第3話 黒竜よ、眠れ 1
ぱちぱちと、火花が爆ぜる音が夜の闇に響く。
俺の眼前で煌々と赤く燃え上がっているのは、幾重にも重ねられた薪だ。森の中で見つけた小枝を乾燥させて、火種に松ぼっくりのような何かを使い、たき火としたのである。本当はたき火台があればベストなのだが、別空間に多く物をしまい込んでおくと、取り出す時に大変になるので、基本的には必要最低限の物しか仕舞えないのだ。
「あぐ、んぐ」
そんな、そこそこ苦労して作ったたき火の前で、俺は肉の塊を齧っている。木の枝の皮をむき、軽く加工した物を串代わりにして、じゅうじゅうたき火で焼いた物だ。ちなみに肉は、現地調達。鳩っぽい何かが居たので、遠慮なく狩って食材にさせてもらった。
俺の現在地はとある森の奥地であるので、人気は皆無だが、代わりに自然が豊かで食材には困らないのだ。それ相応の能力と技術があれば、であるが。
「んんー、ちょっと小骨多いなぁ。や、気合い入れればこの体の性能だと容赦なく噛み砕けるんだけど。うん、ムカつくことに本当に便利なんだよなぁ、この体」
《ミサキ。何故、携帯食料が持ちこみ可能なのに、態々現地調達を?》
「ふふふ、わっかんないかなぁ、オウル。風情って奴だよ、風情。こうね? 男は森の中に入ると、原初の狩猟民族としての血が騒ぐのさ」
《その体は正真正銘の女性タイプですが》
「魂に! 魂に刻まれた本能なの! 後、俺だって好きでこの体に魂入れているんじゃないやい! 男の体が良いんだよ、普通に!」
《マスターからの返答です。『男の体なんて、弄りたくないわよ』だそうで。申し訳ありませんが、その体でご辛抱を。事実、予備も合わせてその体が一番、性能が優れているので》
「はいはい、んじゃ、我慢するさ」
ぱきぼきという歯ごたえと、獣の匂いの混じった粗野な肉の味わい。
うむ、中々美味い。
無論、純粋な肉の美味さで言えば、確実に家畜として育てられた物が優れている。何しろ、品種改良を重ねて、食べるために造られた存在だ。野生の物に勝るのは、当然の事だろう。もっとも、これが魚や山菜の類となるとまた別の話になるのだが、それは置いといて。
狩猟で現地調達した肉を食べるという行為は、味覚以上に、他の命を食らうという充足感を俺に思い出させてくれる。塩コショウと、香草の類を軽く振りかけているだけという簡単な調理だが、普通以上に美味く感じる。これがもしも、平時の際、例えばレストランなどで出されれば不満も良い所だろうけど、今現在、美味しく感じているから問題無しだ。
「んぐんぐ、もぐむしゃ……ふぅ」
鳥の丸焼きをきちんと食い終えて。その後は別空間から取り出した魔法瓶と紙コップで一服。中にはほうじ茶が入っているので、食後の一杯にはもってこいである。
「ずずずっ……さて、と」
俺はゆっくりと食後の一杯を楽しんだ後、口元をナプキンで拭い、狐面を被った。
別に、誰の視線も感じられない現状ならば面を被る必要は無いだろうが、一応、念のため。この狐面は各種情報端末が内蔵されているので、例え、夜の闇の中でも視界を阻害することはない。むしろ、被っていた方が、視界が拓けて安定するのだ。
「次は腹ごなしと行こうかね」
だからこそ、俺は俺を取り囲む獣の集団を容易に見つけられる。
そいつらは狼のような形状のもの、熊のような形状のもの、あるいは猿に翼の生えた奇妙な姿形のものと多種多様だ。共通している点があるとすれば、そいつらの目はすべからく赤く光っており、俺への敵意に満ちていることぐらい。
《権能を使用しますか?》
「いいや、魔力がもったいない。こいつらにはこれで充分さ」
俺は足元から手ごろな長さの木の枝を拾う。
もちろん、このまま振えばその勢いだけで折れてしまいそうなほど脆いこれであるが、ここは腕の見せ所。
「――――属性付与」
簡単な魔力の行使。
この世界ならば、子供にでも出来る些細なおまじない程度の魔術。
使用する道具に己の属性を付与することにより、道具の効果を増大させたり、道具自体の強度を向上させるための代物だ。
そして、現在の俺が使えば、このような効果を得る。
「一刀両断――――かける、二十二ってとこかね?」
距離・強度・数という障害を無視して、俺は無造作に木の枝を振り下ろす。
たったそれだけの動作で、俺の周囲を囲んでいた獣たちは全て両断された。綺麗に、左右対称になるかのように、頭からすっぱりと。一切合切、抵抗すら許さず、知覚範囲に居る敵対生物は全て両断した。
《お見事です、ミサキ》
「見事というか、なんというか、完全にこの体の性能依存だからね、これは。でもまぁ、オウルが知覚範囲を拡大して敵意を感知してくれるし。奇襲されても保険があるから。基本はこのスタイルで進んでいくよ」
