声を上げる。
一見、身の程を弁えない無謀な呼びかけと感じるかもしれないが、あのゴシックロリータ女子の力量は本物だ。少なくとも、外見からは想像も出来ない怪力を秘めていることは間違いない。ただのチンピラ程度であれば、絶対に敵わない。そして、彼女を倒せるほどの実力者であるのならば、大抵の場合、女に不自由していないのだ。あえて、彼女と戦い、怪我を負うリスクを考えれば、ここで名乗り出るメリットは感じられない。
恐らく、ゴシックロリータ女子もそれは承知の上だ。彼女が狙うのは、勝てそうな相手のみ。仮にそうでない場合の相手に対しても、保険は仕込んでいるだろう。
「…………ふあーあ」
その保険とは、ゴシックロリータ女子から少し離れたところで待機している、金髪で灰色のパーカー姿の長身女子だ。スタイルが良くて、胸がでかい。ヘッドフォンを頭に付けて、気の抜けた顔で呑気に欠伸をしているのだが、それはフェイク。注意深く周囲を見渡して、もしも、実力者が動くようなら、途中でストップをかけて撤収するはず。何せ、とぼけた顔をしていても、常にゴシックロリータ女子への意識を配っている。間違いなく関係者だ。
後、俺はこの市場に来た時に、ゴシックロリータ女子とこの金髪パーカー女子が共に並んでいる姿を見ているのだから、普通に関係者だろ。
つまり、これは己の容姿や強気な発言を釣り針にした、小遣い稼ぎだ。これに引っかかるのは、相手の実力もわからない小物か、リスクとリターンを計算できない馬鹿だけだろう。
「あら? 誰も居ないの? 益荒男が居ないのなら、仕方ないわ。今日の所は、ここまでにしておいて――」
「ちょっと待った」
そして、俺は馬鹿の類である。
リスクは関係ない。ただ、俺が求めるのはそのリターンのみ。
「君、可愛いじゃん。どう? 俺と夜まで遊ばない? もちろん、最後の最後まで」
そう、美少女相手にナンパ成功させて、ホテルで童貞卒業したいという下心のみが、俺を動かしていた。




