第31話 そして、剣は振り下ろされた 13
毎日更新、一か月突破しました。大丈夫、まだ虚無ってない。
あ、現段階のプロットでは毎日更新を半年から一年ぐらいのペースでやれば完結できる予定です。
……これを後、十一か月かぁ。
とある少女の話を再開しよう。
瀕死の状態で薄闇の中を彷徨い、少女は辛うじて街の中へもぐりこむことが出来た。変化自在な黒い塊を使えば、薄暗い闇の中で誰にも気づかれずに街の中へ入りこむことぐらい、少女には簡単だった。
けれど、そこまでだった。
止血はしていたものの、全部の傷から流れる血液を止められていたわけではない。
既に、満身創痍という言葉がこれ以上なく似合うほどに、少女は衰弱していた。ふらふらと、歩く足取りもおぼつかなくなってしまい、終いには意識を失って地面に倒れ込んでしまう。
冷たい地面に、どんどんと自分の体温が奪われていく中、少女はこれが『死』という物なのかと、実感していた。
不思議と、少女はその時、悔しさを感じず、むしろ安堵していた。
ようやく、これで、楽になったのだと。
「おお、目が覚めたか! 君、具合はどうだい?」
しかし、その安息はとある家族の善意によって妨げられた。
少女は気づくとベッドの上で横たわっていた。本来、死ぬはずだった少女の傷には処置が施されており、もはや死の恐怖に怯える心配は無い。
助かったのだ、少女は。
類まれなる幸運によって。
「あ、ああああっ!? うあぁああああああああああああ!!?」
もっとも、その時の少女に、その幸運を自覚できるほどの感性は無かったのだけれども。
少女は生まれてからずっと、敵意と悪意の中で暮らして来た。だからこそ、生まれて初めて向けられる純粋なる善意に戸惑ったのである。いや、厳密に言えば、初めてではない。今までも何度か、他者の善意を利用して、騙し討ちをして来た。
生まれた初めてだったのは、本当の意味で他者に助けられたことである。
少女の人生に、助けるという行動も、助けられるという経験も皆無だった。
だからこそ、少女は恐怖した。生まれて初めて向けられる優しさに、純粋なる善意に。誰かに助けられるという未知に、少女は動揺していた。
本来の思考であれば、弱々しい少女を装い、傷が癒えるまでうまく騙し通すことを選んだはずだろう。涙を流しながらの演技さえ、やって見せただろう。
だが、心身共に衰弱している少女に、そんな余裕などは無かった。
「その赤い目は、君……ひょっとして、黄昏の民なのか?」
己の正体を見破られてなお、取り繕える余裕などは無かった。
――――黄昏の民。
――――穢れた者。
――――悍ましき子供。
――――虐げられて当然の存在。
がちんっ、と少女の中で、何かが切り替わったのが分かった。
「安心してくれ、俺たちは君の敵じゃない。大丈夫だ、君がどこの誰だろうとも、傷ついた女の子に変わりない。そして、傷ついた女の子を放り出すほど、薄情じゃないつもりだぜ、俺たち家族は」
聞こえない。
聞こえるはずがない。
こうなってしまった少女に、人の言葉など届かない。
ただ、一時的に、その場しのぎに、己の安全を確保するまでは。
即ち、自分以外の人間を排除するまでは。
「お……あ、れ?」
「あ、なた?」
いつも通りの手慣れた動作。
一息で男を両断して、ベッドの傍らに侍っていた女の胸を貫き、殺す。
少女が操る黒い塊は、変化自在にして、ある程度の鋭さや硬さも変更できる。流石に、岩石を切断するような真似は出来ないが、人間の体ぐらいは簡単に壊すことが可能だ。
「…………あっ」
そして、少女は正気に戻った時、全てを後悔した。
罪悪感ではない。己の愚かさについて、後悔した。
少し冷静になれば、この場で相手を殺すなど愚の骨頂。何をどうやったところで、相手を殺すことで得られる利益なんて皆無だ。
しかも、しかも、少女にとっては信じられない事だが、殺した男は少女が黄昏の民であることを知った上でなお、受け入れていた。嘘かもしれないが、今まで、そんな嘘を吐かれた記憶冴えない少女は戸惑いに戸惑う。
その場から逃げ出す、という思考にさえたどり着けないほどに。
「……お父さん? お母さん?」
「――――っ!」
だからこそ、少女は二度目の過ちを犯した。
それは、突然の来訪者に対して、攻撃をしたことではない。
来訪者の姿が、幼い少年であることを知覚し、思わず攻撃の手を緩めてしまったのが過ちだった。今まで、子供を殺したことが無いわけでは無かった。そういうこともあった。しかし、大人はともかく、子供を殺した後は、最低最悪の吐き気に襲われるので、体が反射的に幼い少年を殺すことを躊躇ったのである。