《了解。こちらも補助に集中します》
あらゆる障害を、俺は木の枝を片手に切り払っていく。
身の丈ほどの大きさの獣も。
こちらの侵入を拒むような鋭い草むらも。
普通に歩けば、体力をやすりのように削るであろう悪路も。
「ほいほい、ほいっと」
ただ、乱雑に木の枝を振り回すだけで全てが解決する。
獣は両断され、草むらはあっという間に切り飛ばされて、悪路は瞬く間になだらかな道へと整備された。
本来であれば、この森の踏破には習熟した技能と、数多の知識が必要なのだが、そういう前提を無視して、力押しで障害を踏み砕くのがこの体の性能だ。
理不尽で、悪辣なほどに圧倒的。
それこそが、機械神の眷属である機械天使。【黒色殲滅】の異名を持つ、怪物の性能である。もっとも、魂と肉体が噛み合っておらず、ちぐはぐなので、これでも性能はフルに発揮できていない。オウルの協力があっても精々、七割ぐらいまで引き出すのが限度だろう。
まったく、本当に忌々しいほどの高性能だ。
そのおかげで助かっているとはいえ、出来るならばさっさと違う肉体に乗り換えたいね。出来れば、男の肉体が良い。女性体だと、精神が段々変容していくんだよなぁ、もう。
《巨大な魔力反応を感知。ミサキ、その洞窟を入った先に、広大な異空間があります。恐らく、そこに目標が居るかと》
「ん、了解」
森をしばらく歩いた先にあったのは、洞窟の入り口だ。
入り口は半円型で、おおよそ、三メートル、横に八メートルほどの大きさがある。加えて、オウルの探査結果も効いているので、この洞窟が脆く、途中で天井や地面が崩れる心配は無い。
《洞窟内に入るので、暗視機能を向上させておきます》
数度瞬きをすると、視界がさらに明るくなる。
オウルからの補助効果だ。毎回、オウルは俺が言葉にせずとも適切な補助をくれるのでありがたい。
俺は明るくなった視界で、きっちりと洞窟内を観察しながら先へ進んでいく。
「ふむ、綺麗すぎるな。洞窟内だってのに、虫一匹も見当たらない。いいや、それ以前か。生物の痕跡がまるで見つからないぞ」
《恐らく、洞窟内部に住まう巨大な魔力反応の影響かと。あまりに強大な魔力の余波により、知能の低い生物ですらも根源的な恐怖によりこの場から遠ざかっているのでは?》
「なるほど。そりゃ、中々素敵なお知らせだ」
かつかつかつ、と足音を響かせながら俺は進む。
進む、進む、進んで、止まらない。
肌がぴりぴりと刺激を感じるほどの魔力の余波、存在圧を感じるけれど、この程度は今更だ。今更、この程度の圧で恐れるような精神は持ち合わせていない。
そして、二百メートルほど進むと、一気に空間が開けた。
――――目測とエコーロケーションによる精査開始……完了。
高さは大よそ百メートルを超えている。広さは半径二キロぐらいあるだろう。
長い洞窟を抜けた先にあったのは、広大なドーム状の空間だ。
しかも、そこは廃墟だった。
朽ちて、崩れた建物。
枯れた木々。
文字の擦れた看板。
かつての街並みの残骸が、そこにはあった。
『――――何者だ?』
残骸で溢れる町の中央に、小山と見間違えるほどの巨体が鎮座していた。
全長、二十メートルは超えているだろうか? 見上げるほどのそれは、黒い鱗で覆われた筋肉の塊。仮に、機関銃を打ち込んでもびくともしないであろう、しなやかな頑丈さを感じる肉体だ。そして、その目は赤く光っており、姿は蜥蜴に似通った四本足の姿勢であるが、それよりも数段雄々しく、禍々しい。爬虫類の顔つきであるが、その巨大な顎と、口内に揃えられた鋭い牙は、例え巨象であろうとも、一口で噛み砕けるはずだ。
そう、それが、肉体を観察した上での最低限のスペック。
問題は、その中身である。
大きさもさることながら、内包する魔力量が尋常ではない。前に相対した飛竜のゴーレムなど比べものにならないほどに。そう、仮にも賢者の試練として立ちはだかったゴーレムすらも、比較対象としては足りないのだ。
『何者だ? 答えよ……何のためにここに来た? ここは我らが神聖なる決闘場。何人たりとも、踏み入ることは許さん』
ただ、声を発するだけで大気が揺らぎ、肌がびりびりと痺れるほどの魔力。
なるほど、と俺は素直に感心した。
これがいわゆる、『本物のドラゴン』という奴か。
「やれやれ」
俺は手元の木の枝を眺めて、苦笑した。
流石に、これじゃあお相手出来ないな、まったく。
『答えぬのならば、消え去れ』
《――――魔力反応極大っ! 即応してください!》
眼前の黒竜が放った、紅蓮の息吹が迫りくるのを確認しながら、俺は無造作に木の枝を放り投げた。
さぁて、どうしようかね、今回は。