躊躇った結果、幼い少年の顔を浅く傷つけるに留まった。その際、幼い少年は驚いて転び、何かしらの家具に頭をぶつけて気絶した。
これもまた、少女にとって幸運だった。
もしも、幼い少年がその場で気絶していなかったら、少女は自分でももはや、何をしていたのかわからなかったのだから。
「ふ、ひひは、ふひひひああああ」
少女の喉からは、震えた吐息が漏れるのみ。
己が引き起こした惨状を、己の愚かさが台無しした幸運の結果を眺めて、少女は判断した。深く考えず、ほとんど条件反射で逃げることを決めた。
そこから先の事を、少女は詳しく覚えていない。
ただ、走って、走って、ひたすら走って。
治りかけた傷口から、血液が流れるまで走って。
空が朝焼けに染まる頃になって、ようやく止まった。
「……はぁ、はぁ、はっ、んぐ……うぇっ、ぐ、ぐぞっ、ちくしょう」
少女は草木が茂る地面に倒れ込み、怨嗟を呟き続けていた。
まるで、己自身も含めた、世界を呪うかのように。
「どうして、どうして、どうして!」
少女は自覚していた。
己が何か、とてつもなく大切な何かを台無しにしたのだと、自覚していた。己の愚かさで、どうしようもなく取り返しのつかない馬鹿な真似をしてしまったのだと、本能に近しい何かで感じ取っていた。
今まで、人を殺して後にこんな気分になったことは無かった。
どいつもこいつも、殺された奴は馬鹿であり、生き延びるための糧に過ぎなかったはずなのに。今は、馬鹿なのは少女自身であり、かけがえのない何かだったのは、少女が殺してしまった二人。
「う、うああう、うあっ」
少女は呻くように泣き叫ぶ。
悲しいのではない。
悔しいのだ。
己の幸運を、『救われる機会』を逃してしまったことが、とてつもなく悔しくて、悔しくて、だからいつまでも泣き叫んでいた。
「――――うるさいわねぇ、このガキは」
しかし、少女の幸運…………あるいは、不運はまだ終わらない。
泣き叫ぶ少女の前に、顔をしかめた美少女が現れたからである。
「朝っぱらから、黄昏の民みたいな貴重種族が、どうしてこんなところで泣いているかしら? あんまりうるさいと、実験材料にしてしまうわよ?」
「あ、う?」
その美少女は黒衣に身を纏い、白雪の如き白髪をしていた。少女よりも少し年上ぐらいの年齢に見えるのだが、口元に浮べた笑みは、幾重にも年月を重ねた妖艶さを湛えている。
「一体、どうしたってのよ? とりあえず、この私に話してみなさいな。面白かったら生かしてあげるし、詰まらなかったら実験材料として大切に殺してあげる」
「…………あ、う?」
黒衣の美少女が告げる言葉の意味が、少女にはよくわからなかった。
何もかもが、もう、どうでもいいような気がしていた。
だかこそ、生まれて初めて、これ以上なく素直に、誰かに自分の身の上話をしていた。最後まで、偽ることなく、己の愚かしさも全て吐き出して。
「あっはっは、なるほどね! そりゃ、笑えるわ! とても笑える喜劇だこと! あっはっは! いいわね、久しぶりにこんなに救いようのない愚者を見たわ、うん……そうね、そうしましょうか」
少女の話を全て聞き終えると、黒衣の美少女はけらけらと笑った。
満面の笑みで、嘲笑い、そして、実に楽しそうに一つの提案を少女へ持ちかける。
「貴方、生きたい? 生きたいのならば、特別にこの私が助けてあげるわ。ええ、きちんと貴方が自立できるまで面倒を見てあげる。その憐れな感性も、ちゃーんと『真っ当』な物にしてあげるから。そう、貴方に『幸せ』を教えてあげる。ただ、一つだけ忠告するならば」
悪魔のように親しげに。
聖母のように慈悲深く。
「貴方は、ここで死んだ方が『楽』になれるわよ。ええ、間違いなく、生き延びることを選択すれば、後悔するわ、とってもたくさん」
目の前に提示された二つの選択肢。
一つは幸せな生。
一つは安らかな死。
生きるべきか、死ぬべきか。
少女はその二択に対して、さほど迷うことは無かった。
何故ならば、少女は泣いていたからである。
「…………いき、たいです」
こんなところで死にたくないと、悔しくて惨めなまま死にたくないと、泣いていたからである。だから、少女はよく考えもせずに、愚かな選択をした。
「そう、わかったわ。それじゃあ、これからよろしく、レイネ。ああ、私の事は気軽に『魔女さん』と呼びなさい。いいかしら? 『魔女さん』よ。敬意を忘れちゃだめよ?」
こうして、少女は『幸福な日々』と――――『逃れられぬ苦痛』を手に入れた。
ブックマーク、評価、誤字報告感謝です!
読んでくれる人が居ると思うと、虚無りかけた時、気合いを入れ直せます、マジで。




